七、想いの期限2
朝食のあと、鶴は秋人と別れて図書室に立てこもった。そうしなければ、秋人との会話や触れあいのささいなことでいろんなものが飛んできたり倒れてきたり、そのたび鶴は結界を張ったりシロちゃんに引っ張られたりと、まったく落ち着かなかったのだ。
それでも、おかげでずいぶん呪いの正体に近づいたと思う。執拗に鶴を排除しようとする嫉妬のようななにか。なぜそれが鶴を邪魔にするのかがわかれば、解決はほど近い。鶴はあらためて新しい紙に、食事の間に秋人から聞き取った呪いの情報を記していった。
「秋人さまのことは傷つけないこと。秋人さまの個人的な関係の人を狙うこと。お仕事に影響はないこと。秋人さまと親しくしようとすると起こるものだということ。このお屋敷のなかに限られること。およそ八年前から起こり始めたということ」
声に出して読み上げ、考える。いったいなにが目的なのか。
秋人の母親は幼少期に亡くなっていて、以降、彼はこの屋敷に父と祖母とで暮らしていた。八年前、秋人が十八のときに父と祖母が事故で亡くなり、それ以来は、使用人を除けば、彼はひとりだった。呪いによる事故が起こり始め、使用人もひとりふたりと屋敷を去り、数年前から、秋人はたったひとりでここに住んでいる。
それが秋人の話した経歴だった。
呪いが秋人をひとりぼっちにした。なぜ、そんなことをしなければならないのだろう。
「ねえシロちゃん、呪いといっても、こんなやきもちみたいなものが、そんなに長く続くものなの?」
「情が、いつまで続くかというのはわからないものだよ。ごく短く終わるものもあれば、来世までと約束するようなものもある。猫は七代先まで祟るというね」
「猫……」
鶴はふと、シロちゃんを眺めた。猫が七代に至るのに何年かかるか知らないが、シロちゃんはきっと、もっと長く存在している。
あらためてその存在が不思議で、ふと思いついて、シロちゃんの手を握ってみた。
冷たくも熱くもない。温かくもない。なにも感じないというのが、どうにも不思議な感触だ。
「鶴?」
「シロちゃんって、冷たそうだと思ったけれど、そうではないのね。でも温かくもない。人の身体とは違うの?」
「これは実体ではないからね。僕は封じられた存在だ。ちょっとだけ残った力を使って、こうして人に姿を現してみせたりはできるけれど、毒にも薬にもならない程度だよ」
「封じられた? 昔、なにか悪さをしたってこと?」
「うーん……」
シロちゃんは目を細め、口をつぐんで中空に視線を逃した。彼の物言いがはっきりしないのは珍しい。口が滑っただけ、というよりももっと、なにか失態を悔いているようにも見えた。
彼は物心つくかどうかの幼いころから鶴のそばに現れていて、鶴も幼かったため、あまり何者であるのかを気にしたことがないまま今日までともに過ごしてきた。
ぼんやりと、真白と関係のあるあやかしか神さまかなにか、とだけ思っている。鶴にとっては、寂しいときにそばにいてくれて、話をしてくれたり、諫めたりしてくれる、兄のような友だちのような存在だ。正体についての疑問などその程度だったから、軽い気持ちの問いかけが彼に苦い顔をさせるなんて思っていなかった。
「言わなくていいよ、言いづらいなら」
「いや……」
言わなくていいことではないから、とシロちゃんは前置きした。
「いまのきみには、むしろ言うべきことなのかもしれない。僕はね、昔、……いまも一応、きみの家の式神だよ。きみのずっと前のご先祖様が僕を造った。そのまま今まで……で、いられたらよかったのだけれど」
「今は違うの?」
「僕と君たちとの関係は歪んでしまっている」
「……え」
「鶴には何の罪もないけどね」
表情を曇らせる鶴の頭を、シロちゃんが撫でる。そして、諦めるように肩から力を抜き、鶴の正面に回った。
「僕は代々きみの家の当主に引き継がれていた。だが、途中、当時の当主から先代に向けての呪いとして差し向けられたんだ。それを返り討ちにされてそのへんにあった刀に封じられたもの」
シロちゃんは鶴の袖を指して言う。そこには真白がある。
鶴ははっと袖の上から真白に触れた。
「それが今の僕だ。君たちを守るはずだった。でも、傷つけるよう命を受け、それが今も僕に残っているように感じる。だから力を取り戻したくないんだよ」
「そんな……」
愕然とする鶴をまた撫でて、シロちゃんは苦く笑った。
「目覚めたとき、刀が受け継がれていて驚いたな。封じて、焼き捨てられるものと思っていた」
「どうして……シロちゃんを、呪いに使うなんて」
「そんなこともあるんだよ。当主は、先代の力を妬み、恐れていた。その当主が持っていたなかで、もっとも強いのが僕だった、それだけのこと」
「そんな、ひどいことをわたしのご先祖様が……」
「僕は僕の所有者、当主に絶対服従だ。今は鶴にね。君たちはいつしか僕がどういうものか、自分たちが何をしたのか忘れてしまったけれど、それが人の何よりの恐ろしさだと思うよ」
シロちゃんの言葉は変わらず平坦な声音で語られるけれど、内容こそ鶴を傷つけようとしたようでいて、その実彼自身を打ちのめしたかのようだった。
表情のとぼしいなかでも、苦しそうに見えるシロちゃんの袖を引いて、顔を覗き込む。
「……でも、シロちゃんはわたしのこと、嫌いではないのでしょう」
「好きだよ。きみたち人は恐ろしいが、恐ろしいばかりではないのを知っている」
シロちゃんは、だからこそ、と沈む声音で続けた。
「きみはいつか、この話を忘れないうちに、その刀を壊しておくれ」
「壊したらどうなるの?」
「僕は消えるはずさ。刀が封印の媒体であったなら封じが解けてしまうけれど、そうではなく、僕自身が封じられているものだからね」
シロちゃんは悲しそうにほほ笑んでいた。自分がそんな顔をしていることに、きっと気づいていないのだろうと鶴は思った。
初めて会ったときより、シロちゃんは人らしくなった。寂しい鶴をなぐさめるために、人に寄り添おうとしてくれたためかもしれない。
それなのに、鶴はシロちゃんをわかろうとしてこなかった。その結果が今だ。
「シロちゃんの力を、ずっと借りてた。わたしが、シロちゃんにひどいことしてたんだ……」
秋人の呪いについてまとめるために握っていた鉛筆が、手の中から力なく落ちた。
よき友人、よき兄、シロちゃんは鶴にとって家族より身近なものだった。彼のやさしさに甘えて、彼の言葉にあまやかされてきた。真白を守り刀だと思い、切り離された彼の力に頼りきって得意になっていた。シロちゃんがどんな思いで鶴を見守ってくれていたか、考えもせず。
「わたしも、ご先祖様と一緒だ」
鶴は唇を噛んでうつむいた。
きっと、これから先も、鶴は真白の力とシロちゃんをたよりにしないと自分の願いを叶えられない。シロちゃんを利用したご先祖さまと鶴は、なにも変わらない。
机の上で両手を握りしめ、その手をにらみつけるように見下ろす。
シロちゃんは、鶴の力ではない。なのにいつの間にか思い上がって、自分なら秋人の呪いをどうにかできると、どうにかするのが自分の役目だと思ってしまった。そんな自分が、悔しくてならない。
でも、それでも。
「……ごめんなさいシロちゃん。でも、わたしには、あなたの力が要るの」
秋人を助けられて――自分の居場所を得ることのできる、たしかな力が欲しい……。
鶴の手から落ちて転がった鉛筆を、シロちゃんが鶴の手の近くにそっと戻す。
「僕は、鶴のことをひどいとは思っていないよ。彼を助けようとする思いはきみのものだ。それが何より大事なんだよ」
「でも……」
「今までも、きみが望まなければ、僕は何もしてこなかっただろう」
それはシロちゃんの言う通りだった。
鶴が望むことにしかシロちゃんの力を使わなかったからこそ、そもそも鶴が知り得ない事情や、シロちゃんの正体に、触れる機会もなかったのだ。
今までの鶴の望みは、ごく狭く、ささやかなものでしかなかった。大それた願いを叶える力などないと思っていたし、家と学校の往復では、鶴が関われる物事はあまりに少ない。
「鶴。きみはこれから、いろんな望みを抱くだろう。僕はそれに力を貸すことをいとわない。代わりに約束してほしい。きみがいつか必ず、僕を壊すのだと」
「…………」
シロちゃんはあまりにもあっさりと言った。鶴に打ち明けるかをつかの間悩んでいたときの表情と違い、肩の荷が下りたとでも思っていそうな、悲しげだがすっきりとした顔をしている。
「僕の力を、どこかで断ち切らなければ、何が起こるかわからない。僕の存在を知るものも、もうきみひとりしかいないんだ」
「そんなの、でも、シロちゃんはなにも悪くないじゃない。わたしのご先祖さまがひどいことをしたから……!」
「でもね、当時としては、式神を使役して人を呪ったり返り討ちにあったりというのは、ふつうのことだったんだよ」
そんなふうに言われても、鶴にはすんなりと納得できるはずがなかった。鶴といまここに居るのは、いまの彼だ。かつての主に怒ってもいいし、壊されることを拒んでもいいはずなのに、シロちゃんは鶴を案じるばかりで、悲しみも苦しみも自分のなかに収めてしまおうとしている。
「そんなに悲しいことが、ふつうなの?」
今の鶴には、どうしようもできない。涙をこらえて問いかける。
「シロちゃんをもとに戻す方法はないの?」
「どうだろう。術の研究が盛んだったころ、それこそ僕を呪いに変えた者たちならば知っていたかもしれないけれど、いまはもう失われた技術だろうね」
鶴は手を握りしめた。それならば自分がやると言えない。
方法があるならそれを探して、失われているならば自分で研究して、彼を自由にする手段を見つけだす。それが、鶴にとって途方もなく困難であることは、想像に難くなかった。
伝手もない、資料の在処もわからない。この世の中で、鶴のような小娘が――ろくな後ろ盾もない女が、人ならざるものと深く関わりをもち、解放する手段を研究するなど、どれほど困難だろう。
「……わたしが死ぬときまでにどうにもできなかったら、わたしがあなたを壊してしまうから、それまで待って。必ず、わたしが始末をつけると約束するから」
「約束はいけない。人はいつ死ぬかなんてわからないんだ。もしきみがふいに命を落として約束だけが残ったとしたら、それは変質してしまうかもしれない。きみと僕が交わした約束が、もしかしたらうっかり遠い将来まで引き継がれてきみの子孫を困らせるなんて、あってほしくないだろう?」
「だけど……っ」
反論にはつたなすぎるとわかるから、数秒、言葉に詰まった。けれど伝えるべきことだと勇気を出して声にする。
「……それでも、わたし、諦めたくない」
「鶴、いまきみが探し出して消そうとしているものと同じように、僕もまた呪いなんだ」
「呪いってなに。シロちゃんは呪いなんかじゃない。わたしの大事な……」
「冷静になって、鶴」
握った手のひらに爪が食い込むほど力をこめて、鶴は暴れたいような衝動を押しとどめた。そんなのはひどいと言って、子どものように泣いてしまいたい。
「呪いって、なんなの。どうしてみんなを悲しい目に遭わせるの。なんのためにそんなことするの。どうしてそんなものがあるの?」
〝あれは、呪いだ。〟
ふいに、鶴の耳に、低くうなるような父の声がよみがえった。たまらなくなって、鶴は顔を覆った。指の隙間から涙がこぼれた。
「お父さまはわたしのことを呪いだって言った。お父さまにとって、わたしは呪いだったの。わたしもお父さまを苦しめていたの? どうして?」
『鶴、それは……』
「鶴?」
あまりにびっくりして涙が止まった。鞠が跳ねるように顔を上げた先に、シロちゃんではなく秋人がいた。
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