第4話

 1週間降りの雨。こんなに雨を望んでいたのは農家と俺くらいだろう。


 バス停に行くとアスミが先に来てベンチに座っていた。


「ここ、空いてますか?」


 俺が尋ねるとアスミは顔をあげ「予約済みです」と言ってベンチの空いている場所を指差した。


 そこに座ると、アスミは「いらっしゃい」と微笑みながら言ってきたので予約名義は俺で良かったらしい。


 アスミと会うのが1週間ぶりというのもあって妙に緊張し始める。


「まさか塩野義君が会社に来るとはねぇ」


「逆ですよ。アスミさんが、俺の仕事先にいたんです」


「どちらも主語は相手だ」


 アスミは俺を見てにっと笑う。


「塩野義君はこの1週間で何回雨ごいをした?」


「そんな雨ごいをしている事が前提みたいな話の進め方あります!?」


「や、まぁ私はしてないんだけどね」


「なら尚更前提の置き方がおかしいですよ……俺はゼロ回です」


「なら、雨は望んでなかった?」


 アスミは空を見上げながら聞いてきた。


「……心待ちにしてましたよ」


 少し間をあけて、同じように雨雲で埋め尽くされた空を見上げながらそう言う。


 アスミは「そっか」と言い、会話が途切れた。しばらくの間、2人で灰色の空を眺めていると、アスミから話しかけてきた。


「天気ってさぁ……自分とリンクしてるのかもって思ったことない? 小さい頃からのジンクス。私が嫌なことをしないといけない日は雨が降る。今日もそうなんだ」


「面倒な会議でもあるんですか?」


「逆に面倒じゃない会議なんてある?」


「言えてますね」


「ま、会議じゃないんだけど」


「じゃあ何があるんです?」


「秘密」


「ですよねー……なら、今日は何を教えてくれるんですか?」


「うーん……なんでも聞いてくれていいよ。今日あること以外なら」


「じゃあ……好きなもの……とか?」


 アスミは俺の方を見てポカンとしてしまった。


「なっ、なんですか?」


「ふふっ……1枚しかないカードなのにそんなこと聞いてくれるんだ、嬉しいなって」


「他に聞くことありますかね……名前も知ってるし、漢字はまぁ……優先度は低いかなって」


「確かにね。他にか……んー……普段使ってるパスワードとか? 口座の暗証番号とか?」


「聞いたら教えてくれるんですか!?」


「なんでもって言ったからね。ま、パスワードはまだ早いか」


「早いとか遅いとか以前に、パスワードを教える関係なんてありますか?」


「分かんないけど、あるんじゃない? 日常で深く関わってて、相手のパソコンでメールにログインしたいとか、一緒に住んでて同じサブスクのアカウントを共有するとか、テレビにどちらかのアカウントでログインするとか」


「恋人でもしないんじゃ……」


「じゃ、結婚したらか。そうしたらパスワードも教えてあげる」


「えっ……」


「なんてね、君はピュアだなぁ」


 俺をからかうようにくっくっとアスミが笑う。


「アスミさんは濁りに濁ってるんですかね……」


 曇り空を見上げながらそう言う。


「や、私は青く澄み渡ってるよ」


「へぇ……」


 言葉のイメージに引きずられるように、曇天が晴天に変わっていく。


 それにしても、急にアスミが曇り空に似つかわしくないことを言って――


「青く澄み渡って……って、アスミ!?」


「そ。よくぞ気づいてくれました」


 アスミは満面の笑みで頷いた。恐らくだが、青澄でアスミということらしい。何も教えないと言っていたくせにヒントを散りばめていたようだ。


「……教えたがってます?」


「たがってないよ。聞きたがりさん」


 青澄は唇を尖らせてそう言った。


「たがってないですよ」


「そもそもたがるってなんだろ」


「そりゃもうたがってるんですよ」


「ムラムラしてるってこと?」


「安易な擬音語に置き換えないでくれます!?」


「や、でもさぁ、ムラムラっていうのも秀逸だよね。モラモラでもメラメラでもなく、ムラムラって感じだし」


 脳内のイメージ的には曇天から晴れ渡る青空になったところ、その端から夕焼けのようにピンク色に染まっていく。


「しっ、知りませんけど!?」


 真正面を向いて誤魔化すと青澄はニヤリと笑って俺の横顔を見てくる。この人は本当、名前の割に濁りまくってんな!?


 その時、302系統と表示したバスが近づいてくるのが見えた。


「あ、青澄さん、来ましたよ」


「ん。おでこに書いてあるね」


「フロントガラス上の表示板をおでこと表現すべきか議論を深めたいところですけど、もう時間切れですね」


「ん。それは次回。あっ……忘れてた。これ、あげる。週末に雨ごいに行ってきたんだ」


 青澄はそう言って神社の名前が書かれた封筒を渡してきた。


「それじゃ、またいつか雨の日に」


「機械のメンテナンスでも伺いますよ」


 お互いにニヤリと笑って挨拶を交わすと青澄はバスに乗り込んで工業団地の方へ時速60キロで移動し始めた。


 渡された封筒を開けると『縁結び』と書かれたお守りが入っていた。


「……これも『たがってる』?」


 からかわれているんだろう、と自分に言い聞かせ、鞄の中にお守りをしまいこんだ。


 ◆


 会社に到着。自席に座ると、ふと、鞄に入っていたお守りが目についた。


 週末に行った天気の神様を祀る神社。そこで買ったお守りは2つ。縁結びと『雨守』と書かれ傘のマークが刺しゅうされたお守りを一つずつ買った。


 何故か私の鞄には『雨守』と書かれたお守りが入っていた。これは塩野義君に渡すために買っていて、縁結びは自分用だったのだが……


「……間違えた!?」


 天気予報で次の雨の日を確認するも、青色の傘マークは一向に出てこない。


 バス停で数回話しただけの人に縁結びのお守りを渡されるなんてホラー以外の何物でもない。


「あぁ……やばいやばい……」


 次の雨の日のシミュレーションを始める。


 フロントガラスの上の表示板は車の『おでこ』。それは一瞬で塩野義君を論破して結論づけるとして、その後のお守り言い訳をどうしたものか。


 プリンターを壊すか? 記憶を消す薬を作るか? こっそり入れ替えて最初から塩野義君が見間違えていたことにするか? どれも現実的じゃない。せいぜいヤンデレホラーからサイコスリラーにジャンルが変わるだけだ。


田邊たなべさん、どうしたんだろう……」


「化合物の構造設計でも脳内でやってるんじゃないか? 天才の考えることはわからんよ」


 私は別に天才じゃない。渡すお守りを二分の一で間違えるような女だぞ!?


「あっ……バスで行ったならバスで帰ってくる……!?」


 天才的な頭脳で閃いた。バスで通勤しているなら、帰りもバスに決まっているじゃないか。帰り道を待ち伏せしよう。


 彼はピュアだ。話せばどうにかごまかせるかもしれない!


 やることが明確になった私は過去一番と思えるくらいに集中力が高まり、仕事がぐんぐんと進むのだった。


―――――――

更新のモチベーションに繋がりますので★★★で応援していただけると嬉しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る