第4話領主の責務(1)

 朝の冷たい光が、執務室の重厚な机を照らしていた。しかし、それは決して温かなものではない。


「衛兵から物資不足の訴え、ね」

「こんなこと、前領主様の時はございませんでしたね……」


 書類をめくりながら思わず低く唸る。ヒルダの一言は心に鋭く突き刺さった。これが、領主としての現実か……。夫が死んで、領地を継いだ。それだけでは終わらない。十分喪に服すこともできないまま、私は次なる試練に頭を悩ませた。


 『新しい領主が気に食わない人間が、既に動いている』――そう考えるべきだろう。しかも、この罪人都市で最も頼りになる衛兵から突き崩そうとしているのだ。


「……衛兵への補給が滞るなんて、今までなかったことよね?」

「はい。衛兵の物資はこの都市で最も優先されますし、管理も厳格でした。それが今になって不足するなんて……」


 その言葉に胸の奥がざわつく。急いで対処しなければ大変なことになるだろう。焦る気持ちを抑え込み、私は書類の束を机に叩きつけるように置いた。まずやるべきことは何だ。この状況が続けば、誰が得をするのか……? 散らかりそうになる思考を少しずつまとめていく。


 最も避けるべきことは、衛兵達の士気が落ちることだ。治安が乱れれば都市全体が混乱する。この場所では――罪人都市で混乱が起きれば、致命傷になりかねない。


「衛兵長を呼びなさい。……いいえ、私が直接会いに行くわ」

「ですが、領主自ら出向かれるのは……!」

「だからこそ、私が動くのよ。身支度を手伝ってくれる?」


 こちらの出方を見ている者がいるのなら、私が表に出ることで何かしらの手がかりを得られるかもしれない。執事にもいくつか指示を飛ばし、まずは着替えから始めることにした。ヒルダに手伝ってもらい髪をまとめ、黒いヴェールを被る。表向きはまだ喪に服しているべき時期なのだ。とはいえ、この服では動きにくい。仕方ないけれど。


「ロゼリア様、ヴェールがずれておりますよ」

「だって邪魔なのよこれ!」


 悪くなった視界のせいで机にぶつかった。地味に痛くてムッとしながら、私は鏡の前で一度自分の姿を確認する。


 派手にならないよう編み込んでまとめた金色の髪、ヴェールで暗く見える紫の目。顔色はあまりよくない。夫を亡くしていることを考えれば溌溂としているよりいいだろう。及第点を出して衛兵達の詰め所に向かう。こういう時信頼できる護衛がいればいいのに……。ヒルダは侍女だし、彼女の教え子のブレントは衛兵にしては少し頼りない。


 すれ違う使用人たちは皆、探るような視線を投げかけてくる。私の動きを監視しているかのように。残念ながら信頼に足る人間など他にはいないようだ。だから、今は一人でやるしかない。


 覚悟を決め、私は石畳へと踏み出した。


――――――――――――――――――――


 衛兵達の詰所は屋敷からほど近い場所にある。城壁の影に沿って進むと、すぐに目的地が見えてきた。城塞のような無骨な建物の前に、二人の衛兵が立っている。まだ新人なのか、装備は綺麗なものだ。


(待って、物資不足のはずではなかったの?)


 物資が足りないはずなのに、彼らの装備は新品同然。そういえばブレントの装備も真新しかった。何かがおかしい。本当に不足しているのか、それとも……? 違和感を覚えながら門に近付くと、同じように違和感を覚えたらしい二人の衛兵がそろって首を傾げた。


 「誰だ?」「あっ……お、おい、失礼だぞ、領主様だ!」「えっ、あぁ、すみません!」……もしかすると、少し教育が足りていないのかもしれない。申し訳程度の礼から敬意は感じられなかった。


「衛兵長にお話があるの。中にいらっしゃる?」

「へぇ、あ、はい! いらっしゃいます!」


 何も考えていなさそうな新兵が素直に門を開けてくれたので、堂々と中に入る。


 途端に、空気が変わった。荒々しい言葉が飛び交い、粗雑に置かれた椅子が軋む。汗と鉄の臭いが鼻をつく。訓練をしているのか、壁の向こうからは剣のぶつかり合う鋭い音が響いていた。


 一歩踏み出すごとに飛んでくる視線が煩わしい。でも、これを受け入れてこその領主だ。彼らに舐められる訳にはいかないと胸を張って足を進める。


「領主様がこんなところに来るなんて珍しいな、歓迎の宴でも開こうか?」


 どこか愉快そうに、だが鋭い声が響いた。それを発したのは背の高い男だ。日に焼けた肌に鍛え上げられた体、見ただけで彼は別格だと思わせる風格。


 他の衛兵が自然と道を開ける様子を見れば聞かなくても分かる。間違いなく、彼が衛兵長のライル・アーウィンだ。その口元には笑みが浮かんでいたが、目は獲物を見るように冷たい。まったく、この都市の男はどいつもこいつも私に圧をかけてくる。うんざりするわ。


 そんなものに負けてたまるか、と真正面から見つめ返した。


「物資不足の話について聞きに参りました。貴方、どこまで把握していらして?」


 一瞬の沈黙。詰め所にいる衛兵達が息を呑むのが分かる。ライルは低い声で「オリバーの野郎……」と唸った。オリバー。物資不足を訴える書類に書かれていた署名と一致する名だ。彼が装備の管理者なのだろうか。


「それについては自分が説明いたします。副官のオリバーと申します」


 男たちの間を縫って現れたのは線の細い青年だった。オリバーと名乗った男は、穏やかな笑みを浮かべながら「初めまして、領主様」と手を差し出す。


 土や錆ではなくインクの汚れ――鍛えられた兵士というよりは、文官を思わせる手だ。何よこの知的な雰囲気は……油断ならないタイプね。衛兵も一筋縄ではいかなそうだ。


「ロゼリア・ケイ・ライオネル。この都市の領主です」


 迷わず手を握り返し、はっきりと名乗る。衛兵達の間にどよめく声が広がった。


「小せぇな……本当に領主なのか?」

「オレの息子の方がよっぽどでかいぜ」

「おいやめろって、失礼だろ」


 全部聞こえてるんですけど!? 確かに前領主のルーディックと比べれば小娘だろうが、私は神士シグベルに認められた正式な領主だ。動揺することなど何もない。ぐっとお腹に力を入れてまっすぐに立つ。


「あぁ、お送りした資料を見てくださったのですね。しかし、まさかお一人で来られるとは思いませんでした」


 オリバーは少し戸惑いながらも安心したように息を吐いた。


「詳しい話を聞きに来ました。新人にも十分な装備が与えられているように見えましたが……物資不足について、詳しく教えてくださいますか?」


 もちろん、と答えた彼は一度奥に消え、帳簿のようなものを持って戻って来る。


「スイートロールだけが不足しているんです」

(スイートロール……名前からして、お菓子?)


 強面の衛兵達がお菓子が足りなくて悩んでいるのを想像すると吹き出しそうになる。いけない、今は真面目な話をしているのに。もしお菓子だったとしても、私が責任をもって不足がないよう手配しよう。


 スイートロールと言うのだから、きっと甘くて生地が巻いてあるのね。ヒルダが作り方を知っていると良いのだけど。うーん、でも衛兵達の分を私が作るわけにはいかないし……あの毒物大好き料理長に頼むと変なものを混ぜられそうで怖いわ。


「おいそりゃ共和国語だろうが。こっちじゃスクロールだよ、スクロール。全く、いい加減に慣れろよな」

「ははっ、すみません」

「……お菓子じゃないのね」


 ふ、と誰かが笑う声がした。失礼な人だわ、まったく。私は自分の勘違いに恥ずかしくなりながらもせめて表情は崩さないよう顔に力を入れる。


「スイートロールは共和国語でひと続きの巻物という意味なんですよ」

「それは……スクロールと似てるわね」

「語源が同じなんでしょうね。とにかく、それが足りないんです」


 スクロール。それは魔術を記録する媒体のことだ。人の体に働きかける魔法や法術とは違い、世界に働きかける力を刻んだ巻物。魔術の研鑽をしていない人間でも扱えるため、その売買は魔術都市シャーロンを通して慎重に行われている。作り手も資格登録制だ。最も、野良で作成する人間もいるのでどこまで徹底されているのかは怪しいものだが。


 几帳面な字でつけられた帳簿を見ると、確かに購入分と使用分、在庫の量が合っていない。特に土属性の操作魔術が著しく減っている。直近の注文の控えもあるが、急ぎだからか数も少なく相場よりも大分高かった。確かにこれは問題にもなるだろう。スクロールの用意は急務だ。オリバーが直々に領主へ訴えを出すのも頷けた。


「倉庫を見せてくださる?」

「かしこまりました」

「俺も行く。おいオメェら! とっとと持ち場に戻れ!」


 ライルが一喝すると、興味津々でこちらを見ていた衛兵達が蜘蛛の子を散らすように去っていった。先程までとは打って変わって静かになった詰所の中、オリバーの案内で倉庫に向かう。


 衛兵用の物資をまとめてあるその場所は、鉄と油の混ざった重い臭いに満ちていた。じっとりとした湿気が肌にまとわりつく。壁際に設置されたランプが淡くゆらめく光を投げかけ、倉庫の奥に伸びる影がゆっくりと揺れる。


 規則正しく並んだ木箱と、過去の記録が詰まった棚。一見すると整然としているが、どこか違和感がある。――目が慣れてくると、不自然な空白がいくつも存在していることに気づいた。まるで木箱をむりやり動かしたような。


「スクロールは木箱に?」

「ええ。属性ごとに分けてあります」

「倉庫の防犯は?」

「鍵開け封じの魔術は常に更新されています。出入りは記録していますし、倉庫番も常に二名つけておりますので早々破られることはないかと」

「怪しい奴はそもそも詰所に入れねぇしな」

「……もう少し調べたいわね。入退室の記録はありまして?」


 すぐお持ちします、とオリバーが席を外した。私は硬い椅子に腰かけて渡された帳簿を読み始める。物資不足がいつ始まったか推測できないだろうか。怪しいのは私が領主になった時期だが……。頭を悩ませながら読み進めていると、ライルが不意に口を開いた。


「詰め所の倉庫に泥棒が入ったなんて知られちゃ、都市の治安が揺らぐ。俺達は隙を見せちゃなんねぇんだ」

「……そうね。あなた達こそ、この都市の要ですもの」

「ハッ、意外と話の通じる領主様だな」


 彼の気持ちは痛いほどによく分かった。少しでも油断すれば、罪人達はこちらに牙を剥くだろう。突然の領主交代に都市の緊張感は高まっている。いつ破裂してもおかしくない中、それを押さえ込む衛兵は絶対的でなければならない。


「戻りました。これが入退室表です」

「ありがとうございます」


 記録簿には入退室の日時と入った人間の氏名が書かれていた。ほとんどは物資を取りに来た衛兵や届けに来た商人だ。時折現れる神士シグベルは、罪人の記録を見に来ているのだとオリバーに教えてもらった。少し気になるが、この件は後に回そう。


 考えられる可能性は大きく分けて二つ。外部からの侵入者と、内部の裏切りだ。両方を組み合わせて、侵入を手引きする衛兵がいるという線もある。何から調査するべきか……。もちろん解決に向けて動くことは必要だが、スクロールの不足も急いで補った方が良いだろう。


(私はどうするべきかしら)


「内部のことについては我々が調査を。先程、二日後の夜に追加のスクロールが届くと衛兵達へ情報を流してきました。それが狙いなら必ず動いてくるはずです」


 深く考え込んでいると、オリバーから助け舟が出される。仕事が早い。仲間を疑うのはやりにくいかもしれないが、ここは彼らの手を借りるべきだ。


「ではその日になったら私も見張りに参ります。あとは……偽の取引とはいえ、実際のスクロールがあった方が信憑性が増すでしょう。こちらでいくつか用意しますね」

「どうやって?」

「私が作ります。これでもシャーロンの魔術学校を卒業してるんですよ?」


 あれから一年も経っていないのに、魔術を学んだ日々が遠い昔のことのように思える。あの地で得た友も婚約者も、もう失ってしまった。それでも、技術だけは失われずに私の中に残っている。屋敷の羊皮紙を使えばスクロールの用意などそう難しいことではなかった。


 販売はできないが、作成に必要な資格は持っている。そう説明すると、ライルとオリバーは二人揃って呆れとも感嘆ともつかない溜息をついた。


「そりゃ助かるが、張り込みってのは流石に領主様の仕事じゃないぜ」

「……これは私の責務です。領主として、自らの目で確かめなければならないのです」


 頭を下げると、ライルは少し困ったような顔をした。オリバーは興味深そうにこちらを見てくるが、視線の意味を考えている余裕はない。


「分かった、分かったよ。領主様のことは俺達が守る。それで良いな、オリバー」

「はい、もちろんです」


 二人は目を合わせて力強く頷いた。

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