六、そばにいること5

「なにも解決していない」

 秋人と就寝の挨拶を交わしてから戻った寝室で、シロちゃんが不機嫌を顔いっぱいに張り付けて待ちかまえていた。

「鶴をあんな目に遭わせて、なおそばに居てほしいなどと図々しいにも程があるだろ」

「話を聞いていたの? わたしがそうしたいと思っているの」

「盗み聞きなんかしない。途中まで、真白の力を通して聞こえていただけさ。僕に元の力があったら、あんな男、呪いごと吹き飛ばしてやるのに」

「いまさらやっと力を取り戻したいと思うようになったの?」

「ならないね」

 いつになくつっけんどんな口ぶりでシロちゃんはそう言い捨てた。鶴はいくらか驚いた。シロちゃんの口から、はっきりと『元の力はいらない』という趣旨の言を聞くのは初めてだった。驚くと同時に、なぜなのだろう、という疑問も湧く。けれどいまはそれどころではなかったので、いったん、その問いは忘れることにした。

「解決はしていないけれど、進捗はあったよ。呪いは秋人さまを避けるの。つまり、秋人さま自身が呪われているというより、秋人さまに関わる人たちへ向けて、呪いが発動するということでしょう?」

「本人が術者という可能性を忘れていないかな」

「わたし、そうは思わない」

 二度目になる問答に、今度の鶴ははっきりと強い口調でそう答えた。

「なんで鶴はあんな男のことを信じられるんだ」

 シロちゃんは、鶴が休むのを邪魔するように、鶴よりも大きな身体を勢いよくベッドの上に投げ出した。駄々をこねる子どものような仕打ちにも、鶴の大きなベッドは軋みすらしなかった。シーツにもしわひとつなく、彼が人ならざるものであることを見せつける。

「シロちゃん、どうしてそんなに秋人さまのこと嫌いなの」

「僕が嫌いだってより、あいつがわがままだって話だよ」

「やさしいかただよ」

「……僕はきみより、人の心の醜さを知ってる。やさしいふりをして、ほんとうは非道いのを隠している奴かもしれない」

「でも、もう出会ってすぐというわけではないのに。そこまで疑うことなんて……」

「どれだけ長いつきあいでも、本性を隠す奴はいるものさ」

 いつも物腰穏やかで、鶴との言い合いも適当なところで折れてくれるシロちゃんが、今夜はやけに強情だった。鶴は寝台の端に腰掛け、大の字になっている彼の真っ白で綺麗な髪をすくって撫でる。手ざわりというほどの感触もなく、水よりもなめらかに手のひらから落ちてゆく。見えているのに触れていないかのようだ。

「なにかあったの、シロちゃん」

 シロちゃんはちらりと鶴を見上げたあと、少し黙って、人であったならば一呼吸ほどの間をあけた。

「……僕は、きみにしあわせになってほしいと思っている。ほんとうだよ。でも、なにもできない自分が歯がゆいんだ」

 シロちゃんの声音は相変わらず平坦だったから、そこから彼の苦しさのほどを推し量るのは難しかった。けれど、彼がこういうことを言う珍しさから、それだけでも、聞こえるよりずっとつらいのだろう、と感じ取った。

「シロちゃんは大事なお友だち。昔からずっとこうしていてくれて、わたしがどれだけうれしかったか、わかるでしょう。なにもできないなんてことない」

「…………」

 鶴がやさしく声をかけても、シロちゃんは厳しい目つきで天井をにらみ、口もとを引き結んでいた。彼のひどく強ばった表情を、鶴は初めて見た。

「シロちゃん」

 なにかを言ってあげたいのに、なにを言えばいいのかわからず言いよどむ鶴を、シロちゃんは天井から視線を移して見上げてきた。にらみつけるような強いまなざしではなかったけれど、髪と同じように真っ白で、まるで薄い幕をかけたようなひとみは、常になくなにかを隠しているように見えた。そのひとみを、彼はまぶたの下に隠し、さらに両腕で覆って見えなくする。まるきり人がするのと同じ仕草で、鶴は一瞬だけ、彼が人ならざるものであるのを忘れたくなった。

「……ごめんね。僕も頭を冷やすよ。おやすみ、鶴」

 一方的に言って、その姿がフッとかき消える。シーツはやはり朝に鶴が整えたままピンと張られ、シロちゃんがそこに居たあかしはなにひとつ残らない。

「……おやすみ、シロちゃん」

 鶴はひとりでつぶやいて、冷たいシーツの下に潜り込んだ。

 シーツはすぐにあたたまった。秋人のくれた約束が、鶴の身体をまだ温めている。目を閉じて、心臓がまだ落ち着かないのをなだめながら、今度はシロちゃんのことを思う。

 シロちゃんはいつでも正しく、やさしいものだった。でも、初めて言葉を交わしたくらいの幼いころ、彼を少し怖いとも思っていた。人ならざるものらしく、彼の価値観は少しだけ人とは違う。互いのあいだには違いがあるのだと鶴が理解するころには、シロちゃんの物腰は幼子を相手にするのにふさわしく柔らかになり、鶴にとってうんと年上の兄のような振る舞いをするようになった。

 変わるのは人の心だけではないのだ。

 ふと、鶴はそのことに思い当たった。

 シロちゃんはいつでも正しくやさしいが、いつか見た絡繰り人形とは違って、いつも同じことを繰り返し言うわけではない。状況や、彼の感情に応じて、まるきり人と同じように言動を変える。変わるようになった、というのが正しいかもしれない。昔のシロちゃんは、いまよりもずっと無機質だった。

「心は、人も、あなたたちも、同じものなの?」

『……そう言えるのかもしれない。でも、僕の知る限り、人の心も、ひとつとして同じものはないよ、鶴』

 さっき拗ねたように姿を消したくせに、枕もとに置いた真白を通じて、律儀に返事があった。

「あなたの言うとおりだね……」

 もし、心に姿があったなら、もっといろんなことを簡単にわかりあえただろうか。

 でも、見えない心をわかりたいと思って誰かと言葉を交わすのは悪くないものだと、いまの鶴は思った。

(秋人さまの言うことや、シロちゃんの言葉が、わたしを……。そしてわたしも、秋人さまやシロちゃんを変えていくの)

 ぼんやりとしてくる頭で、じっと考える。

 なにかが見えることも、なにかが見えないことも、それがこの世界のかたちなのだ。

 見えていてもわからないもの、見えないからわかりたいと思うもの。

 たくさんのことが積み重なって、鶴と秋人、シロちゃんとの関係を造ってゆく。同じように、多くの人びとや、人ならざるものたちの絡まりが、この世界をかたちづくっている。

「秋人さまを苦しめる呪いは、どんな心なのかな……」

『誰かを傷つけようとする、ろくでもないもの』

「でも、なんのために? そうしたら秋人さまはひとりぼっちになって寂しい思いをなさるのに。秋人さまを寂しくさせたい気持ちって、なに?」

『よほどの恨みを買ったかな』

「…………」

 誰が?

 鶴は勢いよく眠りかけていた身体を起こした。

『鶴、夜は眠る時間だよ』

「そんな場合じゃない。そう、呪いのもとは誰だったの?」

 秋人はいつから独りを選んだのだろう。呪いがどういうものであるにせよ、なにかしら、呪いを受けた時期というのがあるはずだ。

 鶴は夜着のまま机に向かって、書き留めるのももどかしく鉛筆を動かした。深夜だというのに、興奮のせいか、頭がよく回っている。ひとつのことを思いつくと、糸をたどるように別の思いつきが生まれる。

 呪いが秋人を避けるのは、秋人を傷つけないため。なぜ傷つけないのか。守るためか、ほかに理由があるのか。

 誰かが呪いを差し向けたのだとしても、秋人をただ独りにしている現状では、その意図がわからない。なんのために秋人をひとりぼっちにするのだろうか?

「なんのための呪いなの?」

「鶴、昔のように寝かしつけが必要かな?」

「もうちょっと待って、なにかがわかりそうなの……」

「声は半分寝ているのにね」

 唐突に、鶴の手の中から鉛筆が消えた。

 のではなく、いつの間にかふたたび姿を現したシロちゃんが取り上げたのだ。

「なにをするの」

「夜更かしは健康に良くない。ただでさえ呪いに気をつけないといけないのだから、うっかり日中に寝ぼけて次こそ火だるまになるなんて笑えもしない」

「日中……そういえば、わたしが寝ているときに呪いに襲われることはまだない……。どう、シロちゃん、わたしが寝ているあいだ、呪いが襲ってきたことはある?」

「ないね。だから安心して……」

「ということは、条件が絞れそう……」

 口もとに手を当てて本格的に考え込む姿勢を取った鶴の身体を、シロちゃんがまるきり鉛筆のときと同じようにひょいと持ち上げた。びっくりして固まる鶴を寝台に放り、シーツを頭の上まで引っ張り上げて、「おやすみ」と強めに言う。

「子守歌は得意でないのを、きみは知っているだろう?」

「でも、いま……!」

「寝なさい。鶴、僕だってきみが危ない目に遭うのは見たくない。せめてきちんと休息をとって備えておくべきだ」

「……はい」

「安心をおし。本来、夜の暗がりが僕らの本分だ。それを寝ているあいだには襲ってこないということは、彼の負う呪いには暗闇で動けなくなるなにかがあるのか、もしくはきみが寝ていたら発動条件を満たさないのか」

「秋人さまのおそばにいないから……?」

 いままで、鶴が遭遇した呪いは、秋人のいるところで起こった。まるで秋人に見せつけるように。

 鶴はまた紙と鉛筆を取りたい衝動に駆られたが、夜更けというのもあいまって、規則正しく腹のあたりを叩いてくるシロちゃんの寝かしつけにあらがえない。眠りに落ちる直前、シロちゃんが少しだけ寂しそうに聞こえる声で、「こんなことも、もう最後かな」とつぶやいた。

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