八、約束の薔薇1

 女学校の授業のあいまに、鶴は目の前の紙をにらむようにして頭を抱えていた。手には鉛筆を持ち、紙面はすでに半分ほど埋められている。その内容が目下鶴にとっての大問題で、今日の鶴は授業中も半分上の空だった。

「お鶴ちゃん、ずいぶん悩んでいるじゃない。今日の授業、そんなに難しかった?」

「駒子さん、違うの。……あのね」

 気恥ずかしくて声が小さくなった鶴に、駒子は頬を寄せるようにして耳を近づけてくる。そのひとみには大きく好奇心が浮かぶ。

「秋人さまから……お手紙をいただいて。その返事なのだけれど」

「あら、別居に戻ったの?」

「いいえ、ちょっと、そう、秋人さまのお仕事がお忙しくて、なかなか顔を合わせられないから……秋人さまが、わたしがどのように過ごしているかお知りになりたいとおっしゃって」

「まあ!」

 駒子が目をきらきらさせて、華やいだ表情になる。遠慮しつつも期待がおさえられないふうにちらと鶴の机上の紙を見やり、それから目を丸くした。

「あら? でもそれは課題の……?」

「違うの。これは……秋人さまに、わたしの学校での出来事を書こうと……していたら、なぜか……」

 鶴の手元の紙には、算術三問、歴史の資料は図書室の三つ目の棚、裁縫は刺繍の道具を用意すること、家事の授業・米は炊けた……等々が書き連ねられていた。秋人に、鶴の普段のようすが知りたいと言われて鶴が書き出した〝普段のようす〟である。

 だが、秋人が期待しているのがこういうものでないことは、鶴にもさすがにわかっていた。

「お鶴ちゃん、これはあんまりじゃない?」

「わたしもそう思う……」

 鶴は、婚約者へ向けた手紙の書き方などなにひとつわからなかった。わからないなりに、これはなにか違う、と思う。

「どうせ書くなら、お裁縫の授業で縫い目が不揃いになってしまったこととか、家事の授業で卵焼きがちょっと焦げたけどおいしく焼けたこととかのほうがいいと思うわ」

「そんな、恥ずかしい」

「完璧なお嬢さまより、ちょっと隙があってかわいいほうがいいのよ。お鶴ちゃん、流行の小説は読んでる?」

「みんなに貸してもらって……」

「それによると、殿方にとって女は可愛げがあるほうがいいのですって。私は可愛げより実を取るけどね。それで女のくせに可愛くないって言われても、こっちから願い下げだわ」

 駒子は相変わらず殿方に厳しい。それでいて、鶴には「お鶴ちゃんは可愛げを身につけているんだから、それで勝負に出るのよ」などと言う。

「可愛げなんて……わたし、いろいろ不器用なばかりで、ただでさえ失敗のほうが多いのに……」

「一見、取り澄ましたお嬢さまみたいなお鶴ちゃんが、不器用ながらがんばって縫い物をするすがたなんて、素敵よ。それはそれは慎重に転がしていた卵焼きが焼けたって、うれしそうにしているところも可愛かったわ」

「そんなこと書けない」

「あら。柊木さまは、まさにいまのお鶴ちゃんみたいなところを知りたいのだと思うわ」

「もう、駒子さんったら」

 鶴は下書きの用紙を折り曲げ、反故にした。机に突っ伏してしまいたいくらいだが、はしたないと思って背は伸ばしておく。

「お鶴ちゃん、柊木さまに、どんな便箋でお手紙を書くの?」

「わたし、便箋を持っていないの。だからこれと同じ紙しか……」

「それはいけないわ!」

 駒子は鶴から紙を取り上げ、きっぱりと首を横に振った。いままでにない勢いだった。

「殿方と文通するのに、綺麗な便箋は必須よ。ねえ、今日の放課後は暇? お買い物に行きましょうよ、便箋を買うのよ」

 駒子は決意に満ちた声音で言った。鶴よりもよほど張り切っていて、みなぎる力に、鶴はおされるがままうなずいた。





 百貨店の文房具売場に、鶴が足を踏み入れるのは初めてだった。整然と並ぶ数々の文房具に、ときどきガラスのケースに展示されている高級な筆記具や細工品などがあり、鶴はおっかなびっくり駒子の背について通路を進む。駒子は迷いなく便箋や封筒の陳列された一角に足を進めると、ずいと鶴の肩を押して前に立たせた。

「さあ、選ぶのよお鶴ちゃん。お鶴ちゃんから柊木さまに贈るにふさわしい便箋を!」

「ええ……っと……」

「楽しまなくちゃ。こういうのも文通の醍醐味なんだから」

 うながされるまま、鶴は陳列棚を流し見た。仕事に使えそうなまじめそうな便箋から、可愛らしい色に染められたいかにも女性向けの便箋まで、ずらりと並んでいる。

「平安のお姫さまたちだって、歌を書き付ける紙にはそれは気を使ったものよ。まして婚約者に贈る文の便箋が味気ない事務用紙だなんて、そっけないにも程があるの。紙にも心が滲むものよ。あら、この薄緑なんていいわね、雪解けの季節を先取りして」

 あれやこれやと便箋を見比べる駒子は楽しそうだ。つられてか、鶴の心も次第にはずんできて、色とりどりの便箋に目を奪われた。

 文字を書き付けるものだから、どれも薄めの色あいだけれど、そこがまた慎ましくて、鶴に引け目を感じさせない。駒子によれば、季節に合わせて並べられる品は変わるそうだが、いま目の前にある便箋たちも数多く、美しい色を見て回しては、どれが秋人に似合うだろう、と次々に目移りしてしまい、選ぶのが難しかった。

「ううん……どれもきれいで、よくわからない……」

「柊木さまを連想させる色はないの?」

 鶴は、秋人がよくくれる薔薇の花をまっさきに思い浮かべた。

 赤、薄桃に茜色、白。

「……お似合いの色、たくさんある……」

「うまくやっていそうで、よかったわ」

 鶴はたいそう悩んでいるのに、駒子は明るくほほ笑んだ。



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