第5話
俺の前提が間違っていることはわかっている。いや、わかっちゃいねえのやもしれねえが、とにかく、一定の範囲はわかっているということにするならば、として、言い訳をつらね、俺なりの言い訳をつらね、俺は爆弾を作り始める。
六畳の片隅で、パソコンを開き、爆弾の作り方を検索する。が、出てくるのは火炎瓶の作り方くらいのものだった。この際火炎瓶で焼死するのもありな気がしてきたが、「語りえぬこと」が俺の認識によって、語られることを拒むならば、爆破するが如く、俺の認識が爆破されればそれでいいような気もする。
俺にはもう、爆破することしか残されていないが、本当はこんなことがしたいのではないのだ。本当は。断じて、な。俺の歪んだ認識も、お前らへの批判も、全てどうでもいいのだ。俺の根源は、お前らの「普通」に接続できなかった故の、「それでも」という悲哀と諦念し切れぬ諦念なのだろう。否定してもし切れぬ悲哀なのだろう。詠嘆なのだろう。愛も、性も、加害性も、お前らは何一つ顧みる必要は無いのだ。俺が一人で生み出した化け物は、俺が一人で抱いて死ね。昨日見た「幸せになりたい」という一文のために、俺は死んでもよかった。
そうだ。俺は死ね。俺は死ね。俺は死ね。俺は、爆死しろ。いや、しなければならぬ。どこかに俺のような化け物じみたお前が、俺のように愛と、性と、加害性の狭間で怯えていて、俺はそれ以外のお前らに、世界に、批判を浴びせたかっただけなのだろう。そんな必要はないし、「お前ら」は存在しても、「お前」は存在しなかった。俺が爆死することは、俺の復讐でもなんでもなく、「俺」の最初で最後の、俺に都合のいい夢とやらを見る行為だ。
俺は今まで満足していなかった。が故に、俺の爆死によって俺は俺の自意識を保つことができる。いや、自意識なぞどうでもいい。俺に自意識なぞ許されてはいないはずだ。いや、いねえのにこのざまだが、だが、だからこそだからこそ、もうそれでよかった。ただ死だ。爆死だ。そこにはお前らへの批判も含まれているのだからな。逆恨みではあるが。
だが、しかし、それでも、それでも尚。それでも、な。これは俺の自己満足でしかない。のだが、それでも、な。それでも尚、俺、は、お前らへ、愛と、性と、加害への懐疑。これを遺そう。
しかしそれでは……。とは思う。そうして、しかしだの、だがだの、という言葉が延々と渦巻く脳によって俺の肉体は突き動かされ、彼女が乗っているかもしれない、と強制的に思い込み、またあの無人駅へ向かう。
またあの暑さの中で踏切の場所まで至った俺、は、つっ立ったまま昨日の店のページを見る。と、そこには昨日の女の紹介がまだあって、「将来の夢は」という質問に「幸せになりたい」と書いてあった。俺は、それを見た、俺、は、何度も何度も確認し、ているうちに、眼前の景色の中に存在する全てがいとしくなってくる。
しあわせに、なりたい、のだ。皆。しかし世界も、人も、矛盾に満ちている。矛盾に満ちている、世界、とやらの、お前ら、とやらの、いとしさよ。それでも生きているお前らの美しさよ。そんなものが、今更になって俺にはうつく、しく、思える。思えてくる。
俺は、本当は、「奴らは」なんぞと言いたくない。「お前らは」なんぞと言いたくない。言いたくない、のだ。本当は。お前も、奴らも、お前らも、本当は、本当に、泣けてくるほどいとしい、のだ。俺は。だからこそ、お前らが幸せとやらに、なってほしい、のだ。これはついに慈しむことができなかった、俺という存在への愛情を、世界とやらへの愛情という感情に肩代わりさせているだけやもしれぬ。だが、それでも。だとしても。だとして、も。
この世に偽善でない善が存在しないと思うからこそ、俺はそれでも俺の、世界への愛を信じている。俺の根源はそれなのだ。それで、それ故、愛だとか、性だとか、加害だとか、そういうもの、を、考えてしまう、のだ。罪について。原罪について。
だがな、今の俺はそれすら許容する、包む、さらに大きな愛を感じられるような、気がする。「幸せになりたい」。この、根源的祈りのような感情が、この世界の全てかもしれなかった。ならば俺は、やはり、爆死するしかなかった。復讐なんぞどうでもいい。やはり何の使命感なのかわからぬが、俺は祈りを込めて爆死するしかなかった。祈りのために爆死するしかなかった。いや、この使命感なんぞというものはどうでもよくなってくるほど、偽善すらいとしくなってくる。偽善を、抱いて、爆死したかった。俺の愛は爆発するほど大きくなっている。故に、爆破をもって表現するしかなかった。
お前らの中に、愛は、あるのだ。しかし、もしかすると忘れてしまうこともあるだろう。故に、俺は爆破によって思い出させる必要が、あるような気がしなくもない。いや、するのだ。
故に、俺は、最後に、彼女の顔を一目でも見てから死にたかった。そうだ。俺がここに、このくそあちい炎天下の中、日暮れを待たずにえっちらおっちらふらつきながら這い出てきたのは、そのため、それを、確認するためだったはずだ。愛を確認するためだったはずだ。
通り過ぎる電車を何本見送ったかわからぬ。わからぬが、とにかく、俺は彼女がどれかの電車に乗っていることを、期待し、見送った。が、そんなところに都合よく彼女がいるわけもなく、俺は夕暮れの中を歩いて帰る。
彼女が、彼女のことが、いとしかった。いや、もう俺には生きとし生けるもの全てがいとしかった。だがそれは、否定したはずの「愛」という概念を愛することではないか、という幻聴が聞こえてくるが、そんなことすらもうどうでもよかった。彼女への愛を語る言葉が、「愛」でしか語れぬのであれば、彼女を愛するという感情を含む、この、「愛」という概念愛していても、よかった。もう、いいのだ。もういいもういいもういい、のだ。イデオロギーを愛することになったとしても、そこに彼女への愛が含まれていることは、誰にも否定はさせぬ。させてはならぬ。「愛」でしか愛を語れぬのであれば、俺は愛で「愛」を語ろう。
俺はもう何を考えているのか、わからぬ。わからぬが、今の俺には世界の全てがいとおしかった。その辺を飛び交い踏み潰された羽虫やら甲虫の死骸すらも、いとしい、のだ。世界中の生きとし生けるものへの慈しみを感じる。感じる、のだ。いや、それならば、と、俺は思う。俺は生きとし生けるもの全てを慈しむのでは足りないのではないか。本当は森羅万象を慈しむべきで、ならば俺は、ガードレールすらも愛するべきなのだ。目の前の、ガードレールすら、俺はいとしくなってくる。ガードレールを見るだけで、涙が出てくる。溢れてくる。ガードレールのことが、いとしくて、いとしくて、俺は涙が止まらなく、なる。ガードレールだけではない。道沿いの潰れたラーメン屋の看板も、ポストも、白線の消えかけたアスファルトも、あらゆる人工物も、自然物も、もちろん人も、いとしくていとしくて堪らなくなる。涙が出る。鼻水が出る。止まらなくなる。
俺は愛に包まれていた。生きとし生けるもの全てやら、神羅万象やらがいとしいと言って、それがイデオロギーとしての「愛」だと言われたとしても、俺にはもうそんなことは関係ない。ないのだ。知ったこっちゃねえ。知ったこっちゃなくなってくる。俺の彼女への愛で全てを語ることも、世界への「愛」で全てを語ることも、もうどうでもいい。俺は愛と「愛」の差異について、躓いていたが、「知ったこっちゃねえ」のだ。「知ったこっちゃねえ」こそが、全てへの答えやもしれぬ。のだ。
俺が、この、俺の、思考が支離滅裂だったとしても、それが、知ったこっちゃなくただ、あいに繋がってさえいれば、それでいい。それで、いいのだ。俺の存在なぞ、いや、あいすら、支離滅裂なのだ。ならばこそ、そんなことは知ったこっちゃなく、ただ、あいしていれば、いい。いいんだ。いいのだ。
そう考え始めると涙が、止まらぬ。鼻水が、止まらぬ。すすり泣く声が、止まらぬ。それで、いい。それで、いい、ような、気がする。と、俺は俺の鼻水に意識がいく。鼻水だ。鼻水に意識がいく。鼻水が、垂れて、くる。この鼻水。鼻水こそが、愛ではないのか。あいではないのか。「彼女の鼻水を舐めたい」これこそが、あいではないのか。性欲でも性癖でもなく、愛情表現としての、鼻水を舐めたい。そこには性欲はなかった。し、俺の性癖でもなかった。だからこそ、本当は鼻水なんぞ舐めたくはねえが舐めたいこの感情。舐めたくなんぞねえからこそ、俺は彼女の鼻水を舐めたかった。舐めたくなんぞねえが、それ故にそれが最上の愛情表現であるならば舐めたくて仕方がない。仕方がなくなってくる。
俺は、鼻水を舐めたい。鼻水を、舐めたい。彼女の、鼻水を、舐めた、かった。それでしかあいとやらを表現できぬのであれば。それこそ知ったこっちゃなく、俺は、彼女の、鼻水が、舐めたい、のだ。それが、それこそが、真理やもしれなかった。
俺は死ね、死ね、と、考えていたが、愛の真理なるものを見つけたやもしれぬ今、は、真理を見つけた気になっている今、は、死ねなかった。死にたくない。死にたくない。死にたく、ない。俺なんぞ死ねばいいのだが、死にたくなかった。俺はもう死ねなかった。死にたいほど死ねぬ理由を見つけたからこそ、彼女のために生きたかった。「彼女のためなら死ねる」なんぞという言説は嘘っぱちでしかない。俺は、死ぬほど彼女のことがいとしく、死んでもいいと思うからこそ、彼女のために、生きたかった。
そうだ。鼻水を舐めたいし、彼女のために生きなければならぬ。
故に、答えを得た俺は家なる場所へ、また戻っていく。その、途中の景色が、色づいている。煌めいて、いる。俺の世界に、色が戻って来る。ガードレールが、いとしい。看板が、いとしい。ポストがいとしい。白線がいとしい。行き交う人々全てが、いとしい。俺の世界は、愛に満ちていた。
そうか、お前らの見ていた景色とは、これだったのやも、しれぬ、と、俺は思うのだ。それに満足した俺は、自宅なる場所へ戻り、風呂に入り、歯をみがき、着替え、くせえ布団を部屋の隅に追いやり、畳の上に転がる。自慰なんぞする気も起きぬ。冴えた思考だけがあって、世界が輝いて見える。俺のごみみてえなこれまでの人生とやらの象徴の部屋の一切さえも、輝いて、見える。俺は満足していた。充足していた。それでよかった。全て、それで、よかった……。
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