Episode 45 アイアムアヒーロー
マイクを持ち、屋上からグラウンドを見渡す。
時計がないと昼なのか夜なのか分からないキャラメル色の空の下、たくさんの人が部活動に精を出している。
豆粒のように小さなボールを、束になって追いかける人。声を出しながら、列を成してランニングする人。等間隔に鳴るピストルの音を合図に、線から線へ全速力で駆け抜ける人。軍艦巻きのようなクッションにタックルを繰り返す人。ここからは見えないけれど、体育館の中でもバスケや卓球、剣道に柔道、日々練習に取り組む人がいる。
もう大会は無いかも知れない。それでも練習を続けることは、彼らの救いになるのか、それとも……。
「安心してね、咲。この謝罪会見は地上から撮影しているし、その映像はソフトにかけて、同時通訳しながら全世界に生放送しているから。マイクは学校中のスピーカーに接続してあるから、誰かが聞き漏らすこともない。隅々まで、余すところなく貴女の想いを届けられるわ」
……そりゃどーも。
先輩は完全に嫌がらせ――もっと言えば復讐――のつもりでこの状況を
個々の事件や人としか関わってこなかった私が、自分の声で、言葉で、みんなに語りかけるきっかけをくれた。もう遅すぎるかも知れない。でも、ちゃんと向き合わなければならない。
「皆さん、こんにちは」
視線が一斉にこちらを向いた。最初は少し下のほう、スピーカーの辺りを見るけれど、私の姿を見つけると視線を落とす人が多い。見てはいけないものを見てしまった、という感じ。
……そりゃあまぁ、屋上から全校放送なんて完全に不審者のやることだもんな。
「ご存知の方も多いとは思いますが、改めて自己紹介させてください。私は二年生の岸出咲といいます。訳あって、主人公を務めさせて頂いております」
話せば話すほど関心が薄れていく。中には、手をパンパンと叩いて練習再開を促す生徒の姿もあった。一瞬訪れた静寂がまるで無かったかのように、夕方のざわめきが戻ってくる。
誰も聴いてくれない。
「この空を見て分かる通り、世界は終焉に向かっています。理由は……私が、一番大切なものを守り抜こうとしたからです。それと世界を天秤にかけて、世界を捨てる決断をしたから」
いや、聴いていないのではない。こちらに背を向けてはいるものの、その意識は私の声に集中している。全員が気のない振りをして、私の言葉に耳を
これまで注目の的だった私が、最後の最後だけ無視されるなんて皮肉だ。この中に私の味方はいない。皆は様々な共通項で結び付いているけれど、唯一無二の私は何にも属することができなかった。皆にリスペクトされながらも、どこかで皆に避けられていた。
孤独だったんだ。
「……皆さんの言いたいことは分かります。皆さんにも大切なものがありますよね。世界を犠牲にしてでも守りたいものがありますよね。なのに私だけ選ぶ権利があるなんて、不公平ですよ。理不尽です。でも、それが現実なんです。私は、そんな現実を変えたい。誰か協力してくれませんか? 誰か……」
声は虚しく校庭に響く。
心を開いてくれない彼らを説得するなど、到底不可能だ。やっぱり素直に謝るべきだろうか? だが何を? 私は彼らに訊いてみたい。彼らが私と同じ立場なら、もし主人公に選ばれたなら、果たしてどちらを選ぶのか。
客観的に眺めたら、救うのはもちろん世界であるべきだ。
でもその代償に、世界一愛する人を失うとしたら。
そんな世界に、存在する価値はあるだろうか?
「……先輩」
マイクを下ろして振り返った。
「やっぱり、謝ることはできません」
彼女はカッターの刃を煌めかせ、眼光鋭く私を睨む。
「どうして?」
「私が謝ったら、皆さんが被害者になってしまうからです」
「『なってしまう』? 彼らはすでに被害者よ」
「違います。それを決めるのは私ではありません。彼ら自身です」
「はぁ? 被害者に決まっているでしょうが! あいつらに選択肢なんてない。世界と一緒に滅ぶだけよ!」
「確かに、死ぬ時期は選べません。でも、生き方は選べます」
脇の下を汗が伝った。マイクを持つ手も汗でびっしょり濡れている。全校生徒を相手にするよりも、彼女一人と向き合うほうが怖い。苦しい。
「彼らは今も、部活動を続けているんです。生きているんですよ、彼らの意思で」
人はいつ死んでもおかしくない。それは元々、自分で決められることでもなければ、誰かを恨むようなことでもなかったはずだ。
その上でどう生きるか。問題となるのは、その一点に限る。
「……そう。それが、貴女の答えなのね」
先輩がすっと真顔に戻り、またキチキチキチ、とカッターの刃を出した。さっきまでの脅しとは違い、今度は十センチ以上刃を伸ばす。
私は、先輩が本気なのだと知った。
「やめてください。そんなことをしたら、先輩が加害者になってしまいます」
「そうよ。私は、ただ死を待つ凡人とは違う!」
赤い目を見開いた先輩に対し、かの人質は冷静だった。
「……あ、そっか」
財布を落としたことに気付いたぐらいのトーンで呟く。
「全員共犯になればいいんだ」
――その瞬間、先輩の全身がガバッと前によろめいた。彼女の腕にがっしりホールドされていた灯が、背負い投げの要領で先輩を前に巻き込んだのだ。柔術に精通していない彼女にはもちろん投げ技など決められないが、その代わり先輩の手――それもカッターを持っているほうの手に、思いっきり噛みついた。
「コイツっ……!」
灯はそのまま拘束を抜け、こちらへ向けて走ってくる。そのまま柵を越えて飛び降りてしまいそうな勢いだが、そうではなく、狼狽える私からマイクをひったくった。
そして身を乗り出し、叫ぶ。
「私が、主人公だぁぁぁぁぁぁああああああっっっっっっ!!!」
それはもう、肌をピリピリと震わせるような、魂のこもったシャウトだった。
「叫べっっ!」
彼女らしくない大声。だけど、汗を散らして一生懸命に叫ぶ姿は、将門灯によく似合う。
「皆は主人公になりたくないの? 私はなりたい! 歴史には名を遺せなくても、自分が主人公だったって胸を張れる人生を送りたい! 皆もそう思うんじゃないの? だったら黙ってないで、こっちを見て、叫んでよ!」
気付けば多くの生徒が足を止め、じっとこちらを向いていた。彼ら一人一人に語りかけるように、彼女は言う。
「主人公は、あなたでしょうが!」
私の時よりもはっきりと、黄昏の校庭は静まりかえった。誰かが手から落としたボールが、ドムドムとバウンドして転がる。何かが始まる予感を孕む風が、サラサラと髪を撫でて流れる。
静けさを破ったのは、灯の元クラスメイト。丸島丸夫くんだった。
「俺が、主人公だぁぁぁぁああああっっっっ!」
地声とは思えない声量で、灯の呼びかけに正面から応える。
それが合図だった。
「「俺が!」」、「「僕が!」」、「「私が!」」
方々から声が上がり、五月雨のように下から言葉が降り注ぐ。彼らは遂に練習を投げ出し、校舎の前に集まりだした。円になり、渦を巻き、怒号や咆吼が雷のように伝播する。揉みくちゃになり、重なっては覆い被さり、その下から誰かが顔を出す。手を出す。叫ぶ。
「うちも主人公だぁぁあああ!!」
と喉を精一杯震わせたのは小径ちゃん。言い終わるとニコッと可愛い笑みを浮かべて、「すっきりしました」と伸びをする。
嵐は、この学校を超えて世界を覆い始めていた。
最初にそのことに気付いたのは、『謝罪会見』を生放送していたという林先輩。
「……何よこれ」
彼女が見ている画面を覗くと、『# I am a HERO』という投稿が勢いよく数を増やしている。これは、「自分が主人公だ!」と叫ぶ動画に付けられるハッシュタグで、どういうわけか、誰も彼も「主人公だ!」と叫ぶのがブームになっているらしい。生中継自体の視聴人数も鰻上りに上昇しており、要するに――。
「バズってる……」
灯の呼びかけがキャッチーだっただけではない。みんな漠然と感じているのだ。
この行動が、運命を変えるのではないかという期待を。
「自分が主人公だと宣言する? そんな簡単な方法で、運命から逃れられるわけないでしょう。そんな、そんなので……」
盛り上がる私たちに反し、先輩は頭を抱えうずくまった。
「私の努力は何だったの……?」
「先輩」
こんなに弱っている先輩は初めて見た。私を主人公の座から引きずり下ろす――彼女の念願が叶いそうだと言うのに、勿体ない。
「見てください」
私は肩を叩き、上を向くよう促した。
そこには、穴が空いている。
今までのような琥珀色ではなく、突き抜けるような、青い、青い、澄んだ色の亀裂。果てしなく、見ていると何処までも飛んでいけそうな気がする青天井。
先輩を励まそうとした私まで驚いてしまう。
空って、こんなに高かったんだな。
「簡単なことじゃありません。これだけ多くの人が心を揃えて動くなんて、少し前まで考えられなかった。先輩の企みも含め、色んな条件が重なって初めて起こり得た奇跡なんです。だから……誇ってください。先輩は正真正銘、救世主ですよ」
「……偉そうに」
「主人公としては、私のほうが先輩ですからね。まぁ、世界も救えなかったダメな先輩ですけれど」
「……救ったじゃない」
「…………」
「何」
「……先輩いま、私のこと誉めました?」
「誉めてない」
騒ぎが落ち着き、空がすっかり元の青色に戻ると、灯は仰向けで大の字に寝転がった。この間中、彼女はマイク片手に声を張り上げ、世界へ発信し続けていたのだ。疲れたどころの話じゃないだろう。
放心状態で空を見上げる彼女に、私は「お疲れ」と声をかけた。普段なら並んで横になる場面だけれど、遠慮して隣に腰かける。
訊いてみたいことがあった。
「どうやって解答に辿り着いたの?」
「……解答って?」
「『運命力を分散させる』。それが、私を主人公じゃなくする唯一の方法で、解答。私は変な『組織の人』と出会ったから気付けたけど、灯はそうじゃないでしょう?」
非主人公も主人公になれる……この事実を知っていなければ、あんな無茶な行動はできなかったはずだ。ましてや、『各々に主人公宣言してもらう』なんて精神論で切り抜けることは。誰かの入れ知恵があったのだろうか。しかし、それなら先輩に話しても良かったはずだ。主人公になることに対して、あれほどの動機と行動力を持つ人は他にいないんだし。
「正解なんて知らないよ」
彼女はぶっきらぼうに答える。
「私は、咲が主人公なんて信じてなかったから」
「……は?」
「いや、どう考えても、私のほうが主人公じゃん」
え、だって、そっちから言ってきたよね? 自分はワトソンだと。ちょっと悲しげに目を伏せたりして。
「ワトソンは主人公でしょ」
「いや、主人公かも知れないけど……メインはシャーロック・ホームズで……」
「咲さ、ドラ〇もんの主人公ってあのロボットだと思ってる? 違うよ、主人公は〇び太くんだからね? あれは〇び太くんの成長物語だから」
なんか熱く語り出した……。過労状態を心配していたが、この調子なら大丈夫そうだ。
「だから私は、疑問に思ったことを口にしただけ。彼らはどうして、世界が壊れる責任を咲に押し付けて黙ってるんだろうって。咲に不満があるなら、自分が主人公になればいいのにって。……あ、そうだ、そのことでまだ怒ってるんだった」
灯はばっと起き上がり、当惑する私の両頬を掴んだ。そのまま、むにむにと引っ張ったり押し込んだりして遊ぶ。怒っていると宣言しておきながら、その顔は無邪気な子供そのもので、こっちまで楽しくなってしまう。
「どうして相談してくれなかったのかなぁ? 咲」
「言ったでしょ。私を選ぶと言われても、世界を選ぶと言われても、私には――」
「バカだなぁ、もう。『そんなこと』言うわけ無いじゃんか」
「『そんなこと』って……」
「だーかーら、咲を選ぶとも、世界を選ぶとも言わない。どっちも救う! 将門灯はそれ一択の女の子でしょうが」
分かってないなぁ、と彼女は肩を竦める。
あぁ、確かにそうだった。
将門灯は、そういう女の子だった。
「灯」
「なに?」
「本当にごめん」
「いいよ、そんなに気にしてない」
「本当に?」
「あ、でも『これで最後にしよう』はちょっと酷かったな」
「う……」
「どう責任取ってくれる?」
「その……もし灯が嫌でなければ、これからも……」
……いや、違うな。嫌でなければ、なんてしおらしいことは言っていられない。嫌がろうが喚こうが、彼女を私のものにする。その覚悟で、今までやってきたはずだ。
私は床に片膝をつき、右手をそっと差し出した。
「灯」
エスコートするように優しく、柔らかく、そっと彼女の右手を取る。彼女はそれに抵抗しない。私の豹変ぶりに驚き、顔を赤くして、じっと視線を向けてくる。
構わずその手に口づけた。
「これを最初にしよう。新しい関係の出発点に。私が必ず灯を幸せにしてみせるから、これからも、側で笑ってくれますか?」
「…………」
灯は気恥ずかしそうにもぞもぞしてから、私の胸に飛び込んできた。勢いを殺しきることができず、どさっと後ろに倒れ込む。もつれ合うように重なった。
「キザだな」
灯が耳元で呟いて、
「まあね」
私が負けじと切り返す。
私たちの笑い声は広すぎる空に呑み込まれ、どこへともなく消えていった。
だけど私たちは忘れない。決して消えない。
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