第11話
少女が家を出て行くのを確認して、その細い身体を車に詰め込んだのは昼過ぎのことだった。
動機は知らないが、噂では彼女は『必要悪』だと言う事だった。この国でしか発令されていない『必要悪法』の元凶の一人。もう一人は組織で繋ぎを取れる程度には友好関係を築いているが、その仕事は大雑把だし死人の桁も多い。だったらもう少し使い勝手の良い妹を、と言うのが組織の方針らしかった。
日本での捜査結果によると、確かに妹の能力の方が小規模だし確実だ。それにお互いを人質にしてしまえば、より組織は盤石になる。そう考えたボスの考えで、俺たちは黒鳥玄霞拉致作戦を決行したところだった。
「……おじさんたちは『グリナスヘッズ』の人?」
目隠しも手錠も口枷も無しにしたのは、身の危険を感じたら能力の発動確率が高くなると言うデータからだった。ありがちな、わナンバーのセダン。後部座席は少女を挟むように二人、助手席に一人、運転席に一人。どこにでも売っているような背広を着ている俺たちが、黒いワンピースの少女を囲んでいるように座っているのは、下手に黒いスーツでも着ているより滑稽だったが、組織の名を出されてびくついたのは俺だけではないらしかった。
「……知っているのか。どこまで聞いている?」
「表社会の落伍者。裏社会の貢献者。兄さんに仕事を持ってきてくれる人たち。それだけ」
「じゃあ自分が誘拐された理由も分かっているな?」
「誘拐されたの? 私」
何を今更。
ずるっと背を滑らせそうになって、それを堪える。
少女は怪訝そうにそんな俺たちを見たが、俺たちはなるべく少女を見ないようにした。近くにいるだけで三日で発狂すると言うデータもあったからだ。学校なんかではそうやって自分の近くの人間を殺して来たらしい。まったく恐ろしい娘だ、思いながらなげやりに答える。そうだよ。君は誘拐されているんだ。
「兄さん関係?」
「『ツバサ』関係だと言えばそうだし、そうでもないと言えばそうでもない。我々は君にも戦力として組織に入ってもらいたいと考えているだけだ」
「兄さんと一緒にいられる?」
「それは仕事の出来次第だろう」
「それなら良いんだけど――」
くふふっと少女は笑う。誘拐されているなんてどうでも良いことのように。
もう一人の同居人は散歩に出ている時間帯だ。彼女は夕食の食材を買いに行くところだった。そこを我々は誘拐した。と、少女の顔が異様に白いことに気付く。青白いと言っても良い。
「おい、具合でも悪いのか?」
「あら、優しい誘拐犯たちなんだね。そうなの、今生理中でタンポン入れてるからそろそろTSS起こしそう」
トキシック・ショック・シンドローム――まあ簡単に言うとタンポンを体内に入れっぱなしにしておくことで起こる不調だ。悪い血が溜まりすぎて気分が悪くなるようなものだと聞いたことがある。慌てて車をコンビニに停め、ナプキンを買いに行かせた。ナプキンなら起こらない症状だったと思う。それからトイレを借りさせて、換えさせる。
帰ってくる頃には大分頬に赤みが戻っていてほっとした。人質に体調不良を起こさせるのは、俺たちも本意ではない。
「でも私量が多い方だからコンビニに売ってる程度じゃすぐまた溢れちゃうよ。今日二日目だし」
「その時はまたコンビニに寄るから言え」
「紳士的なんだね。人殺しとかしてる人には見えないよ」
「俺たちは人殺しはしない、誘拐専門だ」
「なるほど」
何がなるほどなのかは分からないが、少女は納得したらしかった。まあ組織にも班はある。薬物開発班、戦闘班、殺人班、誘拐班、遺伝子研究班、その他諸々。多分俺たちが港に着くころには遺伝子研究班が彼女が来るのを心待ちにしているだろう。『ツバサ』――黒鳥霧玄の時も歓喜していた。こんなにいびつな遺伝子なのに綻びがない、と。
目の色と髪の色は同じだが、彼女は本当に『ツバサ』の実妹なのだろうか。それが気になって来ると同時に、生臭いものを感じる。血の匂いに似ているが少し違う、独特のそれは経血のものだろう。まだ大丈夫と言った様子だが、気になる事は気になる。
しかし生理周期まで把握することはさすがに出来なかったのだ。現在のナプキンやタンポンは水洗トイレで流せるようになっているから、生ゴミをあさっても仕方ない。まさか一番多いと言われている日にこんな目に遭っている彼女は、それでも前を向いてただ座っていた。さっきのなるほど、で、すべてを察知したように。
しかし嫌なにおいだな、血と言うのは。『グリナスヘッズ』は確かに表社会の落伍者の集まりだが、かと言って血を見るのが好きなシリアルキラーの集まりでもない。スプラッター映画を見に行って吐いて帰って来る奴もいる、ごくごく普通の人間の集まりなのだ。ごくごく普通の人間は女子高生のトイレを待ったりしないとは思っているが。否、学校には行っていないのだったか。記録は途切れていたはずだ。
今は通信教育を受けていると言うが、それも組織の教育者が行っているものだ。彼女は呑み込みの早い方だと言われていた。勿論人の殺し方や誘拐のし方・され方なんかは教えていないが、それでもこの落ち着き方は異常だろう。本当にアブノーマルなことを教えていないのか心配になるほどだ。
どうやって相手の警戒を緩めて助けを呼ぶか、護身術の授業もなかったはずだが、先日組織を円満退職した紅文稔の個人配信でも見ていたら分からない。彼は優秀な殺人犯だった。『ツバサ』には劣っても、『ツバサ』は殺しすぎる殺人犯だから比較にあたらない。比較される方が可哀想なぐらいだ。
それにしても本当に落ち着いているな。携帯端末のGPSは車の中では遮断できるようにしておいたし、もとより戸籍が曖昧な彼女たちは携帯端末を持っていない。組織が許していないからだ。戸籍カードは引っ越しするごとに組織が作り直している。首輪代わりのようなものだ。銀行口座もいつだって切断できるようにしている。『グリナスヘッズ』とは別の組織に行けないように。
もっともそんな組織が世界にいくつあるのかは、一誘拐犯の俺も知らない。ただ俺たちの腕を買ってくれた最初の組織が『グリナスヘッズ』だっただけだ。その頃は一番年の若い俺が、ターゲットを誘い出す役目をしていた。お姉ちゃんこの住所どこですか。黒鳥玄霞と俺は、年が近い。幼さを武器にして生きていた程度の共通点は、ある。
※
「……おい、また臭ってきてないか」
「だから二日目なんだってば。この車わナンバーだったからレンタルでしょう? 汚したくなかったら次のコンビニに停まってくれれば良いだけだよ。今も生レバーみたいなのがずるッと出た感じしたから、限界かも」
「早く言えそういうことは! くっそ、メス臭くて運転に集中できねえ」
「おじさん処女抱いたことない人?」
「ねーよ! 安い売春宿で済ませてるよ! コンドームだけは日本製だけどな! どの産業が落ち込んでもそこだけは保ってるの、尊敬に値するぜこの国は」
「へー。まあ欲しくなったら欲しくなった時に児増局に行けば良いだけだしね。今時自分の遺伝子にこだわる人もいないし、母体は一応母親扱いだし」
「おら着いたぞ! 何枚か重ねて来い、もう」
「重ねてこれなんだってば。じゃ、おじさん付いて来て」
「へいへい……」
俺と逆隣りに座っていた男を再度連れ出しながら、黒鳥玄霞はコンビニに入っていく。座っていた個所を見れば、小さいがどす黒いシミが出来ていた。指で拭ってみると、あの独特の生臭い臭いがする。ウェットティッシュで拭うと、なんとか消えた。それをポケットに詰め込み、俺たちは彼女たちが戻って来るのを待つ。
帰って来た仲間は気のせいかどこかグロッキーになっていたが、少女の方はすっきりしたのか清々しい様子だった。臭いは消え切っていない。黒いワンピースだから目立たないのだろう、彼女は後部座席の真ん中に自分から座って、ふん、と鼻歌まで歌う。
「お前、これから自分がどうなるのか分かってるのか?」
呆れ交じりに運転手に問われ、少女はうん、と頷く。
「まずは遺伝子検査だろうね。それから卵子の採取をして同じ能力者が作れるかどうかの実験。兄さんも精子採取されたって言ってたし、でも私生理中だからそこは後回しかな。ちなみに兄さんの後身って作れるの?」
「遺伝子研究班じゃねーから詳しいことは知らねーが、お前らは一代限りの変種だって言われてるぜ。ドクトル・A8の予言は正しかったってダチに聞いた」
「ふうん、そうなんだ。じゃあ私は私限りってことか。それはそれでなんだか特別感と言うかお得感と言うか」
「暢気な嬢ちゃんだな、まったく。精子とか卵子とか恥ずかしげもなく言うし。恥じらいぐらい持てよ、『必要悪』だとしても」
「持ったら何かくれるの?」
「いやなんにもやらねーけどよ」
「じゃあ意味ないじゃない」
くふっと笑った少女は、じっと俺を見上げて来た。
「な、何だよ」
思わず警戒してしまうと、今度く屈託なく笑われる。
「お兄さんは私と同じぐらいの歳だね」
「……十八歳だ」
「高校か大学行ってておかしく無い歳だね。どうしてこの仕事に就いたの?」
「おい、無駄話はしなくて良いからな」
体臭、体液、声、それらの響く場所では彼女の能力は増幅される。それも調べていた結果だが、無邪気に訊ねられると答えないわけにもいかないのが俺の性格だった。残念にも。危険にも。
「……親に捨てられて、路上で浮浪児生活してたところを、使えるからって親方に拾われた」
「おい!」
「親方ってあなたのこと? 助手席さん」
「ああくそ、そうだよ! 丁度子供の方が入りやすい仕事だったんで、ちょっと教育して入り込ませた。上手くやったもんだから可愛がってやったら、そのままだ。そのまま十二年」
「私と兄さんより付き合いが長い」
「へ? 嬢ちゃん十六歳だろ?」
「でも兄さんと暮らしてるのは十年だけだから。黒白鳥機関のことは知らない?」
「遺伝子研究班から聞いたことがある。そこ崩れの研究員もいるからな。日本に十年前まであった政府直轄機関で、エスパー養成を主に研究してたって言う。でも二億四千万分の一の悲劇で瓦解したって話だ」
「兄さんとはその時に初めて会ったの。私を助けに来てくれたわ。所員の誰もが逃げていく中、忘れられてた私を助けに来てくれた。だから十年間、私は兄さんと一緒に暮らしている。あなたたちが色んな仕事入れて来るから、過ごした時間はもっと短いかもしれないけれど」
少し俯いて、少女は長い髪をさらっと言わせる。
可憐だな、と思った。
場違いにも。
「あんまり余計なこと話してんじゃねーよ。この娘の特性は聞いたろ。喋らせるのも怖え」
「んーでも、もう遅いと思うな」
「はあ?」
「あなたたちずっと、私の血の匂い嗅いでるんだもの」
俺は。
取り出したピストルで、逆隣りに座っている仲間の頭を狙った。
「お、おい! 何してる!?」
「この子を置いていくことを進言する。俺たちの手には余る。実際俺だって児童養護施設に拾われたかった願望が湧いて来てるんだ。なんでこんなことやってるんだか分からなくなって来てる」
「ふ、埠頭はもうすぐだ! そいつから離れればお前も正気に戻る!」
「駄目なんだよそれじゃ。『ツバサ』はこの娘がいれば自由に出来るかもしれない、それがまず間違いだったんだ。この娘と『ツバサ』がいるから、俺たちはまだ生きて来られた。離したりくっ付けたりを繰り返すことで。でもずっと離していたらこの娘の能力で俺たちは発狂するだろう。一緒にしておくのが一番だったんだ、こんな化け物たちは。だから親方、この子を置いて」
ぱぁん、と音がして、自分の脳漿が炸裂していくのが分かる。
「手に掛けて来てやったのに、こんな所で『細菌』に感染されるとはな。良い、走れ」
「で、でも親方」
「どうせこいつだって名無しの無国籍無戸籍人間だ。船で太平洋に捨てちまえばサメが食ってくれる」
「そんな」
「なんだ? 俺に文句でもあるのか? 次はお前が死ぬか? お前らなんて十把一絡げのチンピラでしかねえんだよ! 黙って俺の言うことを聞いて」
ぱぁん、とまた音がする。次に吹っ飛んだのは親方の頭だ。助手席に座っていたそれを、俺の逆隣りに座っていた奴が撃っていた。フロントガラスには血がいっぱいになって、前が見えなくなっている。
「お、俺たちだって人間だ! 生き方を選ぶ権利はある! あんたが拾ってくれたとしても、俺たちには俺たちの意思がある!」
「う、うわああああ!」
「がふっ」
最後に嗅いだ血の匂いは、どっちのだったのか。
ハンドルを血糊に取られたドライバーが、コンクリート塀に衝突した。
いつの間にか頭を下げてガードしていた少女だけが、生き残った。
※
「玄霞!」
「兄さん」
「『グリナスヘッズ』から連絡があったんだ、強硬班がお前の身柄を拘束したって――どこか怪我は、血の匂いは随分するようだが」
「コンビニにも四十二センチぐらいのナプキン置いてほしいよね。だからタンポンなんだけど、それもTSSで気持ち悪くなったりするし」
「な、何の話を」
「ホルモンバランスによって能力が変化することを知らなかったんだな、って話。私の場合生理中は特に『細菌感染度』が高くなること、あの人たち知らなかったんだ。あとどっちかって言うと組織に命令されて私のこと誘拐しに来たっぽかったよ。私と兄さん両方を戦力として保持しておきたかったみたいな。バカだよね、私みたいなのが際限なく人を殺させると考えなかったのかな。それとも昔みたいに密室に監禁してマニュピレータ操作のみで世話をしようと考えてたのかも」
「……組織もバカなことをする」
「どうせなら誘拐自体オートマチックに行うべきだったんだよ。人を使ったりするから感染する。このところオーバードーズになったことがなかったから、油断してたのかな」
「靂巳のお陰だな、それは」
「所為って言うの、これは」
「どっちにしても、俺はお前にあまり人を殺してほしくないんだ。だから組織とは手を切った方が良いのかもな。貯金を一気に下ろして、どこかひと気のない山でも買って――」
「金太郎生活?」
「いやお前それはな」
「別に良いよ、私は。ネットさえあればマネーゲームで資産は増やしていけるし。一日二万円稼げば十分だろうし、通帳は組織に内緒で別人名義で作ったのがあるし。でも兄さんと靂巳は人と触れ合って生きた方が良いと思う。私みたいなのとは違うんだから」
「……自分を『みたいなの』、なんていう子に育てた覚えはありません」
「あいたっ。でもそうだよ。兄さんは靂巳といられれば能力発動しないんだから。私は無理。生理的にあいつが嫌い」
「好き嫌いで語るんじゃありません、まったく。お前は本当にあいつが嫌いなのか?」
「デリカシーないし頭悪いしその割に勉強しようとしないし。向学心のない子供は嫌いだよ、私。自分がどうすればいいのか考えこんでいた時代があるからね」
「……ずっとお前と一緒にいてやれれば、良いのかもしれないのにな」
「それでも事故は起こるよ。最小限の。だから兄さんは本当は私を助けるべきじゃなかったのかもしれない。十年前のあの時」
「――――」
「なんてね。今日の夕食は材料買いに行けなかっからピザでも取ろうよ。パイナップルの乗ってないやつ。マルゲリータ最強説信者だし」
「靂巳もそうだぞ」
「宗旨替えしようかな」
「お前の宗旨安いな!? まあ、車に乗れ。早く帰らないと靂巳が心配する」
「夕飯がピザだって言えば諸手を上げて喜ぶから良いわよ別に」
「え!? 夕飯ピザなの!? やったー! 僕マルゲリータが良い! 天然物のバジルが乗ってるやつ!」
「ね?」
「ああ」
「? なにが『ね?』なの、玄霞ちゃん。玄霞ちゃんのお料理も好きだけど、たまにはデリバリーも美味しいよねー! 楽しみー!」
「あんたが料理当番の時は目も当てられないものが出て来るからね」
「でも味は良いでしょ?」
「カレーのスパイスの配分能力だけは認めてあげる」
「わーい玄霞ちゃんに認めて貰えたー! なんか今日いい日かも!」
「私にはろくでもない日だったけれどね。ワンピースさっさと洗わないと、連中と自分の血が混ざって嫌な臭いになるわ。と言う訳で一番風呂頂きね、私」
「えっ玄霞ちゃんどっか怪我したの!?」
「…………だから向学心のないデリカシーのない奴は嫌いなのよ」
「え? 僕なんか悪いこと言った? え? え?」
「まあピザを選んでろ、靂巳。俺たちには分からない問題だ。股からレバーが出て来ると言うのは」
「何の話!? って言うか肝臓出したらダメでしょ、再生可能だとは言え一時的に体調崩すよ!?」
「お前は頭が良いのか悪いのか分からない」
「悪くないよ! 良くもないけど! 玄霞ちゃんみたいにマネーゲームで稼ぐのは得意だよ、これでも!」
「お前の幸運にあやかりたい人間は山ほどいるだろうな……」
「でも僕が好きなのは玄霞ちゃんたちだから、他の人にはあげないよっ」
「そうか。――ふふっ。もう少し組織にいてやっても良いかな、それなら。騙されてやることにしよう。今回だけは。今回ばっかりは」
「??? 何の話ー、ねぇー」
「大人の都合の話だ。それにしても『グリナスヘッズ』にお前の情報が流れていないのは妙だな」
「だって僕、それも能力だもん。見えない人には無視される。それって十分、幸福でしょ?」
「……つくづくに、お前もお前で恐ろしい奴だな。取り敢えずマルゲリータと、ドルチェピザも頼んで良いぞ」
「じゃあパイナップル乗ってるの!」
「ぶふっ」
「? 何笑ってるの、霧玄くん」
「いや、お前らは本当、よく似てるんだか似てないんだかな」
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