桜と橘 三日月の夜
Rin
桜と橘 三日月の夜(1/3)
橘が撃たれて生死を彷徨い、一命を取り留めて無事に退院した日の夜。俺の左胸に浮かぶような、もしくは橘の左肩甲骨の上に浮かぶような、大きくて薄くて美しい三日月が、漆黒の夜に浮かんでいた。
退院したその足で組と本家に顔を出し、なんだかんだで家に戻って来たのは夜の11時過ぎである。橘にはまだまだ体を休めてもらおうと思っていたのに、そんな暇はないらしい。入院生活の規則正しい生活のせいかお陰か、橘は午後8時過ぎから欠伸が止まらなかった。眠そうに欠伸を手で隠す姿を見ながら、家に帰ったらすぐに休ませようと決めて今に至る。
飯を作り、ふたりで食卓を囲む。橘が好きだと言う日本酒を北見から聞き出して用意していた俺は、ほんの少し、嗜む程度に橘に与える。もっと飲んでも問題はねぇよ、と不満そうだったが、今日はここまでと量を制限して舌打ちをされる。橘は頭を掻きながら水を一口飲んでいる。
「風呂、沸いてますけど入ります?」
しばらくしてそう訊ねると、橘の片眉が上がった。風呂はもう洗って湯は溜めてあった。ちょっと高級な入浴剤なんか買っちゃったりして、俺はとても浮かれている。カモミールとラベンダーの小袋に入った入浴剤は疲労回復と安眠効果があるらしく、橘にはぐっすりと寝てもらおうと、少しずつで良いから無理なく復帰してもらおうと思って用意していた。
「へぇ。風呂もやってくれたのか」
「退院したとは言え、あんたは怪我人ですし、それに俺はあんたに尽くすの好きなんで、家事は基本的に俺がやりますよ。住まわせてもらってる身でもありますしね」
真っ当な事を言ったつもりだった。素直にありがとう、と言われると思った。だが橘の三白眼がじろりと俺を見つめ、「世話役を雇ったわけじゃねぇんだが」とぽつりと吐かれる。意外だ。椅子の背もたれに肘を掛けると、首を傾けて煽るように橘は俺を見つめる。
「お前、俺の恋人なンだろ? だったら無理に家事はしなくて良い。怪我人とは言え、今まで通りの日常生活を送れると判断されたからここにいるンだ。俺だって出来る事はやるし、それに家事は嫌いじゃねぇ」
家の事は全てやらせるくらいの人間かと思っていたのに、家事は嫌いじゃないらしい。俺は鳩が豆鉄砲を食ったように面食らっていると、橘は「それとも世話役としてここにいるのか?」と目を細めた。
「ち、違います! …あんたは、俺の、恋人」
照れながらぎこちなく答えると、橘はふっと軽く笑った。俺の恋人、だなんて改めて口にすると途端に恥ずかしくなって顔が熱くなる。あの橘が、恋人………。そう意識をすればするほど目を合わせるのも困難になりそうだ。正面から橘を見つめるのはどうも照れ臭い。
だってこの男、よく見ると全部が整っているのだから。いつか北見が親父は俳優でもイケると言っていたが、まさにその通りに思えて仕方なかった。あの時はそんなわけがあるかと心の中で否定しまくったが、惚れた今、よく考えると俳優やイケオジなモデルに見えてくるのだ。背が高く、見事な八頭身で、何より手足が長くてゴツく見えない。けど脱ぐとしっかり筋肉がついていて、厚い胸板に見事に割れてる腹筋も、スーツの上からじゃ全く想像出来なかった。それに加えてあの派手な刺青。橘のパンイチ姿を思い出すと、つい反応しそうになって動揺した。何をそんなに興奮してンだよ。童貞じゃあるまいし。
俺は橘に買ってきた日本酒をお猪口になみなみに注いで、クイッと一気に飲み干した。そっと橘を見ると、視線が合わさり、途端に体が熱くなる。橘は「美味いだろ」と少し羨ましそうに笑ってるから、静かに酒蓋を押し込んだ。
「美味いですけど、あんたに買って来たんで、俺はもう飲みません」
「また一緒に飲めば良いだろ」
心臓がキュンと高鳴って笑い出しそうになってしまう。何を乙女みたいに心臓を高鳴らせているんだ。動揺が顔に出ていたろう。橘は半笑いの表情のまま、「風呂、入ってくる」そう席を立った。舞い上がってるってバレてしまったのだろう。ぎこちねぇ。あーあ、どうしよ。風呂場へと消えた橘の残り香を嗅ぎながら、俺は頭を掻いてテーブルに突っ伏した。格好をつけたいけど、橘の前になるとどうも格好がつかない。橘は気付いてないだろうけど、すでに体が熱を持ち、盛り真っ只中の動物のようだった。その時点で格好なんてついていないのだ。勘弁してくれよと途方もない溜息を漏らす。
俺がどんなに盛っても、今日は退院初日だ。無理をさせるわけにはいかない。少なくとも、一週間くらいは…。一週間は生殺しになる事も覚悟しなければならない。
うだうだと自分の体と格闘する事、20分くらいだろうか。もやもやと欲を押し殺し、死にそうな俺の気持ちなんて橘は全く考えておらず、腰にタオルだけを巻き、髪を乾かしながら風呂場から出てきた。その姿をつい凝視しては、クラクラと目眩を覚える。生殺しにもほどがある。厚手の真っ白なタオルは腰の低い位置で巻かれ、見事な腸腰筋が見えていた。もっと腰の高い位置でタオル巻けよ。なんなら乳隠しに巻いてくれ。そうしたら滑稽で、俺の欲も一旦は治るだろうに。何をしたって格好が良いから腹が立つし、ムラッとくる。
欲望まみれに見られてる、なんて微塵にも思ってないであろう橘は、テレビの前に腰を下ろすと冷たい水を飲みながら、「良い湯だった、お前も入って来い」と顎で風呂場を指した。そりゃあ、入りますけど。あんたのそのセリフは夜のお誘いじゃねんだろうなと、俺はテーブルを片して肩を落としながら、「頂きます」と風呂場へ逃げ込んだ。
完全に熱を持っていた体に腹が立った。鎮まれと念じながら風呂に入っていたら見事にのぼせ、茹だったままリビングルームに戻った。普段は長湯なんてしないが、30分以上は風呂場にいたろう。リビングは既に間接照明だけになっていて薄明るい。テレビは消され、8時頃から眠かったであろう橘は既に寝室だった。もう寝たかな。寝たよな。そう自問自答しながら、寝室のドアをそっと音を立てないように開けた。
「…あ、起きてたンすね」
橘はヘッドボードに寄り掛かりながら分厚い本を読んでいた。いかにも極道者らしい出立の橘だが、意外にも読書が趣味である。部屋の本棚にはずらりとジャンルの幅広い本が並んでいた。
橘は読んでいた本から視線を上げて茹だっている俺を見上げると、「茹蛸みてぇだな」とおかしそうに笑った。俺はそのままベッドの端、橘の足元に腰を下ろしながら、湯に浸かりすぎてのぼせたのはあんたのせい、そう思いながら口にはしなかった。
「入りすぎました」
ボフッと勢いよく上体を後ろに倒して橘を見上げると、橘は怪訝そうに眉を顰めて俺を見下ろす。
「そうだな。…って髪濡れてンじゃねぇか」
シェルフから薄手のタオルを引っ張り出すと、それを俺の頭に投げ、俺はタオルを受け取りながらうつ伏せに体勢を変えた。確かに、髪が濡れてたら掛け布団が湿ってしまう。ガシガシと片手で髪をタオルで乾かしながら、足をぶらつかせ、橘を下からじーっと見上げた。橘は本に視線を戻し、俺は気兼ねなく、そして平常心で橘を凝視できた。ずっと見ていても飽きないし、ずっと見ていたかった。規則正しく上下する胸も、伏せられた瞳も、気難しそうに寄る眉間の皺も、橘が生きてると実感できるから。生きていて、尚且つ、ここにいる。手を伸ばせば触れられる距離にいる。嬉しくて、つい頬が緩み、あまりにもニヤニヤといやらしく見過ぎてしまった。橘の鋭い瞳がうざったそうに俺を見つめ返した。
「……お前は人をじっと見る癖があるよな」
「え、そうすか?」
まぁ、確信犯だけど。すっとぼけて小首を傾げると、橘は本を閉じて、俺の目をじっと見つめた。それはもう数秒間、じーっと。橘にまじまじと見られるのは怖い。殴られそうで、背筋が寒くなる。そっと視線を逸らすと、橘は揶揄って楽しかったのか、ふっと犬歯を剥き出した。
「…揶揄ったンすか」
「じーっと見られる身にもなれ」
「すんません……」
俺はぺこっと会釈するように軽く頭を下げて、布団の上に座り直した。胡座を掻きながら叱られた犬のようにしょげて見せ、髪をタオルで適当に拭き、なるべく橘を見ないように視線を本棚やらクローゼットやらに散らしている。
「なぁ、桜」
「は、はい」
名前を呼ばれ、視線はまた橘へと引き戻される。橘はトンと自分の首筋を指差した。その仕草が妙に色っぽくてドキリとするが、橘にそんな意図は皆無である。
「お前のその首筋から鎖骨にかけての火傷痕、ガキんちょの時についたやつか」
「あ、これ? かなり薄くなってるのに、よく気付きましたね。あんたが助けてくれた時のです。俺、よーく覚えてるンすよ、この時のこと」
「へぇ、記憶力良いんだな」
バカ。そうじゃねぇよ。俺の記憶力の良さというより、あんたとの記憶が重要で忘れられるものではないって事だろうが。あの時のあんたとの思い出は全て覚えてんの。そう口をついて言いそうになり、言葉を選びながら、橘の方に体を向ける。
「あんたが駆け付けてくれて、火傷した箇所に必死になって冷水掛け続けてくれて、そんでヒーローみたいにクソ男をやっつけた。救急車を呼んでくれて、…で、……それっきり」
あの時は何が何やら分からなかった。ただ、知らない大人が優しく声を掛けてくれて、その後施設に入れられて、橘、いや、にぃにとはそれっきり会う事はなかった。ひどく悲しかった。辛くて、苦しくて、にぃにに会いたいと何度泣いた事か。
「俺は子供だったし、あんたの居場所なんて分からないし、その後すぐに施設に入れられて、俺は毎日あの写真を見てたンすよ」
橘は柔らかく微笑むと、「そうか」とだけ呟いた。俺にとってのヒーローである若かりし頃の橘は、目つきは悪いが顔立ちの良い不良って感じだったなと、写真を思い返していた。そんな俺にとっての宝であるそのポラロイド写真は、今はシェルフの中にある、宝箱の中に入っている。必要最低限の荷物と共に引っ越して来たのは、つい一週間前の事。橘の留守中に引っ越し作業を終え、こうして寝室にも俺の物が置かれている事が、なんだかとても感慨深かった。
でもひとつ。橘から口に出してほしい事がある。それは、もう一枚のポラロイド写真の事についてだった。
あんたも肩身離さず持ってたんでしょ? そう言葉に出してしまいたいが、俺が知っていてはならない事だから出せなかった。
「あの写真見てるだけで元気貰えるンすよね。ね、あの時、もう一枚写真撮ってましたよね? 覚えてます?」
橘は片眉を上げた。少し言葉を喉に詰まらせているらしい。子供の頃の俺の写真を手帳に挟んでる、とは白状しにくいのだろう。でも言って欲しい。俺はにやりと頬を緩めながら橘に近付いた。
「捨てちゃいました?」
悪戯っぽく言うと橘は口角を上げて布団から抜け出した。どこへ行くのかと目で追うとデスクの引き出しの中からあの黒革の手帳を取り出し、そしてポラロイド写真を一枚掴むと俺に差し出す。
「捨てるわけないだろ」
素直に写真を差し出され、俺の心臓はまた撃ち抜かれる。つまり、あれから忘れる事なくガキんちょの事をずっと思い続けていた、という事を、今俺に伝えてくれた。その事が心底嬉しくて、緩んだ頬は直りそうにもない。
「そっ、か…。嬉しいもンすね。再会すべくして再会したって感じで」
写真を受け取ってまじまじと見つめる。細くてボロボロな鼻垂れ小僧がそこにはいた。
「俺はお前がカタギの世界で真っ当に生きて、健康にいてくれりゃぁそれで良いと思ってた。この世界にいる俺はお前とはもう関わっちゃならないってな。でも、お前があの時のガキんちょだって分かったら複雑でな。どうしてこんな危険な世界に来ちまったんだ、って思う一方で、お前がここにいる理由は、俺を探してだと言うからさ、俺のせいか、と思う反面、そこまでして…と、嬉しくもなる」
橘はそう言って俺の隣に腰を下ろした。
「喜ぶべきじゃねぇとは分かっていながら、そこまで会いたかったのか、って。そう思うと、嬉しいもんなんだよなぁ。…この写真を毎日眺めては溜息をついてたあん時の俺に言ってやりたいね。再会して、ガキんちょは逞しく、格好の良い大人になってる、ってサ」
もう、無理だと思った。俺の写真を見ながら、毎日溜息ついてた話をする橘が悪いと思う。そんな愛おしい話しをされて、付け加えるように、逞しく、格好の良い大人になってる、なんて褒められて、そんなの平常心なんて何処かに飛ぶだろ。
けど無理はさせられない。それはよく分かっていた。だから俺は橘の頬に手を寄せ、様子を見ようと啄むように唇を重ねる。きっと最後までは出来ないし、今の橘にはさせちゃいけない、そう思っているのに、柔らかな唇に唇を重ねてしまうと、橘の甘い吐息が口端から漏れて出て、歯止めはどうにも利きそうになかった。
「…ん」
そっと舌を重ねて、ふと気付く。唇を離し、眉間に皺を寄せていた俺を橘は、軽く睨むように上目に見た。本人は睨んでるつもりなんてないのだろうけれど、目つきが悪いからどうしても睨まれているような気がするのはいつもの事。橘は唇を手の甲で拭いながら、「いきなりすぎるだろう」と呟くように言葉を吐いた。
「……それに関してはすんません。本当に嬉しくて、…どうしようもなくて。つい舞い上がっちゃいました。あの、嫌なら殴って良いです、けど……」
「気になるか」
橘の片眉がゆるりと上がる。俺が何に対して驚いているのか、もちろん分かっているのだろう。俺がこくこくと頷くと、橘は口端を軽く上げて笑った。そして、ベッと舌を出す。赤い舌の真ん中にシルバーのボールが剥き出し、突き刺さっている。今の今まで全く気付かなかった。だって橘は大口を開けて笑わない。キスも今までは本当に触れるような軽いキスだけだったのだから、まさかそんな所にピアスを開けているとは予想もしていなかった。
「どえろい……」
意外性の塊かと俺は目を見開きながら、つい言葉は溢れていた。けれどその時、あの誠司さんとか言ういけ好かない紳士と橘が再会した時の事を思い出した。確か、あの時、あの人に強引にキスされて、まだ開いてるんだ、って言われてたよな…。となるとそうか、これはあの人との思い出。橘さんはあの人の事、まだ忘れられないのかな。…いや、でも橘さんは言ってたよな。今でも開けているのはあんたの為じゃないと、否定してたよな。自分の一部だから、と。それならこれをつけ続けている事と、あのいけ好かない紳士はもはや繋がらない。
俺の知らない橘が無限に湧いて出てくるようで、嫉妬に嫉妬を重ねそうだが、今、この人に触れているのは俺。今、この人に最も近いのも俺。これから知っていけば良いと、橘は言ってくれた。橘は俺の隣を選んでくれた。
だからそう嫉妬してばかりいるのも違うンだけどなぁと口を歪め、勝手に思い詰めていると、橘は俺をじっと見つめて「で、どうする?」と首を傾げる。
「続き、すンのか?」
甘く誘うような声色に、抱いた嫉妬心も悩みも吹き飛んだ。
「けど、…大丈夫なンすか。その、傷はもう、痛くないすか」
「心配しすぎだ」
片眉を上げて橘は左の脇腹にある傷痕に触れた。空畑さんに撃たれたその傷痕は、男の勲章のようで逞しさを演出させ、橘の艶やかさを引き立たせている。この人の妖艶な容姿と仕草は異常なのだ。
俺は静かに呼吸を整えながら、あまりがっつかないようにと言い聞かせて手を伸ばした。橘は抵抗せずに押し倒され、俺はその柔らかな髪の中に指を滑り込ませて顔を近付ける。互いに熱っぽい瞳を向け合うと、橘の視線がゆるりと俺の唇に下がった。それを合図にしたように、甘く唇を重ねるともう理性なんて保てなかった。ただただ、気持ちが良い。心底気持ちが良くて心臓が弾む。あまりにも橘とのキスが気持ち良すぎるせいか集中してしまい、軽く胸を押し返されて我に返った。
「…がっつきすぎだ、……息が出来ねぇ」
息を弾ませる橘なんて見た事がなかったから、顔が熱くなり、俺はそっとその首筋に埋もれて熱い息を漏らした。
「どうしよう…」
「何がだ」
「最後までしたいンすけど。…でも、あんたに負担は掛けられない事は分かってンすよ、でもでも…」
がっつくなと言い聞かせてはいたものの、全く無意味だった。そっと首元に額を押しつける俺に橘は、くくっと喉奥で笑う。俺は上体を上げて橘の顔を見下ろすと、橘は俺の熱りに視線を下ろした。
「そこ、そんなにしといて言うセリフか」
腰に巻いているタオルがなんとも滑稽に見えた。無い方がよっぽど男らしい気がしてくるが、今外して自己主張しまくるソレを見せるのも恥ずかしい。
「すんません…」
「なぁ、桜」
「はい…」
申し訳ない気持ちのまま橘を見ていると、橘は首を傾けて俺を見上げた。
「退院したら抱かせてやるって言ったろ」
熱を帯びた瞳に見つめられると、体の芯が火照るようだった。橘は少し上体を起こすと俺に腕を伸ばす。掌が頬に触れ、それから髪に指を滑り込ませて後頭部へ回した。
「お前の好きにして良い」
人はあまりにも興奮すると固まってしまうのかもしれない。しばらく固まっていた。それからドッと噴火した気分だった。現実にはフンスと鼻息だけを鳴らしているのかもしれない。次第に橘は何もしないのかと怪訝に眉を寄せるから、冷められるとマズイ、とようやく脳が体を動かした。
「す、少しでも傷が痛くなったり、しんどかったら言って下さい」
「だから心配しすぎだって言ってンだろ」
呆れた橘は俺から手を離すと、後ろに倒れ、両肘をベッドに押し付けて上体を支える。軽く腹筋に力が入り、綺麗な筋肉の線が余計に強調される。橘の顔を見ながら恐る恐る頬にキスを落とし、髪を横に流しながら耳朶を甘噛みする。橘は呆れただけで別に怒ってはいないようで、俺にされるがままになっている。耳朶から首筋を撫でるようにキスを落としていくと、橘の体がひくりと反応した。
「まじで、最後までしますからね」
「…っ、そう念を押すな」
「だって後悔されたら悲しいじゃないすか」
「しねぇよ。好きにして良いって言ったろ」
その言葉を聞いて橘をグズグズにしたいと、妙な加虐心に火が着いた。厄介だ。橘は退院したばかりだし、何より優しく、大切に抱きたいと思ってはいるのに、脳も体も橘の反応に刺激されてもっと"良い顔"を見たいと盛ってしまった。
どれほのどの時間が経ったろう。互いに肩で息をして、橘は軽く息を整え、俺はそんな橘の背中の三日月にそっと指を這わせた。
「やっぱ、あんたの墨って別格です。格好が良くて、美しくて、艶やかで……、あんたにピッタリです」
橘さんはふっと柔らかく笑った。その笑顔があまりにも美しくて、心の声をぽろりと漏らす。
「……橘さん、好きすぎて死にそう」
橘さんは「分かってる」そう呟くと、ベッドにごろんと横になった。
「俺ァこのまま寝るぞ。お前は好きにしろ」
眠さのせいだろうか。甘ったるさを残して柔らかな雰囲気の橘に、俺の心臓はまた騒がしくなる。この人は本当にどこまでも愛らしい。落ちるように眠りについた橘の頬にそっとキスを落とし、俺はシャワーを浴びようとベッドを下りた。
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