銀嶺皇后伝〜囚われの罪妃 鏡月の誓い〜

薄衣 千乃

「嶺松華、あなたを赦しましょう」


 湫紫瑶の意外な言葉に、床に平伏していた松華は、思わず顔を上げた。


 三年ぶりに見る夫は、記憶の中の青年から、壮年の立派な男へと変わっていた。

 目元にできたシワが、離れていた間の彼の苦労を窺わせ、松華の胸が、ツンと痛んだ。


「何故……、わたしが……?」


 松華は死刑を待つ罪人だ。

 それも、皇帝の命を奪った大罪人。


 本来ならば、死刑になるところを、こうして幽閉に留められてられているのは、他ならぬ紫瑶の温情だ。

 

 もう二度と、生きてこの山荘から出ることはないと、そう思っていた。


「あなたをここで死なせるより、生きて罪を償ってもらう方が、ずっと都合がいいと判断したのですよ」


 彼が、笑いを含んだ声でそう言った。


「ですがわたしは……」

 

 紫瑶にとって何よりも大切な民を傷つけ、兄帝の命を奪い、紫瑶を苦しめた。

 それは、どんな行いを以てしても贖えない罪だ。


「北の地に、新たな国を立てました」


 はっと顔を上げる。

 それは、ずっと、松華が望んでいたこと。

 紫瑶を玉座に頂き、人々に敬愛される名君となる。

 それだけの資質が、紫瑶には備わっていると、松華はずっと信じていた。


「もう一度、私の隣に立ちなさい。嶺松華」


 そう言った紫瑶を、月の明かりが静かに照らす。


「己の罪業の深さを知るあなたに、玉座の隣で、私と同じ景色を見ていてほしい。

 私がいつか、その景色を見誤らないために」


 雲が揺れ、一筋の、光が差した。

 その影に、紫瑶の瞳が、揺らぐ。


「畏まりました、陛下」


 もう一度、紫瑶に向かって礼をする。

 赦されようなどとは思わない。


「この嶺松華、生涯をかけて、陛下とともに、民のために心を砕きましょう。

 命をかけて陛下を諌め、あなたを、決して孤独な君主にさせません」


 赦されなくても、かまわない。

 ただこの人の隣で、新たな国を、そこで生きる人々の営みを見つめて、守るために生きたい。

 もう二度と、紫瑶が傷つくことのないように。


 紫瑶が安心したように、微かな笑いを零す。


「さあ、ここを出ましょう。あなたには頼みたいことが山ほどあるんですから」


 紫瑶が手を差し伸べる。

 彼が紫瑶の手をとって歩きだす。


 三年間。松華を閉じ込めていた扉。

 松華と外の世界を隔てる物。

 薄っぺらい木の板をはめただけでも、どんな檻よりも堅固で、どんな塀よりも高い隔たりだった。


 それが今、静かに崩れ去っていく。

 ああ、こんな簡単なことだったのだ。

 あのときできなかったことは。


 松華は紫瑶と共に、新たな国へと歩き出した。

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