第13話 書類は細部までチェックしろ

 俺は揺れる馬車の中で、ゼクスから渡された羊皮紙を眺めていた。そこには大きく『剣王祭』の三文字。


 まったく、何をやっているんだか――


 そう、お察しの通り、俺はゼクスの口車に乗せられ、この剣術大会に出場することにしたのだ。まんまと金に目が眩んでしまった、というわけだが、それでも後悔はしていない。


 もちろん、最初は行く気などなかった。大会なんてものに興味はなかったし、剣術がとりわけ得意というわけでもない。最近は多少身体を動かしているが、元はニートなのだ。剣にはブランクもあるし、昔のようにとはいかないだろう。


 だが、賞金の話を聞いた瞬間、心の天秤は大きく傾いた。


 ──優勝賞金 300万リル。


 それだけあれば当分働く必要はなくなり、一気に余裕が生まれる。生きる選択肢が広がり、選べる未来が一気に増える。


 300万。ああ、なんて魅力的な響きだろう……!


 そんな甘い言葉が脳裏を駆け巡り、気づいた時には頷いてしまっていた。リスクを考慮するという冷静さが、金の重さで麻痺してしまったのだ。


 そして、大会についての詳しい話は道中で聞けばいいと言われ、今になってようやく詳細を確認している始末。俺はもう一度紙に視線を落とし、その概要に目を通すことにした。


 『剣王祭』──それは百年以上も前から続く、由緒ある剣術大会だ。もともと王国の騎士団が、若手の育成と技を競い合うの場として設けたのが始まりらしい。それが次第に評判を呼び、腕に覚えのある貴族や、民間の剣士たちも参加するようになったみたいだ。


 そして、今では国の一大イベントとして定着し、身分や出自を問わず、実力者なら誰でも参加できる大規模な大会へと発展したようだ。


「へえ、思ったよりちゃんとした歴史があるんだな……」


 単なる貴族の娯楽のための催し物かと思っていたが、どうやら違うらしい。しかも記述によれば、ここで優勝すれば騎士としての名声を得られるほか、多くの商会や有力貴族から声がかかるという。過去の優勝者の中には、その実力を認められて宮廷騎士に抜擢された者や、大商会の護衛役として雇われた者もいるらしい。庶民にとっては、まさに人生逆転の大チャンスというわけか。


「中には本気で人生賭けてる奴もいるってわけか」


 俺のような金目当ての不純な動機で参加する人間は、むしろ少数派なのかもしれない。俺は少し眉をひそめつつ、次の項目へと読み進めた。


 試合形式は、完全一対一のトーナメント形式。一度でも負ければ即敗退という、シンプルかつ残酷なルールだ。運が悪ければ、初戦で名の知れた実力者と激突することもあり得る。逆にトナメ運に恵まれれば、格上との対戦を避けつつ勝ち進むことも可能だろう。


「やっぱ、結構ガチな大会だよなぁ」


 なんとなく祭の概要を理解し、さらに細かなルールを確認していく。


 参加資格は年齢・性別・身分を問わない。使用する武器は、大会側から支給される木刀のみ。勝敗は、どちらかが降参の意思表示をするか、戦闘の続行が不可能と審判が判断した場合に決まる。


 まあ、どれもこれも妥当なルールだ。危険な真剣での試合を避け、公平性を保つための配慮だろう。


「でも、これならワンちゃんあるか?」


 剣術の経験がないわけではないし、最近は相当身体も動かしている。身体強化を使えば、並の騎士には遅れを取らない自信があった。


 三回戦まで勝ち進めば10万リル。そこを最低目標として、あとは行けるところまで行く。そんな甘い皮算用をしながら、俺は最後の項目に目を通した。


 そして、俺の思考は完全に停止した。


『魔力の使用は一切禁止とする』


 ……え?


 思わず二度見する。


 魔力の使用禁止。試合はすべて、純粋な剣技と身体能力のみによって行われるものとする。


 そう、はっきりと明記されていた。


 ……いやいやいや、ちょっと待てよッ!


 魔法攻撃の禁止、とかならわかる。剣術大会でファイアボールをぶっ放すわけにはいかないし、それは当然の処置だろう。


 だが、これそういう話じゃない。

 魔力の使用、そのものが禁止……?


 これじゃ俺の得意な剣術魔法どころか、身体強化すら使えない。能力を向上させる手段は一切無しで、剣術と筋力だけで戦えってことか!?


 まさかの展開に頭が真っ白になる。剣を扱えないわけじゃないが、それはあくまで魔力による補助があってこそ。素の状態で戦えるほど、俺は身体を鍛えているわけじゃない。身体能力を補えないとなると、つまりはただの筋肉勝負。この貧相な体格では、誰にも勝てる気がしなかった。


「……おい、ゼクス」


 顔を上げ、向かいの席で葉巻を燻らせていたゼクスを睨みつける。


「ん? どうした、そんな怖い顔して」

「ここに『魔力の使用禁止』って書いてあるんだが?」

「ああ、そうだな」


 あっさりと頷かれる。


「はあ!? こんなの聞いてねぇぞ!」


 思わず馬車の中に響き渡るほどの大声を上げてしまった。しかし、ゼクスは悪びれる様子もなく、喉を鳴らして笑う。


「ハハッ、すまんすまん。お前のことだから、どうせ細かいことを先に言ったら面倒くさがると思ってな。とりあえず、先にここまで連れてきちまった」

「おい、ふざけんな! これが一番大事な条件だろうが!  なんで魔力まで使用禁止なんだよ!」

「そりゃ剣の大会だからな。許可しちまったら、趣旨が違っちまうだろ」

「だからって、これはねえって。筋肉バカに力負けして終わりじゃねえか……」


 完全に騙された。いや、正確には俺が勝手に使えると思い込んだだけなのだが、それでもゼクスが言わなかったのは確信犯だろう。


「お前なら別になんとかなるだろ。ほら、剣術にはそこそこ自信あるじゃないのか?」

「何言ってんだ、俺の剣術は補助ありきで戦うんだよ」

「ハハハッ、それは災難だったな!」


 楽しそうに笑うゼクスに、俺は本気で殴りかかろうかと思った。だが、そんなことをしても状況は変わらない。


「……今すぐこの馬車を止めろ。俺は降りる」

「おいおい、本気か? 次の街までまだ半日はかかるぞ。それにここまで来た路銀はきっちり請求させてもらうが、それでいいのか?」


 ゼクスの言葉に、ぐっと詰まる。確かに、ここで降りたところで、また一文無しの路上生活に逆戻りだ。それだけは避けたい。


「だが、こんな条件で出てもどうせ一回戦負けだぞ。ゼクス商会も恥を晒すだけだ」

「まあまあ、やるだけやってみろって。商会としては参加してくれるだけでいいし、誰もお前のことなんて期待してないからよ」

「くそっ、人ごとだと思って気楽に言いやがって……!」


 もはや怒る気力も失せ、俺はため息をつきながら羊皮紙を放り投げた。結局のところ、300万リルという大金に目が眩んだ時点で、俺の負けは決まっていたみたいだ。


 馬車は止まることなく、俺の絶望を乗せて街へと向かっていく。俺はただ、これから待ち受ける地獄に思いを馳せることしかできなかった。

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