2-3 消えない闘志

 年が変わり、厳しい冬が終わりを告げた。降り積もった雪は解け始め、牧場の土からは緑も見え始めている。春の息吹が満ち始める中、河合牧場ではノゾミの馬体チェックが行われていた。


「よしよし、体重も460キロ。体は戻ってきたな」


 ケイゾーはノゾミの馬体を満足そうに眺め、深く頷いた。


「順調ですね」

「結構時間かかったがな」


 アオキの言葉にケイゾーは安堵の息を漏らす。

 カレンダーを見ると3月。競馬雑誌を開けば、今年の3歳馬が特集されているが、当然そこにノゾミの姿はない。


「そりゃーそうでしょ。馬体の回復に専念させようしたのに、勝手に体つくり始めるんですもん」


 アオキが呆れたように言うと、ケイゾーも苦笑いを浮かべた。


「ほんとに困ったやつだ」


 この四ヶ月を思い出し、二人は顔を見合わせてまた苦笑した。

 ノゾミは自分たちの会話を悪口とでも思ったのか、そっぽを向いて鼻を鳴らした。


「坂路走らせてみてーな」

「本当ですよね。」


 ノゾミは、四ヶ月の放牧という自然の恵みに身を委ね、休みなく鍛錬を重ねていった。その結果、草臥れた四肢には筋肉がつき、肋が浮き出ていた馬体はふっくらとしてきた。その結果、重かった足取りも軽やかに、滑らかな毛並みは風に揺れる緑の絨毯のように美しく輝いた。

 そして、春の訪れと共に、まるで新たな魂が宿ったかのように、見事なまでの復活を遂げていた。かつては見るのも憚られる姿からは想像もできない、力強く、そして何よりも美しい姿へと変貌していたのだ。

 完全復活とはまだ言えない。

 だが確かに、かつての片鱗が、天才と言われた彼の面影が見え隠れしている。見ていると思わず口元が緩む。「これならば・・・」と期待せざるえない出来になっていた。


「ケイゾーさん。調教師は決まってるんですか?」

「あぁ、決まってる。」

「誰ですか?」


 アオキの疑問に、ケイゾーは少し自慢げな顔で言った。


「国本英智から声かかってる」


 アオキの目が見開いた

 国本英智。競馬界では知らない者のいない、名調教師、いや、名伯楽である。数々の名馬を育て上げ、特に牝馬の育成においては突出した実績を誇る。三冠牝馬を二頭も育て上げた手腕は、誰もが認めるところだ。

 近年は定年間近ということもあり、以前ほどの勢いはないものの、その名声は依然として高く、競馬界の重鎮として知られている。

 最近は国本が受け入れるのは3歳馬までで、これから新しい馬は引き受けないと明言したことで前代未聞だと話題になった。


「国本ってすごいじゃないですか!!なんでそんなところから?」


 アオキは興奮顔でケイゾーに問い掛ける。


「やっぱりブック競馬の影響はでかいな」

「あーあれですかー。なんかXで話題にもなりましたね」


 ケイゾーの言葉にアオキは納得する。

 二ヶ月前、河合牧場はブック競馬から取材を受けた。

 そして一ヶ月前、『奇跡の馬、復活を目指す!』というタイトルで記事が掲載され、災害を乗り越え、ハンデを抱えながらも競走馬として復帰を目指すノゾミの姿は、SNSで大きな反響を呼んだ。G1シーズンも新馬戦シーズンも一段落した時期だったこともあり、この話題は競馬関係者の間で瞬く間に広まった。そして間もなく、国本英智本人から受け入れの申し出があったのだ。


「でも国本センセーで大丈夫なんですか?確かに名伯楽ではありますけど、牡馬クラシック、特にダービーとは縁のないトレーナーですよ?」


【国本英智はダービーに呪われている】

 それは数年前からまことしやかに囁かれていることである。どんなに素質のある馬を、どんなに最高の状態に仕上げても、なぜかダービーだけは勝てない。今ではダービー後【定期】スレとしてネタにされるレベルである。

 ノゾミの目標はダービーである。それなのに、ダービーに勝てない調教師に預けるというのはどうなのだろうとアオキは首を傾げた。


「うーん、でも、他にオファーがなかったんだ。預かってくれるだけでもありがたいと思わないとな」

「それは確かに・・・」


 この時期に馬を預かるというのは異例中の異例だ。通常、ノゾミのような馬はセールに出され、オーナーが決まれば栗東か美浦のトレーニングセンターに入厩し、本格的な調教が始まる。他の馬に比べ、ノゾミは約一年半遅れての入厩となる。かなりのビハインドである。


「それにしても、なぜ国本先生は受け入れてくれたんでしょうね?」

「さあな。ノゾミを見には来ていたが、その時は微妙な顔をしていた気がする。それが、夜の九時頃に突然電話がかかってきて、受け入れると言ってくれたんだ」


 二人は顔を見合わせ、首を傾げた。真相は国本本人に聞くしかないだろう。


「てか、ノゾミって人の言う事聞くんですか?」

「いや、そりゃー・・・どうなんだろうな。賢いは賢いとは思うんだが」


 アオキな素朴な疑問に、ケイゾーは断言することは出来なかった。


「なんか人の言うことを素直に聞く姿が想像つかないんですけど」

「うーん。それはすごく分かる。だが、大丈夫だろ。向こうは馬乗りのプロだし」


 少なくとも今までの自分たちの言うことは渋々ながらも聞いてはいた。プロフェッショナルなら何とかしてくれるだろうと結論づけた。

 苦笑する2人を見てノゾミは首を傾げた。


「で、もう馬名は決めているんですか?」

「あぁ。当然」


 ケイゾーはノゾミを優しく撫でながら言った。


「【フッカツノネガイ】。これがノゾミの馬名だ」


【フッカツノネガイ】。

 この名前は、単なるノゾミが競走馬として復活するということだけを願ったものではない。震災で傷ついた人々の心に灯をともす、希望そして復興の象徴になることを祈った名前である。


「・・・いい名前っすね」


 ノゾミの名前にアオキは笑みを浮かべた。


 【フッカツノネガイ】こと、ノゾミは1週間後、河合牧場から約2時間ほどの距離にある美浦トレーニングセンターの国本厩舎へと場所を変え、本格的な競走馬としてのトレーニングが始まった。

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