第2話 封印の誤解

 学園中がパニックになっていた。理由は簡単。俺が寝坊したからだ。


 いや、普通なら「ちょっと寝過ごしたなー」で済む話だろう? なのに、なぜか「封印が解かれた」とか「世界が変わる」とか、大仰な話になっている。


 意味がわからん。


 廊下では教師や生徒たちが右往左往し、誰かが呪文を詠唱しながら保護結界を張っている。屋上では対空防衛魔法が展開され、鐘楼では神官服を着た生徒たちが「時は来たれり…」と呟いている。


 おい、なんだこの宗教じみたノリ。

 そんな異様な騒ぎをよそに、俺の部屋の中は驚くほど静かだった。


「…お坊ちゃま、大変な事態です」

 静かで落ち着いた声が部屋に響く。


 俺の専属メイド、リリス・アークライト。戦闘能力が異常に高いくせに、感情をほとんど表に出さない。嵐が来ようが世界が滅びようが、たぶん同じトーンで紅茶を淹れる女だ。


 今も変わらぬ無表情で、俺のベッドの横に立っていた。手には銀の盆があり、その上には朝食が綺麗に並んでいる。


「学園中が大騒ぎです」

「…は?」


 今、このメイドは何を言った???


「いや、待て待て待て! 俺はただ寝てただけだぞ!!」

「ええ、存じております。しかし、それを学園の方々が信じるかどうかは別問題です」


 扉の向こうから、ざわめきがどんどん大きくなっていく。


「おい、お前ら、違う! 俺はただ寝てただけだ!!」


 俺は思わず叫んだ。普通なら、これで誤解は解けるはずだ。

 普通なら、な。


「…封印が解かれた影響で記憶が混濁しているのか?」(生徒A)

「そうか、魔王の意識と融合しかけているのか……!」(生徒B)


「違うぅぅぅ!!!!!」


 魔王ってなんだよ!

 呆然としていると、さらにざわめきが増し、誰かが叫んだ。


「生徒会長セリーヌ様が緊急対応を発表される!」


 ――最悪の展開だ。


 生徒会長セリーヌ・グレイシア。氷の守護者の異名を持ち、冷静沈着な判断力で知られる才女。学園内で絶対的な権威を誇る存在であり、彼女が動いたということは、すでにこの事態が「学園の危機」として扱われているということだ。


 いや、だから俺は何もしてないんだけど!?

 そして、俺の悪い予感は、次の瞬間に確信へと変わった。


「緊急放送を開始します!」


 学園の上空に浮かぶ巨大な魔導スクリーンが点灯し、冷たい眼差しのセリーヌが映し出された。


『全生徒・全教職員に告ぐ――』


 彼女の言葉が、学園全域に響き渡る。


『現在、学園は封印異常による非常事態です』


 ざわめきが一気に悲鳴へと変わる。


『これより、封印安定化のための対策を実行します。アレクシス・ナイトロードに不用意に接触しないこと。以上』


 ……いやいやいや。


「おい待て! なんで俺が危険人物みたいになってんだ!!」


 その瞬間、リリスがふっと微笑んだ。


「大丈夫です、お坊ちゃま」

「え、マジで? ちゃんと説明してくれるのか?」

「ええ。ただし」


 彼女は銀の盆をそっと置くと、ゆったりとした動作でメイド服のスカートの裾に手を滑らせた。


 ――カチリ。


 わずかな金属音。次の瞬間、リリスの指先には、鋭く研ぎ澄まされたナイフが握られていた。


「…多少、荒っぽい手段になりますが」

「待て待て待て待て!!!」


 ――学園の誤解は、まだまだ解けそうになかった。

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