第36話 前任者
「そうか、お主がレクスじゃったか」
グレイスは茶を啜りながら目を細めた。
ここは彼の家の一室。
そこで僕はお茶と共にストロベリーパイを御馳走になっていた。
しかも、そのパイは彼自身が焼いたのだという。
顔が粉だらけだったり、エプロンを巻いていたのはその為だったのかと後から分かった。
「それにしてもすごいですね。御自身でパイを焼くなんて」
「今まで剣一筋で他の事は何もしてこなかったからのお。老後の趣味にと思って始めたのじゃよ」
「いやあ、だとしても、これは売り物になるレベルですよ」
「そう言ってもらえるなら作った甲斐があるわい」
まさか、元騎士隊の隊長がお菓子作りを趣味にしてるなんて思いも寄らなかったよ。
ここからキッチンの様子が窺えるが、そこにはお菓子作りの材料とか、道具がたくさん置かれているのが見える。
その一方で、気になることがあった。
キッチン以外の部屋は、生活感が無いというか、物が無いというか、とにかく異常なくらいさっぱりとしていたのだ。
僕が室内に目を向けていると、グレイスが尋ねてくる。
「何か気になることでも?」
「あ、いや……そういうわけでは……。ただ、家の中がかなりすっきりしているなあ……っと思いまして」
「終活じゃよ」
「は?」
「ワシも老い先長くはないからのお。趣味以外のものは整理しておるのじゃ」
「いやいや、まだまだ全然元気じゃないですか」
「そうかのお? まあ、準備しておいて悪いことはないじゃろ」
「は、はあ……」
実際、まだまだそんな感じじゃないのは確かなのだが、その小さく丸まった体からは、本当につい最近まで隊長を務めていたのかと疑ってしまう。
「それで、今日は何をしにここへ?」
「その事なんですが……」
僕はそこで、先日遭遇した仮面の男について話した。
そして姫様襲撃時に彼が現場に居合わせたことも。
「なるほど、そういうことか……。じゃが、あの時のことは全て報告済みじゃが?」
「当時の状況を直接窺うのも重要かなと思いまして。文面には現れないような細かな手掛かりもあるかもしれないので」
「うむ、それも一理あるか……」
グレイスは茶を一口飲んで喉を潤すと、語り始める。
「あの時、姫様は領内貴族の労いの為に外遊を行い、その帰路だった。あともう少しで王都パラディスに到着という時、突然仮面の男達が現れ、馬車を取り囲んだのじゃ」
「男達……ってことは複数人? 何人いたんですか?」
「三人ぐらいじゃったかの」
「三人……ぐらい?」
「奴らが姫様を狙っていたのは明白じゃった。なのでワシら騎士隊は決死の覚悟で姫様を守ったのじゃ。なにしろ奴らは、自爆をしてまで姫様を亡き者にしようとしてきたのじゃからなあ」
自爆……って、僕が遭遇した仮面の男と同じじゃないか。
そこまでして得たいものって、なんなんだろうか?
「とにかく御身に何かあってはならない。姫様の乗った馬車だけを先に走らせ、なんとか、奴らの手から守り切ることができたのじゃ」
そこからグレイスは襲撃の一部始終を語ってくれたが、報告にあったこととほぼ同じだった。
「他に気になったことはありませんでしたか? 些細なことでもいいです」
「いや、特に思い当たらんなあ」
「そうですか……」
収穫なしか……。
「あー……最後にひとつ……」
「ん?」
「グレイスさんは、あの仮面の男達についてどう思います? 何が目的なんでしょう?」
「目的ねえ……ワシにもとんと見当が付かんが、強いて言うなら何かの信奉者のような雰囲気を感じたのお」
「信奉者……」
そういうものでもない限り、あの行動は理解できないか……。
「そういえば、ろくに引き継ぎもせんで後任を任せてしまって申し訳なかったのお」
「いえ、そんなことは……。こっちも急に知らされたので……」
「あの団長が是非にと推薦したそうじゃないか。前任者としては気になるのお」
そこで彼の口元が綻んだのが分かった。
「どうじゃ? 少しばかりその腕前を見せてはもらえんじゃろか?」
「え……?」
そこで彼は壁に立てかけてあった剣を手にする。
「なあに、剣を嗜んだ者としての興味じゃよ。ちょっとした運動じゃ」
彼の目付きが変わったのが分かった。
さっきまでの穏やかで落ち着いた空気は消え失せ、代わりに鋭いトゲのようなオーラが彼の身を包む。
それはまるで別人のようだった。
で、僕はこの状況で……どうすりゃいいの??
辺境の木こり英雄になる ~のんびり暮らしたいのに最強の幼馴染みたちが僕を放っておいてくれない~ 藤谷ある @ryo_hasumura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。辺境の木こり英雄になる ~のんびり暮らしたいのに最強の幼馴染みたちが僕を放っておいてくれない~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます