葵(5)

麗華がキスをした……よね?

突然のことに、驚きすぎて思考が働かない。

当の本人の麗華は、追いかける間もなくいなくなっていた。


……いや、……ん?

キスされた…んだよね?少しして自分を疑ってみる。

手首に握られていた鈍い痛みがある。そして何より、近づいて触れた麗華の唇の温もりの感覚が残っている。


どうしてなのか当本人がいなくなって、聞くことができない。


春美さんの真似をして、キスをしたんだろうか?私を慰めるために?

いや、まさかそんな理由でするとは思えない。


それともキスの話なんてしたから、興味本位で衝動的にしちゃった?従姉妹だしいいかなんて思ったとか?

興味を持ったことに衝動で行動した、なんてことなのかもしれない。麗華のことだ、後先なんて考えずに、話しをしていてそういうことがしてみたくなったのかもしれない。そして我に返って逃げてしまった、という落ちがしっくりくる気がする。

…そんな落ちならまだいいけれど。



――もうひとつ可能性があるとしたら


――麗華が私のことを……好き?



なんて可能性を考える。……まさかあるわけないよね。

昨日からいろいろと、私は麗華に話してしまった。麗華が私のこと好きなんて可能性は、少しも考えていなかった。

そんな素振りなんてなかったから。

勝手に好きなのかもなんて考えてるけれど、違うかもしれないし、違うならいい。

でも本当にそうだったら、かなり無神経なことをした気がする。

好きな人が、好きな人の話をするのなんて、嫌だよね。

知らないことで、仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、麗華のことはなんとなくわかってる気になっていたから、無神経な自分に少しショックを受ける。


しばらくして思い切って電話をしてみたけれど、出てはくれなかった。

それはそうか。もう一度連絡することは、できなかった。

今日はそっとしておこうと思った。


次の日、月曜日。麗華は送迎の車に乗っていなかった。


「先に行かれましたよ」


という運転手さんの言葉に、避けられたということが分かった。そこまでなんだ。

渡しそびれたというお弁当を預かって、覚悟を決めて麗華の教室まで行く。


教室を覗くと、麗華は珍しく腕に埋まるように机に顔を俯けて眠っていた。


「麗華」


呼びかけると一瞬の間があって、麗華は勢いよく体を起こした。

目が合ったのに逸らされる。


お弁当を差し出したけれど、目は合わせてくれなくて、すぐには手を引っ込める気になれなかった。


「麗華…帰りは呼びに来るから」


麗華が、ピクリと反応したのがわかった。

キスされたのは私なのに、避けられ続けるのはヒドイと思う。

私は話したい。麗華が話してくれれば受け留める。返事は聞かずに麗華の教室を出た。

きっと、放課後は避けないと信じてるから。



放課後になる。

麗華は、私のことを避けて帰ったりせずに待っていた。

少しほっとした。

空き教室に移動すると、しんと静まり返った空間に緊張した。


キスされたことに、麗華は私が怒ったり、嫌ったりしていると思っていたらしい。まさかそんなことを心配しているなんて思わなかった。麗華のこと怒ったり嫌ったりしたことなんてないと思うから。


そして、聞いたキスの理由について、


「――理由なんて、春美さんが好きって知ってるのに、言えるわけないし…聞かない方がいいんだよ」


キスの理由に・・・麗華はそう答えた。

その言葉を聞いて、私は自分の酷さに気付いた。

「好き」と言えないし、言わないでいてくれてる。そんなことを麗華に強いているのは私なんだ。

受け取れもしないことを、話してほしいなんて思っていたことに、麗華がはっきり言わないでいてくれる優しさに、自分の酷さを痛感する。


「…ごめん」


それしか言えなかった。受け取れもしないことを、受け留めるなんて思ってた自分に腹が立つ。


傷つけてしまった。

私が慰めてもらったみたいに「止めないで…続けてよ」という麗華のお願いを聞いてあげることしかできない。

泣いている麗華のことを、いくら抱きしめても足りないと思った。





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