E p i s o d e 4 3 グッバイヒロイン (7)
『咲さん、いま――』
プツリ。
小径ちゃんから着信があったが、内容はこれだけ。
でも事情を察するには充分だった。
小学校と中学校を捜索して痕跡を見つけられなかった時点で、薄々勘付いてはいたのだ。先輩なら感傷で犯行現場を選ぶよりも、もっと合理的な、そして意表をつく場所を選ぶのではないかと。
そう考えると、すぐに思い当たる場所があった。地元でこそないけれど、とびっきり関係も思い入れも深い、私たちの共通項。最初にここを思い付かなかったのは完全に盲点であり、まんまと思考の網をかいくぐられた形である。私が間抜けだった……というより、やはり林先輩が一枚上手だったのだろう。
変に攻めた策を講じて、リスクを負う必要はない。
その思い込み自体が、彼女の策のうちだったのだ。
「やっと来たわね。寂しかったわよ、咲」
「ええ。随分探しましたよ。……でもまさか、また学校に戻ってきているとは」
校門から出ていったのは、高校から離れたように見せかけるブラフ。実際には学校の周りをのんびり一周し、私とすれ違うように再び校舎に入っただけだ。確かに人質を取ったまま長距離を移動するのはなかなか大変な作業だし、自転車も使うことができない。制服さえあれば怪しまれず侵入できる高校は、近場でうってつけの隠れ家となったことだろう。
「灯、大丈夫?」
「……うん」
「小径ちゃんは?」
「大丈夫じゃないですよぅ……。スマホ壊されちゃいました。データのバックアップ取ってないのに……うぅ……」
彼女は、沈痛な面持ちで液晶画面を撫でていた。可哀想だ。明らかに涙目だし……。下手に声をかけるのも躊躇われるので、しばらくそっとしておいてあげよう。
視線を戻すと、林先輩と目が合った。彼女は憎しみを隠そうともせずに尋ねる。
「ねぇ咲。この場所のこと、覚えてる?」
「……もちろん」
高校の屋上。
まだ部活動が盛んな時間帯なので、遠くから掛け声や笑い声が聞こえてくる。屋上には生温い風がゆったりと吹きつけ、空を仰がずとも甘ったるい琥珀色が視界の隅に入り込んだ。この場所を選んだ理由の一つは、私にこれを見せつけるためかも知れない。
だが本命の理由は、別にある。
「懐かしいわねぇ。私が高校一年生のとき、貴女が学校見学に来て、一緒に屋上へ忍び込んだのよね。それで、色々な話をして……貴女がこの高校を志望していると知った」
「はい。私にとって、先輩は憧れの人だったので」
「はっ。まだそんな可愛いことを言ってくれるの。……いい子ね。本当に、いい子」
先輩はカッターの先をキチキチと出して、灯の首にあてがった。見たところ、まだどこも傷付けられていないようだ。ひとまず安心したけれど、顔をしかめて抵抗を示している灯を見るとのんびりしていられない。彼女を解放してあげるためにも、早く先輩を満足させなければ。
それにしても、一体何が目的なんだ?
「あの時、どうやって屋上に入ったか覚えてる?」
「え、普通にドアから。先輩が、特別に鍵を借りて来てくださって……」
「うん。あれね、嘘。本当は盗んだの」
「……どうして?」
「殺そうと思ったからよ。あの日初めて、私は貴女に殺意を抱いたの」
数年越しの告白、と聞き流すには内容が内容過ぎて、脳の整理が追い付かない。
先輩が私に敵意を覚えていることは知っていたけれど、これは私がまだ中学生だった頃の話だ。当時から、彼女は命を狙っていたというのか? どうしてそこまで。
「いや、それ以前から、私は漠然とした殺意を感じていた。それが
彼女は実に清々しかった。本当はずっと、言いたくて仕方なかったのかも知れない。なんとなく居心地が悪い友人に絶交を宣言するみたいに、すっぱりと荷物を捨てて先へ進みたかったのかも。そうやって突き進んだ先が天国なのか地獄なのか、それは神のみぞ知る――あるいは、運命だけが知っている。
「この高校ね、私の第一志望じゃなかったの。本当に行きたかったのは、都心にある、東大にバンバン卒業生を送り込んでいるような進学校。だけど親も教師も頑なに理解してくれなかった。理由を訊いても歯切れが悪くてね。『成績は申し分ないけど……地元じゃ不満なのか?』って、不満に決まってるでしょうが。なんでそんな曖昧な理由で、才能を無駄遣いしなくちゃならないのよ。私はこんな場所に居るべきじゃない。少なくとも……挑戦もしないで引き下がるようなことはしたくなかった」
「だったら……」
「周りの言うことなんか聞くなって言いたいんでしょ? 分かってる。分かってるわよ、そんなことは! だけど……、そんな簡単なら、こんな
分かります。分かりますよ、先輩。私もそうでした。流れに身を任せて生きてきたし、周りに見放されたら終わりだと思って生きてきた人間です。でも。それでも――。
「貴女には分からない」
開きかけた口が、半開きのまま動かなくなった。言葉を紡いでいく勇気が、一瞬で根こそぎ奪われていく。
「私が将来ビッグになると宣言したとき、大人は鼻で笑った。『咲ちゃんは大物になるだろうけど、お前はなぁ……』。そう思っているのは明白だったわ。考えたことがある? 常に貴女と比べられ続ける、身近な人の存在を。なのに貴女は、私が『憧れの人』ですって? 馬鹿にするのも大概にして」
「そんなつもりじゃ……」
「話せば話すほど、貴女のことが許せなかった。ムカついた。死んでくれって思った。だから殺そうとしたけど、無理だった。相変わらず貴女は、運命の檻に守られたお姫様のままだったから」
「…………」
そう。彼女はあの時、私の背中を押したのだ。ちょうど突風に押し戻されて難を逃れたけれど、そうでなければ事故か自殺として処理されていたに違いない。私は先輩に不信感を抱きつつも、誤って身体をぶつけただけだと思い込むようにしていた。
「……謝ってよ」
生気のない声で、彼女が呟いた。
「謝って」
「どうして……私が謝るんですか? 謝るべきなのは、先輩のご両親と先生、それに先輩の夢を笑った人たちじゃないですか」
「ははっ、素敵。それも良いけど、貴女の罪が帳消しになるわけじゃないわ。ねぇ、灯ちゃん?」
彼女はここで、あろうことか灯の方に話題を振った。呼びかけられた灯は、虚ろな瞳をきょろきょろと動かし、言い辛そうに口を開く。
「咲」
それは、私にとって当たり前すぎて――でも彼女にとっては当たり前じゃなかったからこそ生まれた――予想だにしない問いだった。
「私と付き合ったら世界が滅ぶって……本当なの?」
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