第19話 ナナシさんの怪(6)
「文香!」
階段の下から姿を現したのは落合だった。私はそのまま落合の腕の中に飛び込んだ。落合の細いけれど力強い腕に受け止められる。石鹸の香りが私の鼻を掠めた。
他の生徒達が見たら黄色い悲鳴を上げるようなシチュエーションだが、今の私はそれどころではなかった。
「今の見た?」
私は興奮気味に落合の腕を掴んで揺する。
「ナナシさん!ナナシさんが……」
落合は私の興奮ぶりに驚きながらも静かに首を横に振った。
「どうして見てないの?」
私は舌打ちすると階段の上を見上げた。ナナシさんをこの目で確認するチャンスだったのに。
「そんなことよりも……文香はどうしてひとりでこんなところにいるの?ここって芽衣が危ない目に遭った場所だよね」
落合の爽やかな笑みに迫力が増す。私は思わず一歩後ろに下がった。
「心霊現象解明のため……だけど」
「その前に言うことあるよね?」
落合の笑顔が怖い。
「……ごめん……なさい?」
落合は私の頭を軽く叩いた。
「ありがとう、でしょ?」
心霊現象が起こった後とは思えない少女漫画のような雰囲気に私は胸焼けを起こしそうになった。今は王子をやっている場合ではない。私が怪我をせずに済んだのも落合が駆けつけてくれたお陰だ。王子ムーブの落合に促されてお礼を言うのは躊躇われたが、ここはきちんというべきだろう。
「……ありがとう」
小声で言うと落合は満面の笑みを浮かべ、私の腕を掴んだ。
「とりあえずここから離れよう!嫌な雰囲気がするし!」
「それは……そうだね」
そのまま一階の下駄箱へ向かう。ちらりと階段の上を見上げたがやはりそこには何もいなかった。
「あんまり心霊現象にのめり込み過ぎないこと!危ないところまで足突っ込んで。ほんと文香って怖いものしらずなんだから」
私達のセイフティゾーンであるカフェに入ると落合はストロベリーフラペチーノを呑みながら愚痴った。
私はアイスコーヒーを口に含みながら落合のことを睨む。
「落合さん、今日は生徒会の仕事じゃなかったの?」
その隙を狙ってひとりで心霊調査していたというのに。本物の王子のようにピンチに助けに現れた。助けてもらっておいてどうかと思うが、私は落合の行動に疑問を抱いていた。
「そうだよ。でも嫌な予感がして……。文香のことだからひとりで心霊現象の調査してるかもと思ったんだ。行くとしたら突き飛ばしがあった階段だろうなーと思って。行くならちゃんと私に相談してよ!」
「別に心霊調査は勝手にやってるだけで部活でもなんでもないし、落合さんに報告する義務もないでしょ」
コーヒーの苦さが心地よく私の味覚を癒した。
「義務とかじゃなくて……友達には相談するもんでしょ!というか私達、心霊現象解明チームでしょ!」
「え?私は別にチームでやってるつもりなかったけど」
私がじっとりとした視線を向けると落合が捨てられた子犬のように目をうるうるさせた。私はアイスコーヒーの氷を掻き混ぜながら先ほど起こった現象のことを考える。
「そんなことより。私、ナナシさんを見たかもしれない……」
「どんな子だったの?」
私は階段に立っていた奇妙なモノを思い出し、身震いする。
「顔が……色んな顔が張り付いてた」
「え?どーいうこと?」
落合が腕組をして顔を傾ける。
「だから、ひとつの顔に色んな顔のパーツがくっついてたの!目と鼻と口がたくさんあった……」
ナナシさんの姿は一度見たら忘れられない、頭の中にこびりつくような見た目だった。背格好も髪型もデフォルトの東雲女子校の女子生徒なのに顔には沢山の顔パーツが貼りつけられていた。その顔はどれも見かけたことのあるような生徒の顔つきをしていて……不気味だった。
「夢に出て来そう」
私が苦い顔をしてアイスコーヒーを飲んでいると落合が心配そうに私の背を叩く。
「文香、大丈夫?」
「大丈夫。風呂にバスソルト入れてお清めしとくから」
動画投稿サイトで見かけたお清め方法を思い出す。心霊現象を考察するのは好きだが、呪われるのはごめんだ。
「そんなお清め方法があるとは!おしゃれ~」
両手を合わせて落合が感動した様子を見せる。本当に気楽な性格が羨ましい。私は頭の中でこれからの調査方針について考えていた。私にも危害を加えるほど、ナナシさんによる心霊現象が深刻なものだとは思わなかった。
「仲間外れなんて……学校生活ではありきたりのこと過ぎて『ナナシさん』がどこの誰なのか特定するのは難しそうだよね」
落合の呟きに私は心がざわついた。私の心の奥底、蓋をしていた記憶が飛び出してきそうになって、私は蓋の上に重石を置く。落合の何の考えも無しで放たれたであろう呟きを鼻で笑った。
「仲間外れなんて……落合さんには縁のないことでしょう」
私の言葉に落合は悲しそうな表情を浮かべた。
「そんなことないよ。中学の時、仲間外れにされたことあるんだ。調子乗ってるとか、人の男取るなとか色々身に覚えのないこと言われて」
「……」
落合ほどの人物であっても仲間外れにされるとは。学校という場所は本当に恐ろしく、理かいし難い現象が起こる場所だ。
落合が何でもできる上にルックスも完璧な人間だから妬みの対象になっていたのだろう。人気者で人目を惹く存在であるが故に数々の苦労があったのかもしれない。落合のくたびれた表情からなんとなく読み取れた。
学校のグループという存在は本当によく分からない。昨日まで楽しく会話していたと思ったら次の日には無視が始まる。名前を呼ばれなくなり、班分けの時、いつものグループの中から自分の名前が消える。
ひとりでいる私を遠くから男子生徒がせせら笑う。他のグループの子達が視線を寄越す。
自分が存在しないかのような……ナナシになる。
こんな思いをするぐらいなら最初からグループに入らなければいい。友達なんていなければいい。
……切ってしまえばいいのだ。
「もしかして……」
私はナナシさんについてある考察を思いつく。カフェの椅子から立ち上がる。
「どうしたの?文香?」
「ナナシさんの正体、少しだけ心当たりがあるかもしれない」
「うそお?」
落合と向かい合い、私は真剣な表情で言う。
「落合さんにも手伝ってもらいたいことがある。というか、落合さんにしか頼めないかも」
「いいよ。心霊現象解明部の相棒であり友達の頼みだから」
嬉しそうに笑う落合の顔を見てため息を吐いた。今だけは落合の友達で、心霊現象解明部になろうじゃないか。
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