第4話 マッチングアプリ
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マッチングした公務員くんとは、週末に会うことになった。
車を出してくれるそうなので、前から行ってみたかった美術館をリクエストした。展示を見たあと、食事をして帰るだけの健全なデートだ。
〈絵とか、あんまわかんないけど、なぁさんが行きたいならそこにしようか〉
行ってみたい美術館があるとこたえると、こう返信がきた。
「まるで自分は行きたくないけど、君が行きたそうだから付き合ってやるよ」と暗に言われてるみたいで、気が萎えたが、下手に指摘して地雷女扱いされるのも嫌だったので、わたしは機嫌良く返信をした。
〈私も絵とかあんまりわかんないけど〉
〈インスタで見かけたから、行ってみたくて〉
そのおかげか、彼からの返信は早かった。
〈インスタか〜なるほどね〉
〈じゃ、そこにしとこうね〉
最後に踊るような絵文字のついた、機嫌のいい返信がきて、私はほっとした。
彼は私を軽率だと思っただろう。でも嫌うことはないはずだ。目的地の美術館では、いま、十数年ぶりに〇〇の特別展が開催されているとか、庭園は著名なガーデンデザイナーが全面プロデュースを手掛け、遊歩道脇には普段は油絵しか描かない現代作家の貴重な彫刻作品があるとか、訪れたい理由はいくらでもあるけれど、わざわざそれを口にする必要はない。
それに私も、今は美術の話がわかる人とは出かけたくない。下手にそういう人と話せば、きっと私は美術への「好き」を我慢できない。赤ちゃんが卵ボーロを落とすように、展示を見ながらぽろぽろと好きのルーツを話してしまうだろう。
そして向こうは察する。
——もしかして、なぁさんは、絵とか描くの?
そう聞かれて、「いいえ」とこたえられる自信が、私には、まだない。
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「名代さんは、週末の予定ある?」
昼休み。お弁当を食べていると、向かいのデスクから鮎川さんに聞かれた。私は箸をとめ、小さく頷いた。
鮎川さんは私が入社する前から働いている、ベテランのパート従業員だ。週3日、火曜日と水曜日と木曜日に出勤する。
主に営業事務と在庫管理を任されていて、若々しい顔立ちの人だが、高校生と中学生の子どもがいる。
鮎川さんは友人のいない私が唯一プライベートの話をする相手だった。なので、彼女が出勤する日は、屋上ではなくデスクで食事をすることにしていた。
「今週ですか?はい、滞りなく」
咀嚼途中だったお弁当の唐揚げを飲み込んで、得意げに言えば、鮎川さんは、げえっと呆れた声を出した。
「その中途半端に明るい返事……まさか今週もアプリなの?」
「はい、もちろん!」
そういうと私はスマホを取り出した。例のデート相手、公務員くんのプロフ画面を見せる。鮎川さんは椅子から腰を浮かせ、前かがみにそれを眺めた。
「どれどれ?身長170センチ、中肉中背、N大卒の県庁勤務で?ほお……趣味は映画鑑賞……」
「どう思いますか?」
つぶやきながら画面を凝視する鮎川さんに、おそるおそる彼の印象を聞いてみる。
「うーん。70点かなあ」
鮎川さんは少し考えてから、そうこたえた。すとんと椅子に腰をおろす。
「75点?思ったより低いですね……」
「まあね。書かれたスペックは85点くらいありそうなんだけど、書いてることに思考余地があると思わない?」
「思考余地?」
「身長は四捨五入の可能性があるわよね。出身大学は盛ってないだろうけど、卒業した学部が書かれていないのが気になるかな。それに、勤務先。県庁職員ではなく『県庁勤め』って書いてるところが気になる。もしかしたら、公務員じゃなくて、委託会社の社員かも」
まるで芸能人の熱愛ニュースにコメントするように、鮎川さんは公務員くんについてつらつら語ってくれる。私はこの鮎川さんのこの語りを聞くのが結構好きだ。他人だからこそ、辛辣に本音を言ってくれる。
「なるほど……」
「嘘にならない程度の脚色ってこと。それを考慮して70点ってわけね。ちなみに週末のデートはどこへ行く予定?」
「筑豊の○○美術館に行こうと思ってます」
「筑豊?電車で行くの?」
「いいえ、車です。彼が出してくれるそうなので」
彼の車で遠出をすると聞いて、鮎川さんの顔が少し曇った。
「あーそっか。じゃ、65点」
「減点?どうして?」
「元々知り合いで付き合ってるならともかく、初めてのデートで密室に誘い込もうとするのは、ちょっとね。筑豊って遠いし」
「確かに遠いんですが、実は、行き先は私がリクエストしたんです。前から行ってみたくて」
「なるほど。名代さんの提案なら、3点加点ね。68点でフィニッシュです」
鮎川さんのフィニッシュコールを聞いて、私は思わず笑ってしまった。でも思ったより点数はいい。
「ありがとうございます。鮎川さんの評価点50点以上でデート続行規定につき、休日は楽しんできますね」
アプリで会った相手とデートをする前に、プロフの印象を鮎川さんに聞くのは、私の習慣の一つになっていた。
そこで、デスクの端にいた雨宮課長がぷはっと派手に吹き出した。私と鮎川さんは同時に課長席を見る。視線を受け取った課長は、謝るように顔の前で手を合わせた。
「課長!名代さんの恋バナを盗み聞きするなんて、ひどいですよ!」
「ごめんごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、あまりにも鮎川さんの着眼点が面白くて」
課長は謝りながらも堪えきれないようで、私も思わず吹き出してしまう。なぜか鮎川さんが申し訳なさそうに私をみている。どうやら鮎川さんは、私がマッチングアプリを使っているのが課長にばれてしまったことを気にしているらしい。
「大丈夫ですよ。私隠してないんで。今の時代、出会いを求めるならマチアプは必須ですから」
それに、もしもマッチングアプリのことを私が気にしているなら、最初から昼休みにマッチングアプリの話をしたりしない。
狭いオフィススペースで話していることなんか、聞かれて当たり前なのだから。
「それで、名代さんは今彼氏募集中なわけか」
ひとしきり笑いが落ち着いたのか、課長が話題に入ってきた。仮にも上司の男性と、こんな気楽な雑談をしてもいいのか。一瞬考えたが、聞かれたので頷いておく。
「ええ、まあ。私ももうアラサーですし、そろそろちゃんと付き合える相手が欲しいなあと」
「なるほど。それでマッチングアプリとな。どうなの?いい相手は見つかるもんなの?」
目をキラキラさせて課長はマッチングアプリについて尋ねてくる。どうやら、普段使わないツールに興味津々のようだ。
「うーん。どうなんでしょう。人によってはすぐに付き合えることもあるみたいですが、私はまだ使いこなせてないですね。もう半年ぐらいやってるんですが、マッチングはしても、交際までは行かなくて」
「半年?結構やってるねえ」
「ええ。1回目のデートまではいけるんですが、みんな2回目は会ってくれなくて。原因を色々考えるんですが、恥ずかしながら自分に交際経験がないので、正直、よくわからなくて……」
交際経験がないのは本当だった。学生時代はデッサンや制作に明け暮れていたし、バイト先も女性スタッフしかいないカフェだった。
社会人になってからは、私は転勤なしのエリア社員だし、転勤でやってくる社員は皆既婚者だ。課長だってそう。数を打たなきゃ愛されない遅筆の私には、少し出会いが足りない。
かろうじて性交の経験はあるが、一回だけ、それも酒の力を借りた私が、お願いして至ったものだ。
お互い酔っていたし、早朝向こうが目を覚ます前に、お金を置いて逃げるように帰ってきたので、きっと向こうは覚えていない。
「うーん……」
課長は、少し考えて、閃いたように顔を上げた。
「2回目のデートってさ、名代さんからは誘えないの?」
「え?」
私は固まってしまう。この半年間、何人かとデートをしたが、私から2回目のデートを誘うことなんて、考えてもみなかった。
「もしも向こうが誘わなくてもさ、名代さんがいいなと思ったら、名代さんから誘えばまた会えるんじゃない?」
「たしかに……そうですね……」
「でもさ、それをしなかったってことは、名代さんがもう一度会いたいって思う相手に出会えていないんじゃないかな」
確かに課長の言うとおりだ。もう一度私が「会いたい」と思うのなら、私から誘えばいいだけの話だ。
「それを踏まえて、おせっかいを言うんだけどさ」
課長は、機嫌よく指を振って続ける。
「もしかしたらさ、名代さんは、マッチングアプリに向いてないのかもよ。初対面の相手とたくさん会うより、すでに出会っている相手と親睦を深めていくほうがいいんじゃないか?」
「まさか。すでに出会っている人で、私と恋人になってくれる人なんか、いませんよ」
いいかけた反論を、課長は目を閉じて制止する。
「そうだなぁ」
それから、じっと私の目を見ると、
「例えばさ、君の同期とかどうかな?」
と、やけに真剣な眼差しで言うのだった。
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