Edosipe10’ 学校祭 (2’)
昔に比べたら、私の立ち回りも上手くなったものだ。いや、変わったのは周囲の環境かも知れない。高校生にもなれば、劣等感と手を取り合って仲良く歩んでいくことができる。
私が鶴の一声を発さずとも、クラスの出し物はワッフル屋に決まった。ありきたりと言ってしまえばそこまでだが、クラス企画などそんなものだろう。民主的に決めようとすればするほど、平凡な内容になりやすい。奇抜なアイデアが通りやすいのは、圧倒的に、林先輩のようなワンマン経営者がいるクラスなのだ。
ワッフルを売るのは不満かって? いや、むしろ皆が自由に決めてくれて嬉しい限りだよ。企画が決まったついでにシフト表まで作成してくれて、仕事が早くて助かるね。私が不満なのはただ一つ、私と脇本くんのシフトが完全に被っていることだ。
文句は言わないし、シフトを変えてくれとも言わない。どう名前をいじくったところで、最終的には同じ組み合わせになるに違いないから。まさか大々的に「脇本くんとシフトを離してくれ」と宣言するわけにもいかないし。
同じシフトのメンバーで、近々試しにワッフルを焼いてみよう、という話になった。手順は料理が得意な子がノートにまとめてくれるそうなので、私たちはそれに従うだけ。
計画を実行に移したのは数日後、学校祭準備期間に入ってからだった。
私たちのシフトは6人で、うち3人は接客に回るから不参加。私と脇本くんは作る担当で、この日はもう1人が休み。家庭科室には、私と彼の、二人きり。
「よろしく」
「……よろしく」
脇本くんのことは、決して嫌いではない。好きか嫌いかで尋ねられたら、たぶん好きの部類に入ると思う。ルックスは間違いなく格好良いし、優しいし、考え方が柔軟だし、男女分け隔てなく仲良くしてくれる。さすがに運命の相手なだけあって、私の好みをよく押さえていると思う。また、好みと言うなら、次の事実を示しておかなければフェアでないだろう。
彼は、私がヒロインであることに気付いていない。
私が灯に惹かれたきっかけがこの鈍感さであるなら、それと同様、彼に惹かれることも全く不自然ではないはずだ。でも私が選ぶのは灯。何が彼と灯を分けたのか。
決まっている。彼が、運命の差し向けた人間だからだ。
彼はただ鈍くて、気が利かなくて真実を知らないのではない。物語の進行上、やむを得ず自分の立場に無自覚なのである。灯はそうじゃない。親友が主人公だと気付こうが気付くまいが、運命には一切関係がないにもかかわらず、彼女は自分がヒロインとすら感じている。
端から見れば滑稽だろう。彼女は道化ですらないのだ。小径ちゃんの言葉を借りるなら、登場人物表の枠外の存在。友人Aとか級友Bとか一括りにされる存在。
そこが悲壮で、可哀想で、可愛いのだ。
「えーと、材料は家庭科準備室にあるんだっけ。俺、取ってくるよ」
「ありがとう」
率先して動いてくれて助かる。現状、彼は私にどれぐらい気があるのだろう? 何年も前に知り合っていたことを、彼は知っているのだろうか?
既に灯への恋心……のようなものを自覚してしまった身としては、彼をできるだけ傷付けないため、好かれない努力をしていきたいところである。昔からの因縁も知らないほうが良いし、私たちの縁についても認識しないほうが良い。
いっそ、彼にも主人公やら運命やらの話をするか? それはそれで運命の流れを加速してしまう気もするけれど……。
「ごめん、岸出さん。ハシゴを押さえてくれない? 道具が高いところにあって、一人じゃ届かないんだ」
「ん、分かった」
手伝ってもらわないと届かない? そんなわけないだろう。家庭科の先生が一人で調理実習を担当することもあるのに、ハシゴを使わないと取れない場所に道具を置くとは思えない。せめて一人で使える台や、脚立が置いてあるだろう。
疑って家庭科準備室を調べ回ったが、めぼしいものは見つからない。脇本くんの言う通り、自立しないタイプのハシゴが一本、立てかけられているだけだ。
「ワッフルメーカーなんて、学校祭でしか使わないから。普段目につかない場所にあってもおかしくないんじゃないかな」
説得力はある。だが、その辻褄の合わせ方は如何にもそれっぽい。
仕方なくハシゴを押さえたが、警戒は怠らないようにしていた。ハシゴが倒れてきてどちらかが大怪我を負うかもしれないし、教室の備品を台無しにして弁償させられるかもしれない。となれば、金を稼ぐために殺し屋とか運び屋とか、いかがわしい仕事をさせられるパターンも想定できる。脇本くんは場慣れしていないから、そのときは私が……。
「よし、ありがとう。これで全部だよね」
色々考えているうちに、用事が終わっていた。なんだ、考えすぎだったか。
よく考えたら、調理実習自体は一人で担当していても、その準備まで一人でやらなきゃいけない道理はない。他の先生に頼るなり、ほっつき歩いている生徒に手伝ってもらうなり、方法はいくらでもあるじゃないか。こんな狭い部屋に脚立を置いたら、それこそ下のほうにある物が取りづらくなってしまうし、ハシゴを使うのは最も合目的的という気がしてきた。
脇本くんが下りてきて、安定したので手を離す。この気の緩みが命取りとなり、ハシゴ全体がぐらりと倒れてくる――なんてことはなく、彼は普通に着地した。
ただこの最後の一歩は、彼が目測を一段誤って出したものであり、つまり、あと一段だと思ったら二段あったというサプライズに満ちた着地であり、彼は当然バランスを崩した。ガクンと落ちるような錯覚には、私も覚えがある。たった二段。されど二段。
彼は私に、覆い被さる体勢になった。
辛うじて彼が腕を伸ばしたので、密着することは避けられたが……。
顔が近い。床が冷たい。触れていないのに、全身が他人に包まれているような、奇妙な感じだ。薄暗い密室で、男女二人きりで、互いの息遣いも感じられるほどの距離……ときめきはしなくとも、どぎまぎはしてしまう。意識するなというほうが無理な話だ。
「……ごめん」
「早く離れて」
「あ、うん」
真っ赤になった彼の耳を見ないようにして、背中とスカートをパッパと払った。食べ物を扱う場所なだけあって、家庭科準備室は掃除が行き届いていて助かる。これが美術準備室とか体育館のステージ裏だったら、目も当てられない惨状だ。
私たちは何食わぬ顔で、食うためのワッフル作りを再開した。西日の差し込む教室で、脇本くんと粉を混ぜたり液を焼いたり、化学実験のような工程を踏みながら、私は反省ばかりしていた。
なぜ気付けなかったのか。
ハシゴは低いところが危ないって、徒然草にも書いてあったのに……。
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