第2話 学園の姫巫女様

「ふわぁ……ねみー」


 大きなあくびをしながら、俺は教科書を鞄にしまう。

 帰って昼寝でもしたいところだが、今日は親父から言われた、例のアルバイトの顔合わせに出向く日なのだ。俺はその親父の後輩一家とは完全に初対面だし、こんな間抜け面で会いに行くわけにはいかない。絶対、仕事できない奴だと思われる。

 俺は、二回目のあくびを噛み殺して、自分の両頬を軽く叩いた。


「あ、ヤベ」


 机に出ていたペンケースを鞄にしまおうとした瞬間、手が滑って床に落としてしまった。その場に散らばったシャーペンや消しゴムに、傍を通っていた誰かが足を止める気配を察知する。

 慌てて拾おうとしゃがみこんだとき、頭上から氷のように冷たい声が降ってきた。


「……嫌がらせのつもり?」

「え? あ、いや、すまん。普通に落としちまっただけで」


 自然と視線が上を向く。むすっとした顔で俺を見下ろしているのは、同じクラスの神楽坂美織かぐらざか みおり――。綺麗な黒髪ロングが特徴で、その神秘的な外見から「姫巫女様」などと呼ばれ、学校内でかなりの人気を誇る美少女だった。

 その神楽坂が、眉間に皺を寄せて、渋い顔で俺を見ている。


「ごめんって。すぐ拾うから……」

「ふん。破廉恥な……」

「は、破廉恥?!」


 思いもよらぬ言葉が降ってきて、俺はガバッとまた視線を彼女のほうに向けた。


「見ないでッ!」


 すると神楽坂はハッとして、自分の制服のスカートを押さえた。


「え、ええっと」

三崎みさきくん。貴方のことだから、どうせ私のし、し、下着が見たくて、わざと床に物を落としたんでしょうっ?!」

「はあああ?!」


 ぶっ飛んだことを言われ、俺は思わず大声を上げる。


「何言ってんだ! ペンケースを落としたのも偶然で、神楽坂がそこにいたのも偶然だ!」

「だ、だ、だって、男の人ってそうなんでしょ。絶対にそうだわ、不潔だわ……!」


 ブツブツ言いながら、神楽坂は自分の手を口元に持っていき、わなわなと震えている。

 彼女は男に対してだいぶ失礼めな偏見を持っているようだが、そういえば神楽坂の家って結構なお金持ちで、いわゆる「お嬢様」だとか、聞いたことがある。詳しいことは知らないが、箱入り娘というヤツなのかもしれない。……いやだからといって失礼だけどな?!


「あの、さ。拾いにくいからそこどいてくんない」

「……~~っ! 言われなくたってどきます!」


 俺はなるべく上を見ないように気を遣いつつ、これ以上面倒な展開にならないよう、さりげなく神楽坂に退散を促した。

 すると神楽坂は真っ赤な顔をして、逃げるように教室を出て行った。


「はあ……」


 ……あんな頓珍漢な女でも、顔がいいからモテるんだなあ。呆れながらそう思う。

 だって、今、俺たちはこんなバカみたいなやり取りを一、二分行っただけなのに、なぜかクラスメートの男子たちの羨望の眼差しが、痛いくらい俺に突き刺さっているのだから。

 会話の内容まで聞こえていなかったであろう遠くの席のヤツなんか、「姫巫女様……! 今日も素敵だ」なんて、うっとりしているではないか。


(今の会話のどこに素敵要素があったんだよ。あんなに失礼な奴なのかよ、姫巫女。……ていうか、ただ落とした物を拾おうとしていただけであんなセリフが出てくるとか、むしろアイツの方がむっつりなんじゃねーの)


 俺はひとしきり心の中で悪態をついたあと、改めてペンケースを鞄にしっかりしまい込む。


 今日はバイト初日だし、こんなモヤモヤした気持ちを職場に持ち込むのはよろしくない。俺は無理矢理気持ちを切り替えて、放課後の訪問に備えることにした。

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