第113話 騒然とする王国議会

 戦後の会談から数ヶ月後。


 クラウス・フォン・ヴェッセンベルク伯ら反王子派は、まるで長年の役を演じ終えた役者が舞台を降りるかのような足取りで、静かに領地へと帰還した。


 しかし、その帰還は休息なんかのためではなく───大国に嵐を起こすための一手であった。


 領主館に戻るや否や、彼らは家臣と有力な都市の代表を呼び集め、ただ一言、宣言を発した。


「我らは、王国の庇護を離れ、ヴァルドリアの旗の下に入る」


 宣言は密やかに発せられたはずだった。

 だが、噂は水に落ちた油のように瞬く間に広がり───2日も経たぬうちに、王都ボイエムスブルクへと届いていた。


 王国議会は騒然とした。

 椅子を叩く音や罵声が飛び交う。

 老齢の貴族たちは顔を真っ赤にして立ち上がった。


 反王子派は国内貴族のうち、2割程度。だが、その領地は西部の要衝を押さえており、防衛線を支える壁のような位置にあった。

 しかも、その旗頭がヴァルドリア宰相の実弟、クラウス・フォン・ヴェッセンベルク伯である。

 裏切りの衝撃は、ただ領地を失う痛み以上の意味を持っていた。


「売国奴共を武力で鎮圧せよ!」


 国王の傍らで、エーレブルク公が椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、机を拳で叩いた。

 だが、その言葉とは裏腹に、実際に動かせる兵力はあまりにも乏しかった。

 つい先のヴァルドリア戦で、歴戦の名将ホルンハイムと3万の兵が泥に沈んだ傷は、まだ生々しく開いたままだった。


 その損失は単に兵の数だけではなく、熟練兵、補給路、指揮系統───あらゆる層での損耗を意味していた。


 徴兵令が出されると、各地の村や町から兵士が集められた。

 しかし、駆り出されたのは領地防衛にも不安の残る農兵や若年の兵士ばかりで、数は2万。

 その顔ぶれを見た参謀の1人───法務大臣のヴェルテンは、会議の席で低く呟いた。


「この数字は、意味をなさない」


 離反した領地はすでにヴァルドリアから武具や食糧の援助を受けており、背後には経験豊富なヴァルドリア軍の影が見え隠れしていた。


「王国西側、こちら側の大規模勢力───エルレブルム家は南北から売国奴共に攻撃されている。ヴァルドリアの兵は未だに健在だ。西からヴァルドリアが本格的に援軍として入れば、王国西部一帯はヴァルドリアのものになってしまう」


 それでも。

 やむを得ず王国は小規模な攻撃を繰り返すが、ヴァルドリアに与した離反領は、いずれも容易には落ちなかった。

 それは───各地に、ヴァルドリアの将軍4名が派遣され、尽くの王国軍を破ったからである。


 己の腕力だけを信じる剛将ウルリック・カントール。

 姿を隠しながら痛烈な攻撃を仕掛けるカルリーネ・リービッヒ。

 戦を遊戯版のように俯瞰して捉えられるエグベルト。

 諜報活動や索敵能力に優れたレオンハルト・シュナイダー。


 彼らの采配と働きは、王国軍を確実に疲弊させていった。

 数では優っても、士気も装備も戦術も追いつかない。


 敗北は時間の問題であった。


 そして、その間にも。

 戦場の外でも、もう一つの戦いが始まっていた。


 王都ボイエムスブルクの市場。

 かつては所狭しと並んでいた生活雑貨や絹織物が、日に日に姿を消していく。

 そしてそれに伴って───物価も急上昇。自国内で賄えているはずの食料品ですら、価格が高騰しているのだ。


 理由は、単純だった。


 絹織物は言わずもがな。魔石を用いた道具類はダンジョン産業が盛んなシュウトゥルムブルク産。つまり───それらはほとんどがヴァルドリアからの輸入品だったのからである。

 かつては国力を背景に安く買い叩いていた品々。それはは今や2倍、3倍の値を付けられていた。

 代わりに出回るのは粗悪な代用品や、品質の落ちた模造品ばかり。


「これじゃあ、金貨3枚を払っても、昔の半分の質しかねぇ……」

「ヴァルドリアじゃ、これが5分の1の値だって話だぞ」


 そんな不満の声が酒場や市場、果ては礼拝所にまで広がっていく。


 そこへ追い打ちをかけたのが、ヴァルドリア側に寝返った貴族たちの扇動だった。


「ヴァルドリアでは物価が安定している」

「職人も商人も公平に報われ、貧民街など存在しない」

「王国は古い制度に縛られ、我らの暮らしを食い潰しているだけだ」


 その声は火の粉のように民衆の間に飛び散り、王国への不信感は瞬く間に広がっていく。

 やがて広場の辻説法では、「ヴァルドリアのような国に変えよう!」「腐りきった王国を倒そうじゃないか!」と叫ぶ者まで現れる始末だった。


「クソっ! 広場に兵500を回せッ! 王国への不満を洩らすものは斬首で構わんッ!」


 通りを急ぎ駆ける兵士たち。

 だが、鎧の下で交わされる囁きは、エーレブルク公の耳には届かない。


「……本当に、俺たちは正しいことをしてるんだろうか」

「ヴァルドリアじゃ兵士の給金も高いって聞くぞ」

「おい、声が大きい。誰かに聞かれたら……」


 王国兵の中にも、すでに民衆と同じ疑念の種が芽生えていた。

 家族や友人が市場で高騰する物価に苦しむ姿を見て、戦う理由が揺らいでいるのだ。

 ましてや、ヴァルドリアから流れ込む「実力主義で公平な国」「飢え知らずの民」という甘い言葉は、日々の不満に絡みつき、兵士の心を静かに侵食していた。


 やがて広場に着いた兵たちは、集まった群衆を前に足を止める。

 怒声を上げるべき場面で、数人は槍を持つ手を下げ、群衆の中に家族の顔を見つけてしまったからだ。


「兄さん! うちの店、もう小麦粉も塩もないんだよ!」

「……なっ!?」


 その一言が、兵士の胸の奥を突き刺す。

 やがて、彼らの胸に押し寄せるのは命令と現実の間で揺れる迷いであった。


 エーレブルク公は王城の高殿から、その広場の光景を睨みつけていた。

 整列すべき兵は列を乱し、制圧すべき群衆はなおも声を張り上げる。

 王都の通りという通りに「ヴァルドリア」の名が渦巻き、旗なき蜂起の気配が立ちこめていた。


 国王の勅令よりも、遠くの豊かな隣国への憧れのほうが、人々の心を強く動かす───その変化は、誰の目にも明らかであった。


 クラウスら離反領は、ヴァルドリアの庇護を受けながら、王国西部に新たな交易路を築き始めていた。

 荷車が連なる街道の先には、勇ましいヴァルドリアの旗が翻っている。


 それは弱小国が、今や対等の───いや、民心を奪う新たな覇者となった証でもあった。

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