第26話:クマをワンパン!

 俺は今、理解ができないナニカを見ている。


「なぁベルクさん。あんた……何着てんの?」


「がっはっは! どうだ恐ろしかろ?」


 元赤鉤団せっこうだん戦闘隊長ことベルクが堂々と胸を張ると、ガサリとその異様な衣装をなでた。 毛むくじゃらの、茶色い何か——あ、熊ですか。そうですか。

 訓練を野次馬しようと集まってきていた周囲の村人たちが、なんとも微妙な表情でベルクを見つめている。

 中には”本物のバウルベアが来たのか”と冷や汗を拭っている者もいるが、それは褒めすぎである。いくらベルクが巨漢だとはいえ、バウルベアと比べると流石に無理があるね!


「あんた、なんでバウルベアの毛皮なんか着てんだよ……」


「何事も形から入ると良いとナオヤ殿が言っていたではないか!?」


「だとしても、訓練する俺側の話であって、教官側のあんたには関係ないだろ!」


 こいつ、俺が”料理は形から入る”っとかいって、鍛冶屋のおっさんに無理難題を言いまくっていたのを見て、変な風に解釈しやがったな?


「なるほど、そのような解釈もあったか。だが、熊を倒すには、熊を相手に訓練するのが最良の手段だろう?」


「いや、あんた熊じゃないし」


「おおよそ熊だ!」


「鉄の猛牛って異名じゃなかったっけか?」


 ベルクは不満げにブツブツと言っていたが、結局そのまま毛皮を脱がなかった——そっか、気に入ってんのね?  俺は頭を抱えたが、周囲の村人はどちらかというとベルク派らしい。子供たちなんか”なにあれかっけー”とか言ってるし。


「ま、まあいい……それで、今日の修行の内容は?」


「よく聞けぃ! 熊をワンパンで倒すには、熊の初撃をかいくぐってカウンターを入れるのが最善だ、と俺は考えた!」


 なるほど。

 ちょっとベルクの頭を疑っていたが、悪くない訓練法な気がする。

 俺にとって、まともにやり合ったら、まず勝てる相手ではない以上、テレフォンパンチを思いっきり当てるしかないのだ。

 熊の攻撃をかいくぐるのは容易ではないが、相手の勢いを利用すれば、あるいは——


「……ほう。悪くない作戦だね」


「熊の利き腕は左。だから、初撃は左手が来ることを想定して訓練するぞ!」


「あ、それ迷信だからな。熊の利き腕は左とは限らないよ」


「なんだと!?」


 ベルクが驚愕の表情を浮かべた。

 彼の後ろで見守っていた村人たちも”えっ?”とかざわめいている。

 熊に利き腕は確かにあるが、それは個体によって違っていて、あんまり偏りとかはないってのを、何かで読んだことがあるのだ。


「いや、お前……熊ぶってる割に、そこ知らなかったの?」


「がっはっは! 勉強不足だった! それじゃ、右か左か、どちらで来るか判らない状態で避けなきゃな! よりハードな道を選ぶとは……さすがナオヤ殿だ!」


 墓穴った気がするが、やるからにはちゃんとやりたいしね。後悔はない。

 ということで、俺と熊教官による、カウンターパンチの訓練が始まった。



「うぉっ!? あぶねっ!!」


 ベルクが勢いよく繰り出す拳を、俺は間一髪で避ける。

 地面を踏みしめるたび、硬い土が足の裏に痛いほど伝わってくる。


「バウルベアの攻撃はこれ以上に速いし痛いからな! こんな程度で焦ってんじゃねぇ!」


「簡単に言ってくれる——っていうか、あんたの拳も普通に痛ぇんだからな!?」


 森の中で行われる訓練は、まさに地獄のようだった。  筋トレ、体力作り、そして熊のパンチを回避する訓練。  ベルクの拳を避け、反撃のカウンターを叩き込もうとする。  何度も地面に転がっては、体中が土まみれになるし、筋肉痛どころか、普通に殴られるからどこかしこも全部痛い。


 そんなブートキャンプは、結局五日間続いた。



「もう……無理……ぽ」


 俺は酒場の椅子にだらんと崩れ落ちていた。  窓から差し込む昼下がりの光が、酒場の木製の床に長く影を落とし、陽の光が温かくて心地よいはずなのだが——とにかくツライ 五日間に渡る修行の疲労が全身を蝕み、体は鉛のように重かった。筋肉が張りまくり、少しでも体を動かせば、全身が悲鳴を上げる。

 気を抜けば、今すぐにでもオチてしまいそうだ。

 周囲では酒場の客たちが酒を飲み交わし、楽しそうに談笑している。活気に満ちた酒場の喧騒も、今の俺にはただの騒音にしか感じられない。


「お疲れのようだな」


 ザガンが酒を片手に現れた。


「ナオヤの努力には感服するが、たまには休息も必要だ。だから飲もう!」


「そうだぜ! 祝杯といこうじゃないか!」


 すっかり酒好き親父に成り下がったザガンに、憎き教官ベルクもノリノリだ。


「なんの祝杯だよ? まだ何も達成してねぇーよ……」


「まあまあ、そう言わず、一杯飲んで落ち着けよ」


 そう言って、グラスに酒が注いでくる。

 俺の抗議はどうやら届かないようだ。


「で、特訓の成果はどうっすか?」


 ガルスがニヤニヤしながら聞いてきた。


「俺のこの死に様を見て、色々察してくれよ」


「ナオヤ! 大丈夫だ。お前さんは確実に成長しているぞ! がっはっはっは」


 自信満々のベルクが実に鬱陶しい。


「ベルクさん。あんたのその根拠のない自信、少し分けてほしいわ……」


「根拠ならあるぞ! ナオヤ殿の汗と、涙、そしてその筋肉痛こそが根拠だ!」


「そいつはどうも……。でもな~。このままやってても”バウルベアをワンパンで倒す”なんて、できっこない気がするんだよね~」


「弱音を吐くなっ! 為せば成る成さねばならぬなにもももだ!」


 ベルクよ……全然言えてないからね?


「そうっすよナオヤさん。弱気はダメダメっす。”臆病者の目には、敵は常に大軍に見える”って言うじゃないですか!」


 ガルス——何でお前は信長さんの名言知ってるわけ?


「”楽観は怠慢の父”ともいうぞ? 引き続き目一杯で頑張るのだ、ナオヤよ!」


 ザガン、てめぇは盛り下げんな! 黙って酒でも飲んでろ!


「そうカッカするな、ナオヤ。私もお前の訓練を見ていたが、着実に強くなっている。自分を信じられなくてもいい。私の目を信じろ。お前ならきっと、バウルベアをワンパンで倒せるようになるさ!」


 セシリアが俺の肩を優しく叩いて慰めてくれた。

 セシリアは結構ポンコツなところがあるので不安だが、明日からまた頑張って訓練しようと、ようやく思えたよ。



「わっはっは! そんなことできるわけがねぇだろが」


「だめですよ笑っちゃ。とはいえ……ぷくくっ」


 隣の席から、あざけるような揶揄からかうような笑い声が聞こえた。

 そういや、酒場も活気づいてきていて、村の外からの客もちらほらいるな。村人たちなら、俺たちを笑うなんてしないだろうから、きっとそういう類の客だろう。


「てめぇら。今俺たちのことを笑ったか?」


 ベルクが拳を握りしめながら凄む。

 隣の席には、旅装をまとった商人風の男と、その護衛らしき屈強な用心棒らしき男が酒を飲んでいた。


「いや、申し訳ない。馬鹿にするつもりはなかったのですが……」


 商人風の男は、そんな謝罪を口にしたが、口元を抑えつつも、笑いを堪えきれない様子だ。


「旦那~。こういう時ははっきり言った方が良いですぜ?」


 用心棒風の男がニヤニヤ笑いながら言葉を継ぐ。


「いや、確かに。バウルベアを拳一発で倒すなど、さすがに荒唐無稽で…ぷくく」


 明らかに笑いを抑えきれない商人風の男に、ベルクが顔を真っ赤にして激昂する。


「馬鹿にすんじゃねぇ! ナオヤならやってくれらぁ!」


「ナオヤさんって……もしかして、そこの男の人のことですか?」


 商人風の男が俺を指さしながら、さも不思議そうに首を傾げる。


「これは、さすがに笑い話にもならんわ! そんな優男がバウルベアを? お前ら揃いも揃って頭おかしいんじゃねぇの?」


 用心棒風の男の言葉に、ベルクの怒りはさらにヒートアップする。

 ザガンも黙ってはいられないらしく、険しい表情で用心棒風の男を睨みつけていた。

 ガルスも静かに怒気を滲ませていたが、一番怖いのはセシリアだ。

 何も言わずに冷たい目で二人を見つめて、怒りのエネルギーをグングンと貯めている姿は”天下一の戦士たちの冒険譚”のアニメーションのごとくだ——”気”か? これが”気”ってやつなのか?


「ふんっ! 口ばかり達者な奴と図体だけのやつが何をぬかすか!」


 ベルクがさらに声を荒げた。


「あん? なんだと!?」


 用心棒風の男が肩を鳴らしながらベルクを睨みつける。


「聞き捨てなりませんねぇ」


 商人風の男も表情を引き締め、どこか企むような笑みを浮かべていた。


「だったら、そこの優男さんは、この俺様に勝てるんだろうなぁ? バウルベアに勝とうとするくらいだ。もちろん出来んだろな?」


「ええ、その通りですね。なんだったらこの男と勝負してみます? 余興としてなにか賭けてみるのはどうでしょうか?」


 ——賭け? 嫌な予感しかしなかった。

 大体にして、俺は別段、腹が立っていない。どう考えても、この二人の反応こそが”普通”だろう。


「いやいや~。まだ修行中の身ですし、アナタみたいな強そうな人には勝てな……「ああ、やったらぁ! 吠えずらかかせてやるわ!」


 ベルク! おいベルク! ベルクおいいい!


「男に二言はありませんねよ? では何を賭けましょうか」


 すると、ガルスがベルクを押しのけるようにして前にでてきた。

 口元がニヤニヤ笑っている——さらに嫌な予感しかしない。


「あんた商人っすよね? こんな辺境まで来るんだから、多分っすけど”何でも屋系の行商人”ってことっすか?」


「ご名答。その通りですよ」


「だったら”魔法の収納袋”って持ってっるっすよね?」


「まぁありますが……まさか、それを賭けろと?」


「そうっす。ダメっすか?」


 商人風の男は少し思案したようだが、呆れたように首を横に振った。


「さすがにそれは……。それに見合うものをアナタたちが出せるとは思えませんからねぇ」


 すると、すかさずザガンが口を開く。

 何なのお前ら。これって仕込みなの? どうしてこうも、うちの三馬鹿は、アホな方向に息がぴったりなのだろうか……。


「では、私と、このガルス、あっちのベルクの3人が、奴隷として貴様の所有物となる。それではどうだ?」


「さすがザガン様。ナイスアイデアっす! それなら釣り合うっすよね?」


「ちょっと待て、お前らこっちに来いっ!」


 アホな提案に、俺は少し離れた場所に全員を引っ張っていく。

 何を、とんでもないことぬかしとんじゃい!


「なんつーこと言ってんだよザガンさん! ていうかガルス! お前が止めなくてどうすんだ!?」


「いや、チャンスじゃないっすか。うちにも”魔法の収納袋”は一個あるっすけど、引っ越しとか色々考えると、ナオヤさんにアッチの世界に持っていかれるのは、結構マズいかもなんすよね」


「うむ。喫緊の話ではないが、もう1つあるに越したことはないな」


「だな! 美味い話が舞い込んだもんだぜ!」


 三馬鹿ノリノリである。

 ここは俺がなんとかせねば……。


「待てや! それは”俺があの男に勝てれば”の話だろう? 負けたらあんたら全員奴隷落ちちだぞ!」


 すると、セシリアが冷静に分析するように口を開いた。


「ふむ。確かに悪くない話かもしれん。あの用心棒、私の目にも筋肉だけの見掛け倒しに見える」


「セシリアまで!?」


「決まりだ——ナオヤ! やっちまいな!」


 ベルクよ……お前はどっかの万事屋物語のスナックのママなのか? こうして俺はなぜか、用心棒が決闘することになっていた。



 村の広場には、すでに大勢の村人が集まり、まるで祭りのような盛り上がりを見せていた。

 出店まで並び、串焼きや煮込み料理の香ばしい匂いが漂う。

 つまり——俺は完全に逃げ場を失っていた


 そんな中、ベルクがセコンドとして横に立つ。


「よし、ナオヤ殿! 戦いの準備はできているな!」


 なぜか左目に眼帯、首にはタオル、手には水の入ったバケツをぶら下げている。

 ほんとなんなの? その格好……。


「ベルクさんさ……あんた、何なのそのスタイル?」


「決まってるだろうが! これは伝統的な”背魂怒せこんど”の装いだ!」


「こっちにそういう文化ねぇだろ!」


「なに!? これは”渡界者とかいしゃが伝えた文化だったはずだぞ?」


 マジか……!?


「ワシの見立てじゃ、アイツの初撃は”右の大ぶりのフック”から入るはずだ。かいくぐってカウンターを決めちまえや」


「なぜ”ワシ”?」


「初撃のカウンターで決めるんだぞ!? それを外せば恐らく負けるぞ」


「無視かよ! それにしたって博打が過ぎんだろ!」


「大丈夫! ナオヤ殿なら絶対にできるっ!」


「まぁもう後には引けないし? やるしかないんだろう——やるよ。それなりに特訓もしてきたしな!」


 用心棒風の男を見ると、両の拳を合わせながらニヤニヤとこちらを見ている。

 完全に俺をなめ切っているなコレ。


「俺もムカついてきたし。やるだけやってみるぜ!」



 ”背魂怒せこんど”のベルクとそんな話をしていると、鍋とお玉を持ったガルスがやってきた。どうやらそれがゴング代わりらしい。


「武器は無しの”ステゴロ”っすからね? 相手が戦闘不能になるか、降参したら勝負ありっす。いいっすね?」


 ガルスの確認に、用心棒風の男と俺がそれぞれ頷く。


「そんじゃ——はじめ!」


 ガルスが鍋とお玉を激しく打ち鳴らす。

 それを合図に、広場のボルテージが一気に跳ね上がった。

 用心棒風の男は、一気に距離を詰めてくると右の拳を大きく引いた。


 ——予想ドンピシャ!


 俺はバックステップでそれをかわし、無防備になった相手に全力で踏み込んだ。


 ——狙いは顔面


「カンガルーパーンチ!!」


 俺の拳が、空を切るように勢いよく突き出される。全身のバネを使い、鍛え上げた足元から伝わる力を一点に集中させる——その瞬間。


 ——ぐっしゃぁ!!


 俺の全体重が乗った拳が、相手の顔面を突き破るように叩き込まれた。

 衝撃が、拳から腕、肩、背骨を貫く。そして、その反動で、用心棒風の男が派手に吹っ飛とんだ。

 周囲の村人たちが息を飲む中、用心棒の巨体がスローモーションのように傾く。


 ——ドサッ!


 重い音を立てて、彼は仰向けに倒れた。

 一瞬の沈黙——村の広場が、まるで時が止まったように静まり返る。


「……え?」


 誰かが、呆然と声を漏らした。


「お、終わった……?」


 それを皮切りに、波紋のように広がるざわめき。


「……勝った!?」「バカな!」「ワンパンで……?」


 その静寂を引き裂いたのは——。


「いよっしゃぁぁぁあああ!!!」


 ベルクの咆哮だった。

 その声を合図に、村人たちの歓声が爆発した。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 広場全体が揺れる。足元が震えるほどの熱気。

 俺の拳はまだ震えていた。全身の筋肉が張り詰め、心臓の鼓動が速くなる。


「やった……やったぞ……!」


 どっと汗が噴き出してくる。自分の拳を見つめると、勝利の実感がじわじわと込み上がってきた。

 ガルスが駆け寄ってきて”魔法の収納袋”を俺に差し出してきた。


「やったっすね、ナオヤさん! 賭けの品として預かってたやつっす! ナオヤさんのもんっすよ!」


 俺はそれを受け取り、まだ現実味が湧かないまま、拳をギュッと握る。


「やってやったぜ……こんちくしょう……!!」


 ガルスの横で、それを大人しく見ていたセシリアが、ふわりと微笑みながら手を広げる。


「見事だった、ナオヤ……!」


 その言葉が、どこか遠くで聞こえた気がする。

 気がつけば、セシリアの腕の中にいた。抱きしめられる温かさに、一瞬思考が停止する。

 広場の歓声が、さらに大きくなる。


「ナオヤさん、抱きしめられてるぞ!」「おいおい、決闘よりすげぇことになってんじゃねぇか!?」「おめでとう、ナオヤ!」


 俺は顔が上気するのを感じながら、そっとセシリアの背を軽く叩く。


「あ、ああ……セシリア、ありがとう……」


 商人が、沈黙のまま用心棒風の男に歩み寄るのが横目に見えた。賭けに負けたことよりも、ピクリとも動かない彼を心配しているようだった。

 商人は膝をつき、用心棒の体をゆすぶる。


「おい……おい! 生きてるか!? おいっ! クマっ!!」


 へぇ~、コイツ、クマって名前なんだ。

 ——ん? ——あれ? 直哉の脳裏に、ある違和感がよぎる。


 次の瞬間—— 俺の視界が、ぐにゃりと歪んだ。



「それでいいのか、神様よおぉぉぉ!」


 俺の叫びが、オフィスにこだましていた——。

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