黄金の国
異端者
『黄金の国』本文
心は不可侵の領域だ――そんなものは幻想にすぎない。
実際には薬物投与により、精神は
精神科で処方される薬で鬱が治ることを考えれば自明の理である。
だが、それに全て依存してしまったら……そんなことを考えたことがあるだろうか?
20XX年、某国内の工場。
「ふう」
俺は深いため息をついた。ようやく、これで今日の作業も終わりだ。
時刻はもう午後十時を回っていた。
この国での基本労働時間は一日十二時間。八時間だったのはとうの昔のことだ。また、定時を過ぎても残業は当たり前で、週休一日となっている。
だが、それに不平不満を言う人間はいない。皆、今の生活に満足している。
俺は帰りにコンビニに寄って、酒と弁当を買うと、自宅である安アパートに向かった。
帰り着くと、中に入り、まずは酒で錠剤を流し込む。
「幸福促進剤」――正式名称は忘れてしまったが、そう呼ばれている。
これさえ飲めば、どんなに辛くとも気にならない。長時間労働に安い賃金、ボロい部屋に貧相な食事も気にならなくなる。
もう、何も心配することはない。
俺は安い弁当で食事する。お世辞にも上等とは言えない食事だが、それも気にならない。きっとドッグフードでも、気にせず食うだろう。
俺は万年床に横になった。もうカビが生えているかもしれないが、それがなんだろう。
この薬、幸福促進剤を飲めば、どうでも良くなる。
俺は深く考えようともせず、深い眠りに落ちていった。
この国は二十年前、GDPは落ちる一方であり、衰退の一途をたどっていた。
しかし、労働制度を全面的に見直し、幸福促進剤の服用を「下級国民」に義務付けることで一気に持ち直した。
生活保護や年金の制度は廃止。生きている間は全下級国民に労働の義務があることを定めた。基本労働時間も八時間から十二時間に変更され、サービス残業も合法と定められた。
就労する気のない人間、いわゆるニートについても一年以上職に就いていない者には強制的に就労を義務付けた。彼らはかつての最低賃金以下で働かされることになった。それでも働けなくなった下級国民は国営の施設に放り込まれ、死ぬまで物のように扱われた。
結婚も、下級国民には三十歳まで未婚の場合は政府が強制的に相手を選ぶことになった。もちろん、その後も共働きだ。
こうして全下級国民が生きている間はひたすら働き続けることになって、この国のGDPは大幅に回復した。
不平不満は出なかった。幸福促進剤を飲めば、一切の不満は出ない。いくら苛立っていても、いくら落ち込んでいても薬を飲めば救われる。これにより、自殺者はほとんど出なくなった。
こうして、幸福な労働環境がこの国には整備されていった。
その日も、俺は安い夕食を買うと帰途に就いた。
今日は妙な日だ。もう遅い時間だというのに、警察のドローンが何機も飛んでいる。事件か何かでもあったのだろうか。
ふいにドローンが立ちはだかった。
「不審な人物を見ませんでしたか?」
ドローンが話しかけてくる。AIによる生身の人間以上の流暢な喋り方だ。
「いや、見てません」
それを聞くとドローンは道を開け、俺はまた歩き出した。
不審な人物……まあ、どうでもいい。さっさと薬を飲んで飯を食って寝てしまおう。
俺は何の関心も湧かなかった。
歩いていると、民家の生け垣に隠れている少女が目に入った。
「こんな所で、何をしてる?」
俺はハッキリとそう言った。
「し~っ! 見つかっちゃうでしょ?」
どうやら、ドローンが探していたのはこの少女のようだ。年の頃は高校生ぐらいだろうか。警戒した目でこちらを見ている。
「何をした? パパ活でもバレたか?」
俺は特に気にせずに茶化して言った。どうせ自分には関係ない、退屈しのぎだ。
「そんなのじゃない! 私はレジスタンスの一員なの!」
少女は怒った様子でそう言った。
シャワーの音が響いていた。
あの後、自称レジスタンスの少女、チアキを連れ帰った。特に理由があった訳ではない。ただ、なんとなく面白そうだったからだ。
今は俺の部屋のシャワーを浴びている。
なんというか、無防備な少女だ。もし暴行でもされたらどうするつもりだろう?
まあ、どうでもいい。あんな子ども、俺の好みじゃないし。
「助けてくれて、ありがとう」
チアキが出てくると言った。服は替えがないのでそのままだった。
「別に……何か食べるか?」
買ってきた食事は二人分もないが、確かカップ麺があったはずだ。
「良いの!? じゃあ、お願い!」
彼女は大げさに喜んだ。
「インスタントで良ければ、作ってやるよ」
彼女がカップ麺で自分だけ弁当というのは収まりが悪い。少しおかずの総菜を分けてやるか……と、その前に。
俺は錠剤を取り出した。
「駄目!」
ガシッ!
突然、彼女がその手首を抑えた。
「どうした?」
「それを飲んじゃ駄目! おかしくなっちゃう!」
「何を言ってるんだ? 皆、飲んでるじゃないか?」
俺には理解できなかった。
「せ、説明するから、とにかく飲んじゃ駄目!」
「分かった。分かったから、手を放してくれ」
手が放されると、俺は錠剤を床に置いた。
「その薬は、苦痛を感じる神経を麻痺させるの。だから――」
彼女は話し出した。
彼女が言うには、幸福促進剤は苦痛を感じなくさせて下級国民を死ぬまで働かせるために開発された「麻薬」だという。それを飲んでいる間は苦痛を感じないから、不平不満を抱かず働き続ける。それは大きな国益になるのだという。
「それで、君たちの言うレジスタンスとやらはそれに反逆している、と?」
俺は馬鹿にして言った。何の苦痛もないなら、良いことじゃないか。
「そう。あなたはおかしいと思わないの!? 奴隷や家畜のように働かされ続けて、それに何の不満も抱かないなんて、明らかに狂ってるわ!」
やれやれ、荒れる十代か。分かる分かる、何にでも反逆したくなるお年頃。
「そうは言うけど……何も苦痛がないなら、それで良いじゃないか?」
「それがおかしいって言ってるの!? 死ぬまで酷使されてるのに、誰も疑問を持たない……それが異常だと言わずなんて言うの!?」
彼女は今にも掴み掛からんばかりだ。
「でも、誰も疑問を持たないなら、それで良くないか? レジスタンスなんて言っても、どうせ『ごっこ』だろう?」
「違う! 私たちは本気でこの国を心配して――」
俺は最後まで聞かなかった。
「飯、作るから食ってけよ」
立ち上がるとIHコンロに向かった。
「あなただって……あの薬を飲まなければ分かる。……この国は狂ってるって」
彼女はそう呟いていた。
夜中、俺は体の痛みで目を覚ました。
体の節々が痛む。まるでずっと無理をし続けていたみたいだ。
隣にはチアキが寝ている。布団が他にはないから必然的にこうなったのだ。
あの後、会話は最低限しかなかった。
彼女は俺の作ったカップ麺と少しのコンビニの総菜を食べると、俺と同じ布団に入った。
大丈夫かと一応聞いたが、その答えは意外なものだった。
「お願い、あの薬をもう飲まないで……」
それだけ言って、彼女は早々に寝てしまった。
結局、俺は薬を飲まずに床に就いた……が、先に述べた通り、体の痛みで目が覚めた。
酷い痛みだ。何か月、いや何年と体中を酷使し続けていたような……そうだ、薬! あれさえあれば……薬に手を伸ばそうとした時、彼女の言葉を思い出した。
手が止まる。本当に、飲んでもいいのだろうか?
もちろん、彼女が嘘をついている可能性もある。いや、そちらの方が大きい。
しかし、もし彼女の言うことが本当だったら? この国が、政府が狂っていたら?
俺は薬に手を伸ばしかけて、そう逡巡していた。
「ご協力に感謝します」
翌朝、警察官の一人は形ばかりの礼を言った。
「そんな……あなたは騙されてるのよ! このままで良いの!?」
そう叫ぶチアキは警察たちに連れられて行く。
「そんなのただの妄想だ。よくある陰謀論だよ」
俺はそう返した。
あの後、俺は薬を飲んだ。体の痛みが治まり、実に晴れやかな気分になった。
そして、思った。やっぱり嘘じゃないか、と。
そう考えると、レジスタンスと名乗る子どもじみた遊びにうんざりして、警察に突き出すことにした。まあ、それならなぜ警察のドローンがこうまで探していたのかは疑問だが、そんなことどうでもいいだろう。
今は、自分が平穏に暮らすことが先決だ。
彼女は最後まで抵抗していたが、左右をがっしり固めた警察の人間に
「それで、レジスタンス……いや、テロリストは
「はい、もちろんです」
「なら良い」
「しかし……今の政策はあまりに無理があるかと。いくら薬物投与を続けても、同様の組織が生まれる可能性があります」
「それなら、薬をもっと強く作用し、依存性のあるように作り替えればいいだろう?」
「で、ですが……既に副作用で高齢者は心肺に悪影響が出て、平均寿命が下がってきています。これ以上となると、多数の死者が――」
「下級国民など、いくら死んでもいいだろう? 適当に結婚させていれば、勝手に子どもを作って増える。またいくらでも補充できる。働けるだけ働かせて、使えなくなったら捨てればいい」
「…………クズが」
「何か言ったか?」
「いいえ」
この国の国民幸福度は、今や世界一だ。
黄金の国 異端者 @itansya
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