第31話 想定外 side.詩織

 side.詩織


 私はそっと席に戻る。

 机の上に教科書を置き、適当にページをめくるけれど、内容は全く頭に入ってこない。


(……なんで)


 結菜ちゃんは、一度白石さんと距離を取った。

 確かに、あのとき二人は離れたはずだった。


 ——それなのに。


 私は結菜ちゃんの首筋についた痕を見た。

 朝から、あんなものをつけられるくらい深く触れ合っているなんて。


(……ありえない)


 思わず、奥歯を噛みしめる。


 完全に予想が外れた。


 白石さんは社交的な性格をしている。

 クラスの誰とでも話せるし、周囲への気配りもできる。

 だからこそ「少し自由がほしい」なんて言ったんだと思っていた。


 結菜ちゃんの束縛を窮屈に感じて、しばらくは一人か結菜ちゃん以外の人と過ごすつもりなんだろう、と。


 ──でも。


(……違った)


 むしろ、距離を取るどころか——前よりも、もっと結びついているみたいで。


(悔しい……)


 私は確かに、あの水族館で結菜ちゃんとの距離を縮めた。

 彼女は私と過ごし、白石さんのことを思い出して寂しそうな顔をしながらも、それでも楽しそうに笑っていた。


 だから私はあの日、思い切って「結菜ちゃん」と呼んだ。

 結菜ちゃんも、それを受け入れた。


(少しずつでも、白石さんの影を薄れさせていると思ってたのに)


 結菜ちゃんの中の白石さんは、まだこんなにも強い。


 私は膝の上で拳を握る。

 気づかれないように、そっと力を込める。


(本当に、白石さんはずるい)


 自分から「自由がほしい」なんて言ったくせに、結菜ちゃんをここまで強く繋ぎ止めてる。

 それを許してしまう結菜ちゃんも、また——。


(私じゃ、だめなの?)


 そんな言葉が喉の奥に浮かぶ。

 でも、それを飲み込んで、静かに息を吐いた。


(……まあ、いい)


 まだ終わったわけじゃない。むしろ、ここからが本番。


 私はゆっくり顔を上げる。


 結菜ちゃんは、まだ私を見ていない。

 頭の中は白石さんのことでいっぱい。


(別に、それでもいい)


 結菜ちゃんが白石さんを好きなら——私はそれごと手に入れるだけ。


 今すぐに私に惚れさせる必要なんてない。

 もし、「白石さんを好きな結菜ちゃん」ごと奪えるなら、それでもいい。


(私は、結菜ちゃんがほしい)


 どんな形であっても。何としてでも。


(だから、焦らない)


 結菜ちゃんが白石さんといることで生まれる不安や迷い。

 そういうものを、私はゆっくりと絡め取っていけばいい。


 そうすれば、結菜ちゃんは気づくはず。


 本当に自分を満たしてくれるのは誰なのか。

 本当にそばにいるべきなのは誰なのか。


(その答えを、私が教えてあげる)


 結菜ちゃんが気づかないのなら、私が気づかせてあげる。

 隣にいる相手が本当にふさわしいのか、誰が一番結菜ちゃんを大切にできるのか。


 今はまだ白石さんしか見えていないかもしれない。

 でも、人の気持ちは変わるもの。

 少しずつ、ゆっくりと、確実に。


 ──それに。


(お互いに好き同士だからって、ずっと一緒にいられるわけじゃない)


 恋愛において、気持ちがあるだけで全てが成立するわけじゃない。

 どれだけ強く想っていても、すれ違いや不安、疑念があれば、それだけで関係は脆くなる。


 実際、結菜ちゃんは一度揺らいだ。


(それってつまり——)


 結菜ちゃんの中に、「白石さんとずっと一緒にいること」に対する疑問が生まれたってこと。


 そこに、私はつけ込む。


「お互いに好き同士でも、別れさせる方法はいくらでもあるんだから……」


 静かな声だった。

 誰にも聞こえないほどの、小さな囁き。


 ——"好き"という感情だけでは、ずっと一緒にいることは出来ない。


 そう気づいた時、結菜ちゃんはどうするだろう?

 その時、私はそっと手を差し伸べる。


(大丈夫。私がいるよ)って。


 結菜ちゃんはきっと、その手を取る。

 白石さんの手を離し、私の方へ——。

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