第2話


「これは――何と表したら良いものか、判りかねますね」


 白衣の男は並んだガラスの瓶を眺め、嘆息しながらそう呟いた。

 一つの瓶の大きさは、直径六十センチ程度。縦にはその倍ほどあるだろうか。そんな円筒状の瓶が、七つ並んでいた。こぽこぽと、中に込められた水が音を立てる。濁ったそれの中に、赤い肉の塊が丸くなっていた。下部からは幾本ものチューブが垂れ、水底に吸い込まれている。

 それは、子供だった。

 子供と評して良いのか分からないほどに小さな肉の塊。まだその形すら朧の状態のそれ。灰色の部屋に集まった人々は、それぞれの仕事をこなすために計器に向かいながら――絶えず、それらを視界に入れている。

 一人の女性が、男に訊ねる。


「何、って?」

「胎児とは呼べないでしょう、彼らは胎生ではないし、胎内にもいない。これは、一体何と呼んだら良いものなのでしょう」

「あら、そんなの決まっているわ」


 女性は化粧っ気の無い顔に薄い微笑を浮かべ、ガラス瓶の群れを見る。子供達を見る。こぽこぽと水音、そして、機械の静かな稼動音。PCをいじる職員の素早いキータッチの音、それでも、そこは静寂の空間だった。

 うっとりとガラス瓶の一つに触れて、女性は答える。


「『天使』よ」

「それじゃ――それを作る僕達は?」

「さあ? 神様かしらね」


 くすくす。

 くすくすくす。

 くすくすくすくす。


 子供が。

 まだ穿たれたばかりの口元を、静かに歪ませて。

 笑っていた。



 施設の中で知っている場所なんて殆ど無かった。自分達が育てられた育児施設ぐらいしか、判る場所なんて無い。それでも誰かがいるのだということは知っていた。俺は、走る。白い施設の中、知らない廊下、ばたばたと鳴るのは足音。

 まだ発達しきっていない身体。すり抜けるのは白衣の職員達。エマージェンシー発令中でごたついているそこで、俺の事なんて誰も気にしない。冷たいナンバーを呼ばれることも、不本意な字名を呼ばれることも、ここでは何も無い。ゼェゼェと呼吸が上がる。気持悪い、気持悪い。


 妹達は逃げただろうか、弟達は逃げただろうか。ちゃんと、この真白な施設から逃げ出すことができたのだろうか。自分が起こした『最悪』が、どの程度の可能性を持つものなのかなんて知らない。どれだけあれ得ないのかなんて知らない。だって俺が起こすのは、いつだって『あり得ない』ことばかり。あり得ないことなんて、本当に、この世には一つも無いのだと思わされる――それが、俺だ。


 自分が何なのかなんて、知りすぎるほどに知っている。最悪を導き出す死神。そういう遺伝子の掛け合わせなのだと、『父親』達は言っていた。『母親』達は言っていた。最高を作り出すはずが、最悪を作り出すことに。そういう、失敗の出来損ない――。


 黒白鳥機関。異能種、エスパーの掛け合わせ。新人類創造。総理大臣直轄。

 いくつものキーワードの元、俺達は作られた。

 十二人の子供達。

 十二人目を迎えに行く。


 俺は白いドアを開ける。

 そこにいたのは、小さな少女。

 身体よりも長い髪を足に絡めて、ぼんやりと天井を見上げる子供。

 くるぅり。

 焦点の合わない眼が、俺を、見た。


「だ、ぁーれ」

「……お前が、『玄霞』だな?」

「だぁ、れー」

「俺は、霧玄。お前の兄だ。立てるか、逃げるぞ。すぐにこの施設は崩壊する。一緒に逃げるんだ」



 首相官邸前には巨大な自然公園がある。白々しいぐらい綺麗に磨かれたベンチに腰掛けて、私はぼんやりと噴水を眺めていた。立ち上がる水柱、同じ国の中で乾いている人間が居ることになど知らん振りをしている透明。塩素まみれのそれを綺麗だと思う感覚は一切無い。私はただ、眺めている。ただ、それを見ている。ぼんやりと、ぼんやりと。


 大時計を眺めれば午後三時。そろそろ官邸に車が帰ってくる頃だろう。日課として向かわなければならない、いつものように何気なく散歩をしている少女として、向かわなければならない。

 許される限り常に側にあること、それでしか自分の能力を相手に伝えることができないのだから、兄さんと違って少々使い勝手が悪いのだとは思う。常に近くにあって、そして、そして。


 そろそろ行くか。

 私は立ち上がる。


「ちょっと待って」

「…………」

「ちょ、ちょっと待ってーっ!」


 ……。

 もしかして私を呼んでいたりするのだろうか、この声は。

 と言うか、スカート引っ張られてるし。


 振り向けば、ベンチの背もたれの隙間から手が伸びていた。ぷはッと植木から顔を出したのは青年。兄さんよりは年下といった風情、私よりは、多少上だろうか。眼が少し大きめで童顔、あどけない様子。白い髪に真っ青な目、勿論、知らない顔。

 知らない人間、しかも男にスカートを掴まれる筋合いは、無い。私は訝しげな顔を作る、とは言っても、元々こんな顔なのだけれど、無愛想だの無表情だの散々言われることではあるけれど、大して気にも留めない。兄さん以外の人間に対して何か感情を見せる必要なんて、無いんだから。


 よいしょ、と身体を茂みから出した男は、妙に肌が白かった。日に当たったことがないような様子は、少しだけ昔の私を連想させる。細長い身体、ぱたぱたと葉を払って、ふーッと息を吐く。何をしたいのか、まるで判らない。だから無視して歩きだろうとしたのだけれど――


「ま、待ってってば、おねーさんッ!」


 …………。

 年上におねーさん扱いされると、反応に困る、かも。


「あのねあのね、僕ってば迷子なんだよっ!」

「……あっそう」

「だから、道を教えてほしいのっ。ね、ここってどこ?」

「……銅那岐あかなぎ公園」

「あー、そんなとこまで来ちゃったんだ……ね、首相官邸ってどっち側だか知らない?」


 首相官邸。

 行き先は同じ、だけど。

 こいつ、何者なのだろう。


「あんた、何者?」

「僕? 僕ね、靂巳れきしって言うの。今からこの国を救うんだってーっ」

「あっそう。私は黒鳥玄霞。ちなみに私はその首相を今から殺しに行くところなのだけれど、一緒に行くのなら来れば」



「――そう、か。お前みたいなのが、出来た……んだな」


 彼はそう言って、僕を見詰めた。僕の眼の高さぐらいの身長、髪は茶色。サングラスの向こうの眼は、多分黒なのかな。玄霞ちゃんと似てるってことは、玄霞ちゃんのお兄さんなのかもしれない。

 僕自身はよく知らないことなのだけれど、どうやら僕以前にも『プロジェクト』があったらしい。児増局の前身、黒白鳥機関。名前と大雑把な概要は聞いたことがあるけれど、そこで製造されたバイプロダクト十二人は全て死亡したと言われていた、はずだ。

 でも玄霞ちゃんは年齢から換算すると第四期だし……このお兄さんは、第一期の人なのかな。だとしたら、二十六歳、ってところだろうか。むー、大きいお兄ちゃんはちょっと怖い、かも。


 僕が作られた場所、児増局と言うのは、表向きには子供を増やすための人工授精を行う公的な機関、らしい。でも実際の所は国民から遺伝子や精子、卵子の類を集めて、その中から『変種』の人間を割り出しているものなのだという。何か違う遺伝子、何か違う、人間の亜種とも呼べる者。大災害を抜けた人類としての新たな可能性を探すために、そして、そこから新たな人類を創造するために、働いている機関。

 一応僕は、その中でも成功例――ハイエンド、って呼ばれているものなのだと、聞かされた。あり得ない奇跡を起こす異能。エスパーの能力ではあるが、まだ未開に近い能力なのだという。仮説としては変型のESPで、因果律に干渉しているとか、なんとか。まあ、僕にはよく判らないことなのだけれど。


 おにーさんはふっと、僕の顔に手を伸ばす。びくっと肩を竦めて眼を閉じるんだけれど、存外にふんわりと頭を撫でられた。慣れない感覚はそれでも気持ち良くて、ちょっとホッとしてしまう。眼を開けて前の顔を見ると、彼は、ふんわり微笑んでいた。

 僕の隣で玄霞ちゃんが怒っている気配。な、なんでだろう、びくびくびく。怖いよー、怖いお姉さんだって嫌いなのに、くすん。


「お前の名前は?」

「え、えぅ。靂巳だよ。あと、白蛇とかも呼ばれる……おにーさんの名前、は?」

「俺は、霧玄。黒鳥霧玄と名乗っている。そこの玄霞の、兄で――一応お前の兄、と言うことにもなるのかな?」

「僕の、おにーさん?」

「そうだ」


 彼は、霧玄さん、は。

 僕を抱き締める。

 ぽんぽんっと、背中を叩かれる。


「今日からお前は、黒鳥靂巳。俺達の新しい家族だ。新しい弟だ。新しい親友だ。ここが、お前の帰る場所。お前の家だと、思って良い」

「え、えう」

「おかえり、靂巳」

「た、ただい、ま……?」


 戸惑う僕に彼は笑う。玄霞ちゃんは僕の靴を踏みつけた。きゃいん、叫ぶと、霧玄さんが笑う。僕はえぐえぐと泣き真似。くすんくすん、だったら玄霞ちゃんもすれば良いのに。僕は玄霞ちゃんを抱き締める、二人を一緒に抱き締める。

 家族。知らない言葉だけれど。

 こういうの、暖かくて、嫌いじゃないかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る