第9話 ショート動画の怪(8)

 ガタンッ。

 近くで椅子と机がぶつかる音を聞いて私は視線を落とす。

 見ると佐野さんが床にへばりつくように尻もちをついていた。


「ねえ……何あれ?何なのあの化け物……?」


 佐野さんの声が震え、落合のジャージをぐいぐいと引っ張っている。ばっちりと化粧した顔を歪んでいた。顔色が悪いせいで赤いリップが不気味に浮かび上がっている。


「佐野さんはオオムカデの生贄に「選ばれた」んだよ」


 冷静な私の声に佐野さんが首を傾げる。

 心霊動画に映されていたのは生贄の少女が妬んだからではなかった。オオムカデが生贄を探していたのだ。

 少女の側に映し出されていた赤い線はオオムカデのたくさんある足のひとつだった。


「は?生贄?何それ」


 佐野さんは私を睨んだ。突然生贄と言われても訳が分からないのはよく分かる。だからと言って私に怒りをぶつけられても困る。私は肩をすくめながら答えた。


「この地域一帯に残る伝承。オオムカデに生贄を捧げる風習があったみたい。私達みたいな女の子をね。佐野さんはその生贄に選ばれたんだよ」


 動画のコメント欄を埋めていた弓矢のマーク。あれは生贄に「白羽の矢を立てた」という意味だったのだ。


「生贄……?なんでよ?意味わかんない!なんで勝手にそんなもんに選ばれてんのよ!」

「それは……生贄に選ばれた人達もみんなそう思ってただろうね」


 じりじりと少女の身体を被ったオオムカデが教室の中に入ろうとしているのが見えた。

 カサカサ、カサカサというオオムカデの足の音が鼓膜から体全体へ恐怖を増殖させていく。少女の目玉のない、真っ黒な目の窪みが私達のことを見下ろしていた。

 まるで、お前達もこんな風になるんだよと言っているようだ。このままでは佐野さんだけではない。私も落合も生贄にされてしまう。


「私が注意を惹きつけるから……ふたりはその間に逃げて。助けを呼んできて」


 落合が屈伸をしながら私達に言った。落合の声は少し震えていたものの、敵と向かい合う正義のヒーローのような勇ましさがあった。

 佐野さんは目を潤ませ、暑い視線を落合に向けている。落合に全て任せ、自分だけはどうにかして助かりたいという気持ちが見て取れた。

 どちらの行動も馬鹿らしい……。私は大きなため息を吐いた。


「いい加減さ……。こんな時も王子なのやめたら?」


 感謝の言葉を貰えるであろうと思っていた落合の表情が崩れる。


「私に考えがある……。落合さんは理事長室とは反対側の廊下の突き当りまで逃げ切って。最悪非常口から出られると思うから」

「……分かった」


 落合は頷くと勢いよく廊下へ飛び出していった。


「こっち!」


 落合が手を振るとオオムカデは動くものに反応するのか。落合に狙いを定めて無数の足を落合に向かって伸縮し、慌ただしく動かし始めた。思いのほかスピードが速くて落合が追いつかれ食べられてしまわないかと不安がよぎる。

 ここはもう落合の足の速さを信じるしかない。


「ひっ……。何なの?訳分かんない……」


 佐野さんは机や椅子にぶつかりながら落合とは反対の方角に逃げていった。私達に手を貸す気はないらしい。別に期待してなかったけど。

 私も落合とは反対方向、理事長室に向かって走った。



 落合美織は必死に走った。突き当りには非常口がある。非常口のドアの先に逃げ込み、ドアを閉めれば化け物を撒くことができる。


「ホシイ……ほしい」


 低くてくぐもった、聞いている者を不快にするような声を背中で聞きながら美織はただ、視線を非常口に固定して走った。振り返ったらスピードが落ちてしまいそうだったからだ。

 低い不気味な声と気持ち悪い視線が胸の奥底に封じ込めていたことを思い出しそうになって胃の中の物が逆流してくるような感覚に襲われる。不快感を飲み込んで誤魔化し、走ることに集中した。


「よしっ!到着!」


 非常口のドアノブを掴んで安堵の表情をうかべる……が、ドアが開かない。


「え?なんで?」


 何度かガチャガチャと動かすがびくともしない。ドアに何度かタックルしてみるもドアが動くことはなかった。


「これは……終わったかも」


 ドアを背に、振り返って美織は笑った。人は危機的状況に陥った時、何も成す術がなくなると笑ってしまうとどこかで見聞きしたことがある。まさか自分がそんな状況になるとは思っても居なかった。

目の前に虚ろな少女の青白い手が、オオムカデの無数に蠢く足が間近に迫った時だった。

女とも男とも判別つかない、断末魔が廊下に響く。

 一体何が起こったのか。美織はしばらく体を動かすことができなかった。

 オオムカデが少女の身体と共に天井に伸びた後、苦しそうにのけ反りかえったのだ。少女の身体がぴくりとも動かなくなる。苦しみのために沢山ある足が伸縮し、あちこちに動いて気持ちが悪い。

 オオムカデが横転し、廊下にのたうち回っている背後から姿を現した人物を見て美織は歓声を上げた。


「文香!」


 理事長室には誰もいなかった。ついさっきまで千代子理事長がいたはずなのに。それどころか東雲女子校全体に人の気配がない。

 私はあるものを手にすると理事長室を駆け出した。走るのは得意じゃないけど危機的状況にある今、心なしか早く走れている気がする。非常口の方角にオオムカデの後ろ姿が見えた。

 どうやら落合が上手く惹きつけてくれたらしい。後ろから追う私に気が付いていないようだ。落合とオオムカデの距離が縮まっているのを見て私は焦った。

 早く、早く動け私の足!

 落合のことは友達でもないし、好きじゃないタイプの人間だ。だけどオオムカデの囮役、「選ばれし者」の役を引き受けてくれた。ここで「犠牲者」にするわけにはいかない。


『オオムカデの生贄に選ばれたのは少女ばかり。どうしてだと思う?藤堂さん』


 千代子理事長との会話が頭の中で再生される。


『村で労働力にならない弱い立場だったからよ。男の子は将来、村の労働力になるし家を継ぐことができると重宝されていたから』


 どうして誰かを犠牲にすればいいなんて考えが生まれるのか。それよりも力がない、役に立たないと言われ排除されることに怒りしか湧かない。

 男女平等が叫ばれる社会とはいえ男女の筋力は大きく異なる。個人差もあるが性別による影響が大きいのは否めない。

 選んで女に生まれたわけじゃないのに。どうしてこんなに理不尽な目に遭わなければならなかったのか。


『オオムカデの正体についてこんな考察もあるの……』


 もうひとつの話を思い出し、さらに私の体の内側から怒りが湧いてくる。思わず手にしていたものをきつく握りしめた。

 生贄なんて風習を作った奴も、生贄を容認する社会も。邪神という存在も……全てが気に入らない。


切れろ!


 怒りに支配された私は思わず懐かしさと悲しさ、悔しさを含んだ言葉を心の中で叫んでいた。それは小さい頃、私が死ぬほど憎んでいた人達との関係を断つために魔法の呪文のように唱えていた言葉だ。

 オオムカデが落合に狙いを定めて天井高く体を伸ばしたのを見た時だった。あともう一歩、足りないと思った瞬間、誰かに背中を思いっきり押された。


「え?」


 今のは……何?ほんの少し振り返って視線の先にいたモノに私は目を見開いた。そうか。やっぱり皆、怒っていたのか。だったらいいよ。私が代わりに無念を晴らしてやるから。


 手にしたものを大きく振り上げ、力いっぱい振り下ろした。

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