第3話 まさかの邂逅

「マジか」


 重厚感のある、瀟洒な扉を前に、ぽつりと、そう呟く。


 放課後――俺は予定通り、今日からアルバイトとしてお世話になるお宅に辿りついたわけだが、辿りついてから、親父に繋げてもらった例の後輩さんから、メッセージアプリで連絡が来ていることに気付いた。


 後輩さんは自営業だから、今日の夕方は俺との顔合わせのために時間を空けてくれる予定だったが、急な打ち合わせが入り、そちらに行かなければならなくなってしまったということだった。

 すでに到着してしまったので残念だが、仕事ならば仕方がない。


「……ん?」


 しかし、読み進めていくと、「自分は自宅にいないが、娘は帰ってきているはずなので、挨拶だけでもしてくれると嬉しい」という記載に目がいく。

 後輩さん、娘さんがいたのか。いや、そりゃいてもおかしくないけど、詳しい家族構成まで親父に聞いていなかったから、知らなかった。


「まあ、そう言うなら……」


 娘さんが何歳なのか知らないが、いきなり知らない男が訪ねてきたら驚かないだろうか?

 ちょっと警戒しつつも、後輩さんがある程度は話を通してくれていることを信じて、俺はインターホンを鳴らした。


 ピンポーン。


 ―――ガチャ。


 音が鳴ってからすこし間があったが、中から鍵を開ける音がした。おそらく、娘さんだろう。

 こういうときは最初が肝心なのだと、俺はピシッと背筋を伸ばし、印象のよい挨拶の準備を――



「こんにちは! 今日から家事手伝いとしてお世話になります、三崎絢斗で……うわあああっ!!!」


 しかし、俺は自己紹介の途中で大きく体をのけぞらせると、情けないことにそのまま後ろへ倒れ込み、尻もちをついてしまった。

 いや、そんな、まさかな……と、自分の見間違いであることを願い、ゴシゴシと目を擦ってからもう一度視線を上げる。

 だけど、見間違いなんかじゃない。

 何度瞬きを繰り返しても、今俺の目の前にいるのは……。



「神楽坂美織……っ?!」

「な、なんで?! なんで三崎くんがウチに?!」


 俺の驚きっぷりも相当なものだが、神楽坂もまた、目を見開いてパチクリとさせていた。

 そりゃあそうだ。俺と神楽坂はクラスメートで、大した接点もないくせに、今日に限ってくだらない言い合いをしたばかり。非常に気まずいし、そもそもバイト先が同級生の家だなんて聞いていない。


 いやまあ、確かに「神楽坂」なんていかにもご立派な苗字はそうそういないし、後輩さんと連絡先を交換した時点で怪しむべきだったのかもしれないが……とはいえ、俺はいままで神楽坂美織とろくに喋ったこともなかったから、神楽坂という苗字イコール彼女、という発想があまりなかったというか、なんというか……。


 ぐるぐると脳内で考えを巡らせている間にも、神楽坂の端正な顔はみるみるうちに赤くなっていって。


「あ、あ、あなた、まさか、嘘をついて私の家に上がり込もうとして……ッ」

「いや、嘘じゃないって! 今日から家事手伝いさせてもらうって約束だったんだよ! お父さんから何も聞いてないのか?!」

「それは聞いてるけど、まさか同い年の男の子が来るとは思わないじゃない!」


 うん、まあ、それは当然の驚きだ。


「本当はお父さんにご挨拶させてもらうはずだったんだけど、急な仕事が入ったみたいで、それで、娘だけでも挨拶して行ってくれって言うから……!」

「なッ?! わ、わわわ、私が家に一人だって知って、それでインターホンを……?! いやああっ! はは、破廉恥だわ! 家に上がり込んで何をしようとしてるのよぉ?!」

「か、神楽坂、落ち着け、落ち着いてくれ! 頼むから!」


 茹でダコのようになった神楽坂は、一人で妄想を募らせ、また濡れ衣を着せてこようとするので、俺は慌ててそのうるさい口を手で塞ぐ。

 こんな玄関越しに騒がれたんじゃ近所迷惑だし、下手すると俺が不審者として警察に突き出されてしまう。冤罪とはいえ、未成年の俺がそんなことになったら、確実に保護者を呼ばれるし、親父にも迷惑がかかる。それだけは避けたい!

 その一心で必死に神楽坂を押さえ込み、とりあえず中で話をしようと、無理矢理玄関に入り込み扉を閉めた。


「んぐっ……! な、何するのよ!」

「いや、だって玄関先で騒ぐから……! あれじゃあ人が来ちゃうだろ!」

「人が来ては困るようなことを私にするつもりなのね?!」


 ダメだ、こいつ、清楚なフリしてあまりにも脳内がピンクすぎる。これでは埒があかない。

 俺はとりあえず空気を変えなくてはと、大袈裟に咳払いをした。


「ゴホンッ! ええと、改めてだけど、今日から家事手伝いとしてお世話になることになった。三崎絢斗だ」

「知ってるわよ!」

「うん、うん。まあ、色々言いたいことはあるだろう。俺もあるし。でも、既に神楽坂のお父さんと俺の親父で、話はついてるんだ」

「なぁッ……!」


 神楽坂は眉を吊り上げ、口を思いっきりへの字に曲げる。

 そんなに怒っちゃ、せっかくの美人が台無しだ……と思ったが、そんなことを口にしようものなら、彼女は瞬く間に茹でダコから般若に進化するだろう。


「とりあえずさ、立ち話も何だし、中で話さない?」

「それは訪問者側が言うセリフじゃないんだけど?!」


 神楽坂の冴えわたるツッコミを背に、俺は勝手に自宅へ上がらせてもらうことにした。

 不躾極まりないが、こいつのペースに流されたくないし、何より玄関先で言い合いをすることで声が外に漏れ、通報されてしまうのを恐れての行動だ。

 すみません、後輩さん……。

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