第2話 雪花との談話

「ひ、姫さまに妻になれなんて、なんて無礼な!」

 

 松華の乳兄弟の侍女、てい雪花せつかが悲鳴のような声が響きわたった。

 

 ここは松華しょうかの自室。

 紫瑶しようの婚約者ということで、牢から自室に戻ることが許された。依然として、兄王の堯根ぎょうこんをはじめとした、他の王族は牢か王宮の一室かに閉じ込められている。


「雪花、声が大きい」

 

 自室に居ることを許されたといえども、自由になったわけではない。戸の外には見張りがいて、中の様子を常に気にしている。

 相手に余計な情報は与えたくない状況だ。

 

「ええ、そうですとも。お茶一杯でさえ、あんなに念入りにお調べになるんですもの!」


 松華の侍女ということで、唯一出入りを許され雪花も、入室の前にずいぶん持ち物を改められたという。


 これはいたく、幼少の頃から松華に仕えている雪花の矜持きょうじを傷つけたらしい。

 雪花の不満は止まらない。


「だいたいあちらの皇子殿が用意しろと言ったお茶ですよ!

 それに、姫さまが口をつけるものに、このわたしが細工をするわけがありませんわ! 逆ならまだしも!」


「雪花!」


 最後の発言は、さすがに聞かれてはまずい。


「そのおかげで、こうして一服できるのだから、紫瑶殿下に感謝せねばなりませんね」


 わざとらしく雪花の発言をたしなめる。

 ここで見張りとはいえずいの者に、二心ふたごころがあるともとられない言葉を聞かれるのは無視できない。


 雪花は不服そうな顔をしたが、扉の方に視線を遣ると、松華の思惑おもわくを察して、大きく「その通りでございました」と応えた。


「それにしても、紫瑶殿下は気遣いのできる方だこと」


 机の上に置かれた白磁の茶器を持ち上げて、口をつける。


「わざわざわたしを呼び出して、会談でお疲れだろうから、姫さまに茶と菓子をお出しするように命じるほどには、お心配りの行き届いた方のようですね」


 いまだに雪花の溜飲りゅういんは下がらないらしい。

 これくらいの皮肉は聞こえないふりをして、慣れ親しんだ茶を味わう。


 ありがたいことに、雪花はいつも飲んでいるてん名産の緑茶を用意してくれた。

 冷めてはいるが、巓産の茶独特の甘みがより強く感じられて、冷たくても存外ぞんがいに飲める。


「初めて飲んだけれど、白露はくろ茶は冷めても美味しいのね。今度はこれで売り出そうかしら。

西方せいほうには、常夏とこなつの国があるというし、冷たい茶を好む地もあるでしょうから――」


「姫さま、こんなときに……」


 雪花の一言で、現実に引き戻される。


「……そうね」


 瑞に降伏した今、松華に茶の貿易を動かす力はない。

 ここまで必死になって育てた産業だったが、瑞の統治次第で絶えてしまうだろう。


「惜しいことをしたな……」


 紫瑶の妃となり、瑞へ嫁げば、今までのように、巓の政を取り仕切ることはできない。


 頭の中に詰まっている様々な政策や、巓の未来が実現することはない思うと、胸のうちに冷たい風が吹き込んだ。


 物思いにふける松華に、不安そうに問いかけた。


「姫さまは、本当に瑞へ行かれるのですか?」

 

「わたしが行かなければ、意味がないもの。これは、国と国との盟約、言わば人質として向かうのだから――」


「それは、姫さまでなければいけないのですか?

 瑞の皇子なんて、はした女から側室、正室まで、国中の女と選り取り見取りできる身分でしょう?

 よりにもよって巓国王室の正統な血を引き、国のために尽力されてきた姫さまを妃に選ばなくてもよいではありませんか。

 陛下は反対なされなかったんですか?

 人質というのは、道尹どういんさまではいけないのですか?」

 

「反対は、されたが、なぁ……」

 

 松華は、先ほどの湫紫瑶との会談を思い返しながら、天井を見上げた。

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