第24話 ザガンの決断

「綺麗事を言ってくれる相手……か。貴様がそれをしてくれると?」


 低く響く声には皮肉が混じっていた。

 腕を組んだまま椅子にもたれかかるザガンの琥珀色の瞳が、俺を鋭く見据えている。

 村の宿屋の一室。

 質素な木製のテーブルを囲み、俺、ザガン、セシリア、ガルスの四人が向かい合っていた。


 部屋の中は蝋燭の淡い光に照らされ、静寂が支配している。窓の外では冷たい夜風が木々を揺らし、遠くで虫の鳴き声が響いていた。

 ピリリとした重い空気が流れる中、ザガンが口を開く。


「言っておくがな、俺は甘い言葉には踊らされない」


「でしょうね。でも”綺麗事”を聞いていただきたい」


 俺は肩をすくめた。

 ザガンのような男は、空虚な理想論を並べたところで恐らく響かない。

 だが、今の状況を正しく分析し、可能な選択肢を提示してみたらどうだ? いずれにせよ、ここで言わなければ、赤鉤団がいずれ破滅するのは明白だ。


「貴方たちは正直詰みの状態にあります。進む道も退く道はないでしょう」


「……続けてみるがいい」


 ザガンは顎を撫でながらも、その仕草にはどこか思案の色が滲んでいた。否定する言葉を紡ぐこともできたはずだが、彼はそれをしなかった。

 俺の言葉の先を、静かに待っているように見えた。


「戦い続ければ、間違いなく王国軍に殲滅されるでしょう。万に一つ王国を打破できたとしても、いずれは復讐によって滅ぼされるだけです。逃げたとしても赤鉤団の名は知れ渡ってる。どこへ行っても追われるだけです」


「……例えば亡命は?」


「無理でしょうね。亡命したところで、その国の都合のいいように使われるだけです。最初は匿うふりをしても、いずれは切り捨てられるか、取引の材料にされるのがオチでしょうね」


 ザガンは鼻で笑ったが、その目の奥には影が差していた。彼の脳裏に浮かんだのは、亡命先で囚われの身となる自分たちの姿だろうか? 初めは厚遇され、必要な戦力として利用される。しかし、用済みになれば見放されるか、敵国との交渉材料にされる。あるいは、賞金稼ぎの冒険者に始末される結末を想像したかのか……。


 ザガンはゆっくりと吐息を漏らし、皮肉げな笑みを浮かべた。そして、そのまま顎を軽く撫でながら、まるで自嘲するように呟く。


「俺たちが逃げたとして、待っているのはそんな未来か……笑えないな」


 沈黙が落ちる。ガルスが苦笑しながらも納得したように頷いた。


「なるほど。要するに、俺たちは詰んでるってことか」


「そういうことです」


 ザガンはゆっくりと椅子に背を預けた。背もたれがきしむ音が、沈黙の中でやけに響く。

 ザガンの目はぼんやりと天井を見つめていたが、そこにはどこか遠くを見据えるような、決意を固めようとする色が宿っていた。

 深く息を吐き、まるで腹の底から何かを押し出すかのように、静かに唇を開く。


「だったら、戦場で散るのが筋、だろうな」


「それが……本当に貴方の本心ですか?」


 ザガンの表情がわずかに強張る。

 冷静で揺るぎないザガンの顔に、迷いがよぎったように見えたが、困惑を悟られまいとするかのように目を細めた。


「……俺が死ぬのはいい。それはいい。だが……仲間まで巻き込みたくない」


 ザガンの声には、言い聞かせるような響きが混じっていた。その言葉が部屋の中に沈むと、短い沈黙が流れる。

 沈黙を破るように、オレの隣に立っていたガルスが足を一つ前に進めた。


「オレはザガン様にも死んでほしくないっすよ」


「そういや、ベルクも、そんなことを言っていたな」


「それが赤鉤団の総意っすよ。皆、王国への復讐だとか、酔狂だけでザガン様に付いてきたわけじゃないんすよ」


 ザガンは苦笑し、天井を見上げる。


「……今更そんなことに気付かされるとはな」


 その声には、後悔と諦念が滲んでいた。そして、その視線は俺に戻る。


「皆と平穏に暮らしたい願いがないわけではない……だが、もう戻れないところまで進んでしまっている。時間は戻せない」


「そこでです。私から提案があります」


 俺は前日に話し合った”赤鉤団が奈落の森に住む”というプランを示した。



「“渡界者”にはそんな力があるのか……?」


 ザガンは腕を組み、口元に指を当てながら考え込む。その琥珀色の瞳が細められ、静かな宿屋の中で蝋燭の炎がゆらめくたびに、彼の表情もまた刻一刻と変わる。まるで頭の中で俺の言葉を何度も反芻し、その意味を噛みしめているかのようだった。


「……もし本当に、それが可能なら……」


 かすかに呟かれた言葉は、誰に向けたものでもなく、ザガン自身の中にある葛藤に投げかけられたように思えた。

 そんな彼の様子を見ていたガルスが、唇を引き結びながらも力強く口を開く。


「ザガン様、やってみる価値はあるんじゃないっすか? オレたちはずっと戦うことしか選べなかった。でも、ナオヤさんが別の選択を示してくれてるっす。生きるための道を選ぶのは間違いじゃ無いっすよ」


 ザガンの視線がガルスに向けられる。真剣な眼差しを向ける部下をしばらく見つめた後、彼はまた一つ息を吐いた。


「……やれるかどうかは、わからない。だが……」


 ザガンは目を伏せ、拳を握った。


「王国への復讐を捨てたわけじゃない。貴族どもが築いたこの歪んだ世界をたださなければ、また同じ悲劇が繰り返されるだけだ」


 ザガンの声には、確かな怒りと信念が滲んでいた。それを聞いていたガルスが、じっとザガンを見つめ、わずかに微笑んだ。


「だったら、そのためにも、ザガン様は生きるべきっすよ!」


 ザガンは腹心の言葉を聞くと、もう一度俺の方を見た。そこにあったのは、これまでとは違う、わずかながらも希望を見出そうとする光だった。


「私も微力ながら協力しよう。貴族連中の考え方には思うところがあるからな」


 セシリアの青灰色の瞳が、強い意志を宿してザガンを見据えた。彼女の言葉に、ザガンの視線は大きく揺れる。


「私も同じ意見です。これは、一人でどうにかできる問題じゃない。だからこそ、協力してその方策を考えていきましょう」


 俺の言葉に、ザガンはゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。その呼吸は、長年積み重ねてきた戦いの記憶を振り払おうとするかのようだった。

 再び目を開いたとき、ザガンの瞳には以前よりもわずかに落ち着いた光が宿っていた。しかし、 その奥には複雑な感情が交錯している。


 「……情けない話だがな……」


 ザガンは低く呟き、僅かに苦笑した。だが、その笑みには自嘲の色が濃く滲んでいる。


 「俺はこれまで、力と信念だけを頼りにここまで来た。守るべきものは仲間だけで、それ以外のものはすべて敵だと……そう考えるしかなかったからだ」


 ザガンはゆっくりと視線を上げ、俺とセシリアを順に見つめた。


 「だが、こうしてお前たちに手を差し伸べられている。俺たちの未来を案じてくれる者がいる……そんなこと、考えたこともなかったな」


 拳を握りかけた手が、ゆるりとほどける。


「感謝する。だが、同時に申し訳ないと思う。お前たちのその言葉に、俺は甘えようとしているのだ……」


 その声音には、これまでのザガンにはなかった、かすかな弱さが滲んでいた。


 「……頼む」


 ——短く発せられた言葉は、とても重かった。

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