運命は巡る因果の糸車
月光園は鴻臚館ともなってるけど、さすが有馬のデラックス旅館って感じ。温泉に入ったら夕食だ。なんか洋室に泊まったらお食事処みたいなんだけど、和室だから部屋食だ。
「カンパ~イ」
ツーリングで走り回った後の温泉旅館も良いけど、こんなのも良いよね。
「有馬やけど、こうやって来てみると別天地みたいやな」
それ、わかる。日本を代表する大温泉地のはずだし、立派な温泉街だってあるけど、山の中というより、谷間の中にあって、それも森の中にいるみたいだ。有馬温泉ってこんな感じになってるって初めて知ったかな。
「坂が多いな」
だったな。有馬温泉駅からひたすら登ったもの。というかさ、平地みたいなところなんか殆どないのじゃない。それでも一度ぐらいは泊っても良いところだと思うよ。料理だって美味しいじゃない。飲んで食べてしてたのだけど、コータローがしんみりと、
「千草はホンマのとこはどうやってん」
それは・・・どうしたって息子が出来たら息子になると思うよ。男女同権の時代だけど、その辺はどうしてもね。だから実母の離婚がなくて、千草が一人娘だったり、妹だけだったらあったかも。
「それでもや」
その機微があったから継母との折り合いが悪くなったと思うよ。継母にしたら息子を産んだから社長は自分の子にって思うじゃない。上手い具合に先妻の子どもは娘の千草だけだ。家的に順当なら弟が社長でおかしくないもの。でも親父が少し揺れてた気がする。
「エエ親父やってんやな。そうならんのも多いやんか」
それはね。後妻の子に愛情が傾いて、先妻の子を冷遇するのも良く聞く話だもの。親父はどうも母親を実質的に失った千草が可哀そうぐらいに思ってたぐらいかもしれない。けどさぁ、そんな中途半端なことをするからおかしくなったのよ。
「難しいな」
ホントに。だからバレーに熱中してた。
「熱中しすぎやろ。千草やったら明文館に行けたはずや」
無理だって。あんなとこクラスで一番になってやっとじゃないの。そこまで千草の頭は良くないぐらい知ってたもの。
「サボってただけや」
うるさいわ。勉強が嫌いだったのは認めるけど。でもさ、仮に千草が家を継ぐことになったりしたら、コータローと結婚できないじゃないの。
「喜んで種馬になるで」
やめとけ。女だって嫁イビリはあるけど、男への養子イジメはその比じゃないらしいよ。とくに婿養子は半端ないとか。
「婿入りとまたちゃう言うもんな」
さすがに知ってたか。女は嫁に行くけど、それと男版の婿入りはある。婿入りすれば嫁の姓になるけど、あれは家から見ると嫁入りと同じ扱いになるのよね。これじゃ、わかりにくいか。
婿養子も嫁の姓になるけど、同じ婿でも決定的な差がある。それがただの婿じゃなくて養子である点だ。婿入りでも義理の息子にはなるのだけど、養子となれば実の息子扱いになるってこと。
「実の息子扱いになるさかい、相続権が発生してまうからな」
そうなのよ。実の子と同等の権利が出来るってこと。婿入りとか、嫁入りだけではそれが無いのよね。
「財産とか、ましてや千草のとこみたいに家業の会社のあるとことはややこしそうや」
そうなる。だってさ、婿養子なら実子と同等の相続権が発生するから、家の財産をそれだけ持ってかれるじゃない。あくまでも例えばだけど、千草が一人娘だったら、遺産の半分は婿養子のものになるってこと。
「相続放棄はせんやろ。そのための婿養子やもんな」
相続放棄するぐらいだったら婿入りにしてるよ。相続権が発生するからわざわざ婿養子になってるってこと。けどさぁ、財産のある家って血族意識が今だって強いのよね。いくら実子扱いになると言っても養子はどこまで行っても他人としか見られない。
とにかくカネの絡む話だから、どうしたって財産を盗みに来た他所者扱いにされやすい。だから養子イジメに発展しやすいし、始まれば一族から袋叩き状態になったりも珍しいとは言えないはず。
「そやから昔から小糠三合あったら養子になるなって言われとるぐらいや」
そうじゃないケースもあるとは思うけど、そうなりやすいのは実態だと思うよ。
「そやったら千草も婿入りにしたらエエやんか」
理屈ではそうだけど、今だってだよ、この男女同権の今だって、わざわざ婿入りしたい男って多くないじゃない。よほどの事情がない限り嫁さんの姓にしたいって男はどれだけいるかって話だ。
ましてや、千草が家業を継いでの前提だから、それなりに釣り合いのある男じゃないとならないじゃない。つうかさ、経営者になって会社の切り盛りを出来るぐらいの手腕を見込めるぐらいの男が必要だ。
「次期社長が出来る男やろ」
だからそれだけの男を婿にするにはエサがいるのよ。それが相続権付きの婿養子になる。じゃなきゃ、誰が婿に来るものか。言い方は悪いけど、カネで婿を買っているようなもの。加えて言うなら嫁はブサイクの千草だ。
「そやからオレが種馬に」
良く言うよ。末次さんの提案を断ってるじゃないの。もっともあれは高三の時の話だから仕方ないと思うけど、末次さんとだってあの時の話の転びようによっては、コータローが婿養子になってたのよ。
「唯の種馬か・・・」
あははは、やりたそうだね。良いよ、気持ちはわかるもの。初恋の憧れの人だものね。あの時ならヴァージンのはずだから、どんな困難を乗り越えてでも、とにかくゲットしたかったんだろ。
「そう言うな。人には成長段階があるねん。そやけど、唯とは、あれはあれで良かったと思うねん」
千草だってお見合いをした頃は危なかったからコータローの事は言えないのよね。あの時に誰かが千草を気に入ってたらここにいなかったもの。
「それはわからん。結婚しても出戻りになって、それをゲットしとるかもしれんやんか」
あのね、千草の不幸を祈ってどうするのよ。幼馴染の同級生でしょ。そこまではともかく、やっぱり嫁に行ったら嫁イビリを喰らっただろうな。あの時のどこの家も面倒そうで、母親の顔みただけで陰険そうな気がしたもの。
「それはわからんで、オレが種馬になって養子イジメを喰らうのとはちょっと違う」
どう違うのよ。
「そんなもん政略結婚の要素が入ってるからや。そもそもやぞ、政略結婚ってなんのためにするねん」
そりゃ、家と家を姻族関係で結びつけるためでしょ。
「そうや。その時やけど、千草の家の方が大きいやんか」
そ、そうなるね。あれでも故郷では大手の方のはず。
「そん時に嫁に出した千草が嫁イビリなんてされてみい。ましてや、それが原因で離婚なんかになったら、嫁ぎ先の家の会社はどうなるぐらいはわかるやろ」
千草に嫁イビリを仕掛けて親父にチクられ、親父の機嫌を損ねようものなら、会社経営にとって宜しくないはず。ましてやそれがこじれて離婚になり、親父が関係を断つなんて事になれば倒産だってあるかもだ。
「そこまで千草の親っさんならやると思うで」
千草の故郷ならそれぐらいの影響力はあるものね。なるほどね、政略結婚なのが嫁イビリの防波堤になってたかも知れないのか。だったら、あの見合いの時に千草が結婚してたら、
「オレは出戻りになるのを待つしかない」
違うでしょうが。嫁に行った時点でノーチャンスじゃない。もちろん理屈と現実は同じじゃないけど、仮に出戻りになってたらコータローは千草を口説いてたの?
「元人妻の色気ムンムンの千草にメロメロにされとるわ」
なるか! 誰がアラフォー目前の出戻りのバツイチ女に手を出すものか。だいたいだぞ、そんな状況で千草がノコノコ同窓会に顔を出すはずがないだろうが。でも、そうやって考えたら運命ってどう転がるかなんてホントにわからないものだ。
「因果は巡る糸車、明日はわからぬ風車、臼で粉引く水車、我が家の家計は火の車、車は急には止まれない、すべて世の中堂々巡り」
なんだよそれ。最初のもっともらしいところはまだしも、『我が家の家計は火の車』もかなりだけど、『車は急には止まれない』は交通標語だぞ。
「大昔のNHKの人形劇のセリフやそうやけど、今でも運命は巡る因果の糸車ぐらいで生き残っとるわ」
どんな人形劇だったんだよ。NHKなのに吉本新喜劇風だったのだろうか。それにしても最後のセリフは気に入らないな。世の中は堂々巡りする時もあるけど、最後は流れるところに流れて行くはず。
「オレもそうやと思う。抗らえない運命って言葉もあるけど、あれかって流れに逆らい切れんからそうなったんや。抗らってる間は堂々巡りしとったでエエと思うねん」
まあそうだけど、それはそれで運命論過ぎておもしろくないよ。
「そんなもん受け取りようや。人は運命がどう流れるかなんてわかるもんやない。その場、その場でエエ方に流れようと頑張るのが人生やんか。千草の運命は、今晩ここでオレと泊まるんが生まれた時から決まっとってん」
えらい壮大な運命論だな。
「ほな聞くで。オレは千草と結婚出来たけど、あの同窓会で再会する運命があらへんかったら、オレがどう頑張ってもどうしようもあらへんやんか」
幹事に聞いたけど、コロナ禍で延期を余儀なくされた時に、もうやめようって話もあったらしいのよね。そりゃ、いつコロナ禍が終わるかわかんなかったもの。それをどうにかなんてコータローではどうしようもなかったはず。
あの時の出会いはまさに自分ではどうしようもない運命で、あそこから今日まではそこから続くセットみたいなものかも。
「人生なんか真っ暗闇の中を手探りで進んで行くもんやと思うねん。一歩進んだ先に何があるかなんかわかるかい。それでもや、捕まえたもんを手放さんようにすることぐらいは出来ると思うんや。オレにとってはそれが千草や」
千草にとってはコータローだよ。
「気が合うな。そやったら裸エプロン・・・」
おまえな。運命の糸車の末に捕まえた千草をそんなに手放したいのか。そこまでして千草と離婚したいって言うのか。運命から見放されるぞ。
「これだけは気が合わんな」
合うかそんなもん。
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