第5話

 雨足は弱まらず夕方になってもぐずついた天気のまま。仕事が終わった後、通り道ということで先輩の車で送ってもらうことになり、助手席に座って国道をひた走る。


「すみませんね……雨でバスも混んでるから助かります」


「いいよいいよ。ちょうど通り道だし」


 俺は助手席に座り、仕事中ずっと気になっていたことをスマートフォンで調べ始めた。


 検索キーワードは『上杉薬品 青澄』。名前の漢字が分かればそこからヒントでフルネームも分かるんじゃないかとふんだ。


 結果はビンゴで青澄の顔写真付きで『田邊青澄』という名前がヒットした。出てくるのは上杉薬品のニュースリリースやメディアのインタビュー記事が多い。


 画期的な手法で数億人の命を助ける薬を創り出した研究チームの一員という触れ込みだった。何度かニュースにも取り上げられている。理系女子で若くて美人、それでいて秀才と素材は揃っているため取り上げやすいのか、それなりに有名な人らしい。


「いい加減、雨もどうにかならないもんかねぇ」


 信号待ちの間、窓ガラスの上を左右に往復するワイパーを眺めながら先輩が呟いた。


「どうにかってどうやってですか?」


「何でもいいけど、駐車場から屋内まで雨に濡れずに移動できる手段とか、足元が濡れない傘とか、そういうやつ。雨の日も晴れの日と同じくらいに動けるようなさ」


「あぁ……面倒ですよね」


「だよねぇ……あ、そういえばさ。うちの部署、また人が減るんだって」


「えぇ……そうなんですか?」


「他所のもっと稼げる事業に人を充てるとか何とか聞いたけどね。こっちはもうカツカツで回してるのにねぇ……」


 雨の日は話題も湿っぽくネガティブになりがちだ。


 逃げ場を探して外を見ると、案外家の近くまで来ていたらしく、いつもバスに乗る自宅の最寄りバス停の前まで来ていた。


 バス停のベンチにはなぜか青澄が座っている。


「……すみません、ここで降りてもいいですか?」


「え? いいけど……もう少し家って向こうだよね?」


「あー……そ、そこのコンビニで晩御飯を買おうかなと」


「なら駐車場まで入ろうか?」


「い、いえ! ここで大丈夫です! ありがとうございました。お疲れ様です。また明日」


 挨拶の言葉をざっと並べ、車を降りる。


 青澄は俺には気づいていないらしく、無表情のままスマートフォンをいじっていた。


「青澄さん。何してるんですか?」


 俺が声を掛けると青澄はビクッと反応して俺を見上げてきた。


「あっ……し、塩野義君!? バスじゃなかったんだ」


「送ってもらったんです」


「女?」


 青澄の声のトーンが1オクターブ下がった。


「男の人ですよ……職場の先輩です」


「そっか」


「で、何してるんです?」


「や、何も」


「バスを待ってるわけでもない?」


「や、バスは待ってない」


「バス停でバスを待たない人もいるんですね……」


「ラーメン屋でチャーハンと餃子だけを食べる人だっているじゃん」


 なんかそれっぽいけどなんか違う。そんな絶妙な屁理屈への反論も思いつかず、青澄の隣に腰掛ける。


「もう暗いですね」


「暗いね」


「いつからここにいたんですか?」


「ついさっき来たとこ」


「デートの待ち合わせじゃないんですから……」


 会話が途切れ、アスファルトに弾かれた雨水がタイヤによって弾き飛ばされる音がよく聞こえるようになった。


「……お腹空かない?」


 青澄が空腹に耐えかねた人のように低い声で聞いてきた。


「空きましたね。用事はもういいんですか?」


「ん。用事は済んだ」


「バス停に座ってるだけの用事なんて――あ……」


 俺を待っていた? いや、さすがにそれは考えすぎだろう。


 青澄は立ち上がって伸びをして「何にする?」と尋ねてくる。


「ラーメンとかどうですか?」


「おっ、いいね。さっき私が言ったのに引きずられてない? サブリミナル効果だ」


「それならチャーハンと餃子が食べたくなってますよ」


「きちんと話を聞いていてえらい」


「っていうか……サブリミナル効果って思い込みのやつでしたっけ?」


「や、それはプラシーボ効果。例えるなら、塩野義君の前を高速で私が何度も通り過ぎることで無意識に刷り込むのがサブリミナル効果。塩野義君に私のことが好きだと暗示をかけて本当に好きにさせるのがプラシーボ効果」


「両方やったら最強ってことですか?」


「私が高速で動き出したら気をつけてね」


「暗示の方が簡単そうですけどね!?」


 青澄はふふっと笑い、視線を落とす。視線の先には俺の鞄があり、ファスナーには今朝もらったお守りが結びつけられている。


「お守りもプラシーボ効果だよ」


「お守りをくれた張本人が身も蓋もないことを……」


「つけてくれてたんだ」


「せっかくもらったので。別に意中の人がいるわけじゃないですよ」


「へぇ……そうなんだ?」


 青澄がじっと俺の目を見てくる。思わず照れてしまい、顔を逸らすと青澄は笑いながら俺のカバンに手を伸ばしてきた。


 そのままするすると紐を解き、俺の鞄から縁結びのお守りを取ってしまう。


「もう回収ですか?」


「君にはこれをあげる」


 青澄はそう言いながらポケットから傘が刺しゅうされたお守りを取り出して俺のカバンにつけてくれた。


「これ……何ですか?」


「雨のお守り」


「これ以上雨男になりようがないくらい雨男ですけどね」


「雨男っていうのも心理的なものだよ。確証バイアスともいう」


「確証バイアス?」


「都合のいいことだけ記憶に残ることだよ。晴れの日の方が多いんだから。現に今日まで1週間、会えなかった」


 なぜなら、雨が降らなかったから、か。


「青澄さん」


「何?」


「縁結びのお守り、どうするんですか?」


 青澄はお守りをしまったポケットに手を入れ、にっと笑う。


「毎日持ち歩く」


「それって……その……い、いるんですか? 好きな人」


 青澄はじっと俺の目を見てくる。お互いに何故か無言で見つめ合うことに集中してしまい、信号待ちをしている車のブレーキランプの明かり光がずっと眼球で反射しているくらいにはまばたきが減っていた。


「ん。好きな人というか……まぁ……なんだろ。男の人で、優しくて、面白くて、ピュアで……そんな人」


 それって……俺!? いや、冷静になれ自分! だいたいの人に当てはまりそうな特徴ばかりだ!


「い、色んな人に当てはまりそうですね……あは……あははは……」


「ふふっ……そうだよ。こういうのをバーナム効果っていうんだ」


 また新しい効果が出てきた!?


「青澄さん、いろんな効果を使い分けすぎですよ……インフレしたカードゲームじゃないんですから」


「ピンとこない例えだ」


 青澄は微笑みながらそう言って俺の手を引き、傘をささないままバス停の屋根の外へ連れ出した。


 慌てて傘をさそうとしたのだが、青澄は俺の手を握って傘をさせないようにしてきた。


「冷たいですよ、雨」


「塩野義君、今度の休みにデートしよ」


「えっ……」


 雨に打たれながら俺が驚くと、雨に打たれながら青澄が微笑む。


「いっ……いいですけど……」


「けど?」


「雨に当たりながら誘う必要ありました? そっちでよくないですか?」


 バス停のベンチを指さすと青澄は頷いて笑う。


「確かにね。何でだろ? なんかこっちに来たくなっちゃったんだ」


 俺の雨男ジンクスだと、イベントが有る時に限って雨が降る。青澄にデートに誘われるなんて良いことがあるなら、雨どころかに雷に打たれても仕方のないことかもしれない。


「あっ……そうだ。青澄さんって晴れ女だったりします?」


「や、ニュートラルかな……少なくとも嫌なことがない日は」


「なら、デートの日は傘を持ってきてくださいね。多分、雨です」


「嫌なことがある日じゃないのに?」


 青澄はニヤリと笑って上目遣いで尋ねてくる。


「俺にとって嬉しいことがある日は雨が降るんです」


「や、それは分かんないよ。そもそも雨男って、一人の人間の行動が大気の動きに影響を与えて任意の天気にしてるってことになっちゃうわけで。そんなのありえないよ。科学的じゃない」


「急に科学者の一面を出してきましたね!?」


「や、私は経理担当だから」


 そういえばまだ青澄のフルネームも正体も知らない設定なのだった。


「ま、とにかく。私は傘を持って来ない。今、ここに宣言しておく」


 青澄はドヤ顔でそう言う。なんだか嫌な予感がするので、傘は2つ持っていこうと決心するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る