第28話:社員旅行へ行こう!
朝の澄んだ空気の中、俺は会社の前に立っていた。
時刻は午前9時ちょうど。
ありがたいことに、今週は天気が安定しているらしい。見上げると、雲ひとつない快晴。夏らしい日差しがじわりと肌を温めるが、風が吹けば心地よい7月9日の朝である。
社員旅行初日としては、最高のスタートといっていいだろう。
「おーい、藤倉!」
田代の声が聞こえたので、視線を向けると、いつものカジュアルなシャツにスラックス姿の田代がいた。こいつは旅行だからといって特別な準備はしないタイプだ。
「おはようございます、先輩! 今日は楽しみですね!」
美咲も軽やかな足取りでやってきた。
彼女はシンプルな白いブラウスにデニムという、ラフながらも女性らしい旅行ファッション。手にはキャリーバッグを引いており、もう片方の手にはクーラーボックスを持っている。
「おはよう、二人とも。北沢、そのクーラーボックスは?」
「飲み物ですよ! 冷えてますよ~♪ もちろんアルコールもあります!」
「朝っぱらから酒とは……さすがにまだ飲まないよな?」
「さすがに私は飲みませんよ! 皆さんのバスの中でのお楽しみです♪」
なるほど、美咲専用というわけではなくて、同乗のみんなのためのドリンクってわけか。
俺は苦笑しつつ、周囲を見渡した。
社員旅行の参加者は約70名。
普段は部署ごとに散らばって働いている面々の半分くらいが一か所に集まり、各々雑談したり、旅行の準備をしている。
会社の前には、大型バスが2台横付けされていた。どちらも観光バス仕様の大型車両で、乗り込む前の点呼が始まろうとしていた。
「悪いけど、積み込み手伝ってくれる?」
バスのそばでは、既に何人かの社員がスーツケースやボストンバッグを荷台へ運んでいた。
荷物を持って道をウロウロしていると通行人の迷惑になるので、一旦会社のエントランスに荷物を置いていたのだが、それをバスの荷物スペースに入れてるってわけだ。
社員旅行の運営メンバーだけでは、さすがにしんどそうである。
「いいよ。わかった」
俺もそれを手伝う流れになり、会社のエントランスへと向かう。
「うわ、重っ……これ誰の荷物だよ」
近くの同僚が黒い大きなドラムバッグを重そうにを持ち上げようとしている——すまん。それは俺のお荷物です そんなに重かったっけかな~? ここまで自宅から電車できたわけだが、それほど重かった記憶はないのだが……。
「すまん。それ俺のだし、自分で運ぶよ」
ひょい。
俺は、何の苦もなくドラムバッグを右手で持ち上げ、左手が空いたので、適当なバッグをついでに2つ持ち上げてバスへと向かう。
「……うえ?」
同僚の変な声が背中から聞こえた。
「え? なに? ウソ? ゴリラ!?」
なんてこと言いやがる! 俺の体系は至極一般的な標準体型だ! 心外な言葉に、思わず振り向く
「……いや、普通だろ?」
「いやいやいや! そのドラムバッグ、30キロくらいないか!? 普通、そんな軽々と持ち上げられないって」
美咲も手を止めて、こちらを見ている。田代はニヤニヤしながら肘で俺を小突いた。
「お前さ、最近ジムにでも通ってんのか? モテたいんだな。いよいよ藤倉も婚活か~」
「いや、通ってないし婚活もしてない。というか、30キロもないだろコレ」
と言ってみたものの、54リットルのドラムバッグに適当なものを色々詰め込んだから、そのくらいあるのか? でも全然重いと思えない。
異世界での経験が、確実に俺の肉体に影響を与えていることは、昨夜の鏡の前で証明された。つまり……
(帰還するたびに、俺の身体能力が向上している……?)
——そういえば、最初の帰還時に、料理の腕前がめちゃくちゃ上がっていたけど、あれもそういうことか!
何度も異世界に行けば行くほど、どんどん強くなったり、スキルが向上するってことなのか? 思考を巡らせながら、俺は最後の荷物を、重さを確認するように持ち上げてみる——やっぱり軽い 答えをだすには、サンプルが足りないな。せめてあと1回、転移と帰還を経験したいものだが……。
自分の身体に染み付いていた”普通”の感覚がズレ始めているのを実感する。
考えても答えが出るわけではないが、漠然とした期待と不安が入り混じる。
次に異世界から戻るとき、俺はどれだけ変わってしまっているのだろうか——いや、そもそも帰れるとも限らない そんなことを考えながらも、俺は荷物を最後にしっかりと荷台に詰め込み、軽く手を払った。
バスの中へ向かうと、座席は左右2列ずつのベーシックな配置だった。
俺は自然と田代の隣に座り、同列の逆側には美咲がこれまた自然と座ってくる。
「先輩ってマッチョな人だったんですね?」
美咲が目をキラキラさせながら身を乗り出し、まるで新発見でもしたかのような顔をしている。
田代も横でニヤついているが、ヤツはヤツで何か余計なことを言いそうな雰囲気だ。
「……気のせいだと思うよ?」
「気のせいにしては、片手でひょいひょい運んでましたよね?」
美咲がそう言いながら、自分の隣の席にクーラーボックスを置いたので、それをきっかけに話題を変えようと思う——マッチョ化については説明できないし。
「その中身、アルコール入りって言ってたよな?」
「はい。途中のサービスエリアで追加調達もできるので♪ 皆さんお酒好きですしね~」
「サービスエリアといえば……社員旅行のスケジュールって、詳細はどうなってんだ?」
「お前、ちゃんと読んでおけよ。珍しく楽しみにしてたんだろう?」
田代が呆れながらスマホを取り出す。
「初日はホテル到着後、ツリートレッキングしたい奴は、それ。その後は例のごとく宴会に突入。2日目は研修を兼ねた登山。そして3日目はチェックアウトして帰宅。希望者はそのまま連泊可能って流れだな」
「ありがとさん。しかし結構アクティブだな~」
「そうですね! ツリートレッキングも登山も楽しみです!」
美咲のテンションが上がる。
そのあとも、旅行の話で盛り上がったので、俺がキン肉一族に入族した件は一旦お預けとなってくれた。
バスはまもなく動き出す——社員旅行が本格的に始まるのだった。
◆
バスがホテルエルミナール那須のエントランスへ滑り込むように停車した。
「おお……やっぱり、都心より涼しいな」
バスを降りた瞬間、肌に感じる空気の質が明らかに違う。
都心は蒸し暑さがまとわりつくような気温だったが、ここは風が心地よく、湿気も少ない。体感で5度くらい違うんじゃないか?
「はーい! 皆さん、お疲れ様でした! まずは部屋に荷物を置いて、昼食会場へ移動してくださいね!」
旅行の幹事役を務める総務の社員がバスの前でアナウンスする。
「荷物……っと」
俺はバスの荷物スペースからスーツケースを取り出そうとするが、他の社員たちも同じように荷物を取ろうと集まっていて、少し手間取っている。
「すみません、それ取るの手伝ってもらえますか?」
社員の一人が俺に声をかける。
「ああ、いいよ」
俺はキャリーバッグを軽々と持ち上げ、渡していく。
「えっ!? ……軽っ」
受け取った社員が驚いた顔をする。
「いや、普通に持ち上げただけだぞ?」
「でも、それ……結構重いんですけど……」
そんなやりとりをしていると、バスのそばで待機していたホテルのベルボーイが、不思議そうにこちらを見ていた。
「お客様……ずいぶん力持ちですね……?」
「まあ、気のせいじゃないですか?」
自分の怪力が自然に発覚する流れが、最近多すぎる気がする。
「藤倉さん、また軽々と荷物持ち上げてましたね!」
すぐそばで見ていた美咲が、ジト目で言う。
「いや、普通に持ち上げただけだから」
「その『普通』が普通じゃないんですよ!」
そうツッコミを入れられつつ、俺はホテルのエントランスをくぐった。
◆
「部屋は12階か……」
フロントでルームキーを受け取ると、俺の部屋は最上階の12階だった。
部屋割りは事前に知らされておらず、ホテルに着いてから判明するスタイル。
「ツインルームね……まあ、誰とでも大丈夫か」
部屋に入ると、大きな窓から広がるのは那須の山々。
眼下に広がる緑が、都心の景色とはまるで違う。静かで落ち着く空間だ。
「おーっす! 同室になりました、森山でーす!」
部屋のドアが開き、元気よく入ってきたのは、森山 淳史。
明るい性格で、社内でもムードメーカー的な存在のお調子者。
「おう、よろしくな」
「いやー、でも先輩すごかったっすね! バスから荷物降ろしてるとき、ベルボーイが二度見してましたよ! 『あの人、超人ですか!?』って顔してましたもん!」
「いやいや、そんなことは……」
「ぜひツリートレッキング、一緒に行きましょうよ! これはぜひとも先輩の運動能力を目の前で見たいです!」
「え、いや……」
自由参加のアクティビティだから、俺はのんびりしようと思っていたのに……。
「お願いしますよー! 一人で行くの寂しいし、ぜひぜひ!」
満面の笑みで押されると、断りづらい。
「……わかった、行くよ」
「やったー! ランチの後ですね!」
こういうタイプには弱いんだよな……。
◆
「おお、これはうまそうだな」
ランチ会場に移動すると、ホテルのビュッフェが並んでいた。
メニューは和洋中揃っていて、特に地元の食材を使った料理が豊富。
「席、どこにします?」
「お、藤倉、こっち座れよ」
田代が俺を呼ぶ。
「じゃあ、ここで……」
俺が席につくと、なぜか当然のように美咲と森山も座った。
「……勝手に座るなよ」
「先輩の隣、空いてたので♪」
「いやー、せっかくの旅行ですし、親睦を深めましょうよ!」
森山が満面の笑みで俺の肩を叩く。
「……お前、距離感近いな」
「人間、近くなるほど親睦が深まるんですよ!」
その様子を見て、美咲がジト目になっていた。
「……藤倉先輩、最近こういうノリの人と仲良くなったんですね?」
「え、いや……」
「まあまあ、美咲さんも楽しくいきましょう!」
「……ふーん」
美咲がちょっと拗ねたような顔をする。
その様子を見ていた田代が、くつくつと笑い始めた。
「なんだこの席、めっちゃ面白いな」
……なんか、妙な空気になってきた。
◆
「え、先輩もツリートレッキング行くんですか?」
ランチ後、森山とツリートレッキングに行く話をすると、美咲の表情が変わった。
「うん、森山が行きたがってたから」
「ふーん……じゃあ、私も行きます」
「え、自由参加だろ?」
「でも、楽しそうじゃないですか?」
「じゃあ、俺も行こうかな」
横から田代が軽く言った。
「おいおい、田代まで?」
「だって、なんかおもしろそうじゃん?」
「よし、みんなで行きましょう!」
森山が嬉しそうに言う。
……気づけば、俺の自由時間がなくなっていた。
◆
バスはゆっくりと発進した。
会社のビルが徐々に遠ざかっていくのを車窓から眺めながら、俺は深く息をつく。
バスのエンジン音と、周囲のざわめきが心地よく響いてた。
「さて、いよいよ出発だな」
田代が腕を組みながら、窓の外を眺める。
「そうですね~! ホテルまでは特にトラブルが無ければ、休憩込みで3時間超ってところですね」
美咲が元気よく笑いながら、クーラーボックスを開ける。早速、飲み物の準備をしているらしい。俺は彼女から缶コーヒーを受け取り、今回のルートをスマホで確認してみる。
扇大橋ランプから首都高に乗り、川口ジャンクションを抜けて東北自動車道へ。そこからひたすら北上し、那須インターチェンジで降りて一般道を走る。途中、佐野サービスエリアで小休憩を取る予定らしい。
「佐野サービスエリアねぇ」
「そこ、けっこう有名だよな。前に何回か寄ったことあるけど、最近リニューアルしてずいぶん変わったらしいぞ」
田代がそう言いながらスマホをいじっている。
俺もスマホで佐野サービスエリアの情報を調べてみた。
最近リニューアルされて、施設が拡張されているらしい。広々とした芝生エリアや、家族連れ向けの休憩スペースが整備されている。軽食コーナーの充実ぶりも評判のようだ。
——そして、佐野といえば。
「佐野ラーメンだな……」
つぶやいた瞬間、田代の目が輝いた。
「お、藤倉。お前も佐野ラーメン気になってるのか?」
「いや、昼はホテルでって話だったろ? サービスエリアでは小腹がすいてたとしても、ほんと軽めで良いかな……」
「藤倉、お前分かってねぇなあ! 佐野ラーメンは別腹だろ!」
「いや、別腹って……」
「佐野ラーメン!? 私も食べたいです!」
美咲が即座に会話に割り込んできた。
「北沢もか……」
「だって、せっかく佐野に寄るんですよ? ここでラーメンを食べないなんて、もったいなさすぎます!」
まるで佐野観光大使のような力説をする美咲。田代は満足げに頷き、俺に向き直る。
「ほら、藤倉。多数決だぞ」
「……結局、食う流れか~。食べるとなると、楽しみではあるな!」
バスは特に渋滞などに巻き込まれることもなく、東北自動車道を北上し、休憩ポイントの佐野サービスエリアへと滑り込んだ。
◆
「おお、すげぇ綺麗になってるじゃんか!」
田代が感心しながら辺りを見回す。
「いや~、佐野には何回か寄ったことあるけど、以前とは雰囲気が全然違うな!」
佐野サービスエリアは確かにリニューアルされていて、以前のイメージとは大きく変わっていた。広々とした芝生の公園エリア、充実した売店、そして何より、ラーメンののぼりが目立つ——それは前からそうだったか
「よし、行くぞぉ!」
俺たちはフードコートの入り口近くにある券売機の前に並んだ。
「えーっと、佐野ラーメン……あった! なんだかんだ腹いっぱいになるわけにはいかないから、3人で一杯をシェアな?」
俺と美咲も同意し、お店には申し訳ないが、三人で一杯を頼むことにした。美咲もそれがよいというので、別途取り皿とかは貰わないから、勘弁して欲しい。
というか、美咲は”おっさんズ”と回し食いに抵抗はないのだろうか?
注文してから数分後、カウンターに運ばれてきたのは、透き通ったスープが美しい一杯のラーメンだった。
「……これは、うまそうだな」
佐野ラーメンは、栃木県佐野市のご当地ラーメンで、青竹打ちによる平打ち縮れ麺が特徴的だ。スープはあっさり系の醬油味といわれたりもするが、塩味だったり店舗によって結構味が違ったりするから面白いし、お土産用の家庭用ラーメンも色々な種類が売っている。俺も近くに来たときはよく食べていて、結構好きなラーメンだったりする。
「うおおお、早く食べよう!」
「私は藤倉先輩の後でお願いします!」
「なんで!?」
結果、田代→俺→美咲の順番で食べることにする。美咲が俺の後を希望した理由は謎だが、多分、後輩として最後に食べることを選んだのだろう。良く出来た後輩である。
「……うん、これは確かにうまい」
スープを一口飲むと、優しい鶏の旨味が口いっぱいに広がる。麺をすすると、もちもちとした食感が絶妙だ。
「美味しいですね~!」
「な?」
時間に余裕もないので、大急ぎでラーメンを食べ終え、俺たちはフードコートを後にした。
お土産のラーメンを帰りに買っていこうと思った。
◆
建物を出ると、謎のゆるキャラの像が目に入った。
「お!? ”さのまるだ”」
田代が謎が謎に佐野に詳しい……さては事前リサーチしてんな? 田代曰く、佐野市のご当地キャラで、頭にラーメンのどんぶりを乗せた可愛らしいゆるキャラらしい。
「いや、待て田代! こいつ、ラーメンが入っているドンブリを頭からさかさまに被っているぞ! ラーメン愛があるんだか無いんだか……一体どっちなんだ!?」
俺は頭の逆さドンブリをたたきながら、そのデザインに物申した——その瞬間!
「っ……!?」
頭の奥に鋭い痛みが走った。
同時に、何者かの声が脳内に響いてくる。
靄のかかったような、少しかすれた声だが、おそらく年配の男性の声のように感じた。
「ナオヤよ……はやく奈落の森の塔のてっぺんまで来るの……じゃ……儂はそこで……お前を待っている……はやく……カレーを……」
最後の方はかすれたように音が消え、完全には聞き取れなかった。
一体これは……?
「おい、どうした? ボーっとして」
田代が不思議そうに俺を見ている。
「あ、いや……なんでもない」
頭を軽く振って、残像のように残っている違和感を振り払う。
(……今のは、神的な声か?)
この転移能力が神的な存在によるものだと、自然とそう思っていたが、まさか現実世界のゆるキャラ像を介して、俺にコンタクトを取ってくるとは……。
正直、かなりムカつく。頭痛が痛い!
「あの……大丈夫ですか、先輩?」
「大丈夫だ。ちょっとした立ち眩みだろう」
バスへ戻る道すがら、俺は何とも言えない気分になっていた。
——はて。カレーとな???
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