女のいない部隊
少女と狗が一つ山を越えてから、また数時間。またもや銃を持った男たちが、山のふもとに現れた。
今度はまだ猟師の名残があった者たちとは違う。迷彩の服に、銃も真新しい。
ただ、そのシルエットはやけにずんぐりとしていた。中身の詰まったダウンジャケットのような服のせいだ。
それは防寒のためではない。中に入っているのは活性炭をはじめとしたフィルターである。
その部隊には女がいなかった。
軍事組織の男の割合の多さや、確率の問題ではない。明確な方針として女を入れていない。組織の規則がそれを拒否しているのだ。
だが、それにもかかわらず、この男女同権の時代にあって、この部隊が非難されることはない。
『妊娠可能な女性は、原則として3 か月で5ミリシーベルトを超える放射線を
「大丈夫なんですかね」
兵隊の一人が言った。それは多かれ少なかれ、部隊全員が共有する感覚である。
「俺ら冬戦教ってわけじゃないし、雪山での追跡なんて訓練してないんすけど」
怯えているわけではない。不満も特にはない。ただ可能なのか、という疑問だった。
「そーゆうのはあんまり関係ないのよ」
分隊長の押野は、スキー板を器用に操って先導しつつ、埋もれ始めた足跡を見ている。
「大事なのは名前なわけ。こーいうことに使えそうな名前の部隊。だから行かせる。それだけよ。そんで派遣されたからには、失敗は許されないってこと」
化学物質、放射能、そして伝染病。
その他通常兵器の外にあるものを担当する部隊。それが中央特殊衛生隊であった。
昭和31年以来、日本国において伏神の存在は確認されていない。
それは平和と引き換えに対応力の減退を招いた。使わない能力を、退化させずに留めておくのは難しい。
そして戦略上の無理を吸収するのは、現場の役割だ。特殊衛生隊は、所属するほぼ全員をもって不測の病原の除染に赴いていた。
第一小隊第2分隊8名。分隊長、押野を筆頭に、大乗寺、富樫、伏見、西泉、内川、泊、山科。山科が最も若かった。射撃の成績も、山科が最も高い。
それでも、山科には自身の装備が分不相応に思えた。
「押野曹長、いいんですか。自分が新型の小銃持ってて」
「あー、いいよいいよ。こっちは使い慣れたものの方がいいから。お前そういうの気にせんでしょ」
「まあ撃てるなら」
衛生隊は前線にも行くが、あくまで支援が任務である。銃は一世代前の89式から更新されていなかった。それが今回の任務で変わった。
「伏退治するのに何の支給も無しじゃ外聞が悪いかんね。誰かが20式持ってないといかんのよ」
押野がぼやく。伏は重武装のテロリストと同等の危険性がある。旧式の装備では不安がある、ということだった。
ありがた迷惑である。いきなり新型を渡されても扱えるわけがない。そういうとき体よく差し出されるのが新人である。これは古今東西変わりない。
ただ適材なのも事実であった。山科は銃が好きだ。具体的な機械としてではなく、銃という概念が好きだった。
撃てるならなんでもいい。強化プラスチックのストックは、すでに肩に馴染んでいた。
先頭は隊長である押野が行く。レンジャーかつスキーでの訓練も積んでいるベテランである。
「山のふもとはもうぜんぶ閉鎖。師団の人たちが山狩りしてるけど、主力はあくまで俺たちだかんね。追って、倒す。そんで除染。やり方はまた確認すんぞー」
「ですが押野曹長。この雪ですよ?逃げた伏だって途中で町に下りて撃ち殺されるのがオチなんじゃないですかね」
富樫が常識的な意見を口にした。それは最大多数の予想である。雪山という環境はそれほど厳しい。少女が狗と逃げた、と聞けば、すぐ音を上げると考えるのは自然である。
「俺も半分そう思っとるんだけどよー。その娘さんがあれなんだろ?
「そうすね。伏研究の第一人者。子供も孫もずいぶん前に死んだらしいですけど」
押野は山科に向かって尋ねる。そういった教科書的知識も、山科は良く覚えていた。
個々の性能で言えば、山科の能力は高いレベルで揃っている。だがその上で優秀なら、大学にでも行くだろう。山科は特殊部隊員として雪山を歩いている。それもヒラとして。
そういう人間もいる。そういった者が流れ着くのも、また軍事組織だった。
「なんでひ孫だけ残ったんだ?」
「それは知らないです。めちゃくちゃ秘密主義者なんですよ。賢見佐狼って。写真もろくに残してないですからね。肖像画もない」
「あー、そんでスライドで顔写真一つ出なかったわけね」
軽く話しつつも、分隊は周辺への警戒は怠らない。すでにドローンが飛び、逃亡者の痕跡を探り出している。
数時間の差があるとはいえ、追う側の優位に比べれば無に等しい。山に近い幹線は全て封鎖され、予想された現在地を囲むように、衛生隊の各部隊が展開している。追いつくのは時間の問題だった。
通信機を背負う大乗寺が、無線を受ける。
「曹長!見つかったそうです。第三分隊。第一もすでに向かっています。他の小隊もすぐ来るでしょう」
「やっぱ南東かあー。うし、ちょこっと休んだら行くぞ!」
少女は逃亡者の基本に忠実に動いていた。人体の輪郭を浮き上がらせないために、凹凸の多い山の中ほどを進んでいる。山頂付近では頭が目立ち、谷底は単純に見やすい上に危険だった。
静は身を隠しつつ、雪崩の起きづらい場所を探して歩く。迷いなく一定の方角へ突き進む様は、熟練を感じさせた。
追跡者たちはおおむねその進路をふさぐ形で展開する。二個小隊。八個分隊。70人弱の化学歩兵が、一人と一匹を追い詰める。気配を隠しもしない。隠す意味もない。威圧して追い詰め、捕らえる。巻き狩りそのものの行動だった。
山科ら第一小隊第二分隊は、前方やや上から包囲されつつある少女を後ろから追う。少女はすでに追っ手の存在を察しているはずだが、足取りは変わらない。
「冷静なのかな。それとも危機感無いだけか?」
山科はひとりごちながらも、目は体を預ける場所を探していた。
大ぶりな木がある。広葉樹で、葉はしげっていない。山科はそれを気に入った。明るいし、いきなり雪が落ちてくることもない。
距離は500程度。だが、上から押さえつけられている標的は、いったん下らざるを得ない。地形からして、こちらに100メートルほど近づく必要がある。400なら、困難だが十分狙える距離だった。
「押野曹長。あっちがもうちょい近づいたら狙えますけど、どうします?警告射撃からいきますか?」
「ん、ちょい待っといて。大乗寺。無線借りるぞ」
返事を待たず、押野は司令部に連絡を取る。誰もが薄々察してはいたが、通話に時間はかからなかった。押野は受話器をかちんと鳴らし、顔を上げた。
「警告は必要ない。伏を狙え」
「了解。まず腹から撃ちます」
積雪で伏せ撃ちは不可能なため、膝立ちで狙う。右肩を木の幹に預け、銃床を体に固定する。
銃は愚鈍なものに味方すると山科は思っていた。これは銃を扱う者の中でよく知られた都市伝説でもある。何を考えているかもわからないのろまが、的だけは外さない。
銃に必要なのは固定だからだ。思考は有害ですらある。実際の射撃の経験すら無くとも、正確な姿勢と固定さえあれば当たる。銃という道具はそうできている。
山科は寒気が肌にしみこむのに任せ、待つ。息はぎりぎりまで絞った蛇口のように細く、白くなることもない。
車窓の景色のように、標的はゆっくり移動している。一人と一匹。間隔が近い。誤射を避けるため、良いと思う角度ができるまで、ゆっくりとスコープを動かす。
振り子のように、重なり離れる一人と一匹を十字線に乗せる。少女が上からの圧力に負けて山を降り始める。進路の変更と高低差によって、隙間が生まれた。
狗は大きい。2メートル近いサイズの中心は、足が長いため胸の少し下、腹のあたりにある。十字の中心が、狗の真ん中に合わさった。
狗がこちらを向いたことに驚きはなかった。伏は見た目通り賢く、銃と狩人を理解している。たとえ女の形であっても、山科は気にしない。その愚鈍さもまた銃の愛するところだ。
そして冷静に観察していたために気づいた。こちらを見ていない。
小首をかしげる動作は、山科のすぐ後ろにある気配を観察するものだ。
木から転がるように離れたとき、人型のかたまりが山科を直撃した。
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