Episode9 スクールフェスティバル (1)

 学校祭の準備が始まった。私たち一年二組の出し物は劇に決定し、早くも暗雲が立ち込めている。


 「えーと、何か案がある人はいますか?」


 学級委員が教壇に立ち、力のない声かけをしているが、反応する生徒は誰一人としていない。それもそうだ、元々劇は第四希望として実行委員会に提出したのに、抽選に落ち続けて決定事項となり返ってきたのだから。村の忌み子のような扱いだ。ヘンゼルとグレーテルを脚色して、この話を上演してもいい。『まぁ、私たちは売店をやりたかったのに、アンタはどうして帰ってくるの?』とか。……良くないな。


 後ろの席から見ていると、誰も発言していないのにクラスメイトの声が聞こえるかのようだ。真空状態の教室の中に、うるさいくらいの疑問や不満が充満している。それは満員電車に似ていた。誰も彼もが、沈黙という主張を貫いている。


 劇って何? どういう話にするの? 誰が演じるの? 感動モノか、笑いに振り切るか。当日の空気はどんな感じ? 上手くいけばいいけど、いかないならやりたくないなぁ。誰かやってくれないかな。俺は無いけど、皆は何か無いの? 学級委員困ってるじゃん。定番の桃太郎とかで良いんじゃね。ちょっとだけアレンジしてさ。誰が台本書くんだよ。主人公とかマジ勘弁。部活の先輩に見られたくないなぁ。主人公は勿論だけど、脇役すぎるのもキツいよな。木、とかな。登場人物紹介で『役……〇〇』とか書かれたらどうしよう。ハマり役だったね、とか妹に言われたら立ち直れねぇよ。親に言われるのも嫌だけどな。おい、誰か案出しなよ。地獄よりキツいぜ、この空気。


 さながら阿鼻叫喚だが、共感してしまうのも事実だ。私も大体似たようなことを考えながら他人の発言を待っていた。というより、私の考えがこの地獄絵図に反映されていることは間違いない。彼らが本当にこんなことを思っているのか、私には知り得ないことだった。


 あれ、もしかしてこれ、主人公の私が手を挙げないと終わらないやつ?


 こういう状況は時々ある。中学校の頃にも、沈黙の圧に押されて委員長に立候補してしまった経験があるが、その時とは人数が違う。精々三十数人と言っても、この中で目立つのはまぁまぁのリスクだ。何故なら……。


「おい〇〇、お前主役やったら?」

「はぁ、なんで俺なんだよ!」

「得意だろ、こういうの」


こういう風に、突然お鉢が回ってくることがあるから。人気の甲乙と演技の巧拙には大した相関が無いにもかかわらず、ただ目立つというだけで無茶ぶりを食らう。中学校、いや小学校の時から何度も見た光景だ。まぁ頼まれた側は満更でもないことが多くて、なんだかんだ引き受けてしまうのが世の常だけれど。


「じゃあ、主人公は〇〇くんにするとして、誰か台本を書いてくれませんか?」


また沈黙が訪れるかと思いきや、意外にも、すっと手を挙げる生徒がいた。唇をきゅっと引き結び、寒さに耐えるように身体を縮こませた彼女は、私のよく知る人物だった。


 「うちのクラス劇の台本、小径ちゃんが書くんだって」


休み時間、小径ちゃんも交えて、さっそく咲に報告した。


「へぇ、すごいね。前にも書いたことがあるの?」

「い、いえ。本を読むのが好きなので、いつか自分でも書けたらいいと、思っていて」

「そっか、じゃあ今回の台本は叩き台なんだ」

「う……そんなこと言うと、皆さんに悪いですよね」

「別に良いと思うよ。うちのクラス、皆ある程度本気だけど、ある程度は適当だもん」

「これで上手くいったら万々歳だし、上手くいかなくても小径ちゃんの役には立てるし、むしろ気が軽くなるんじゃないかな」

「そう言って頂けると有り難いです」


ナイスフォロー、という意味を込めて、咲のほうに視線を送る。彼女はやわらかく微笑んでそれに応えた。


 咲と二人でいることが当たり前だった頃は、会話中に何度も目が合うことを不自然だとは思わなかった。だが小径ちゃんと行動を共にし、三人で話すことが増えると、その異様さが際立つ。私が彼女のほうを向いたときは、必ず彼女もこちらを向いていると言っていい。彼女には視線センサーでも付いているのか、そうでなければ目が幾つもあるに違いない。


 「で、灯は何の役で出るの?」


咲の横顔を盗み見て考え事をしていたら、私の恐れていた話題になっていた。思わず背筋が伸び、顔が強ばる。


「私は出ないよ、人前に出るの、得意じゃないし」


そう。私は小径ちゃんを手伝うために係には立候補したけれど、それ以上はやらない。舞台上で演技をするなんて、私から最も縁遠い仕事だ。誰がなんと言ったって、私は断固として拒否するぞ。


「そのことで、折り入って灯さんにご相談があるのですが」

「……え?」

「あの、今回の劇の主人公を、灯さんに演じて頂きたいんです」

「…………」


咲がニヤニヤ笑いを浮かべるのが分かった。


 話を聴くと、こういうことらしい。


 小径ちゃんは、肝試しの後から創作意欲が止まらなくなり、クラスで台本が募集されると思わず手を挙げてしまった。しかし考えてみると、書きたいと思ったきっかけが私たちとの体験だったため、主人公像は頭の中で固定されている。一年二組の出し物として上演しようと思うなら、主人公は私、将門灯をおいて他にないという結論に至った。と。


 「でも、〇〇くんが主人公って話じゃなかったっけ」

「はい。ですから、〇〇くんがヒーローで、灯さんがヒロインの、ダブル主演にするつもりです」

「なるほど……」


小径ちゃんって、意外と器用なんだよな。正直、見た目は少しにぶそうというか、ドジっ子キャラみたいな雰囲気なのに。


 一縷の望みも潰え、私の運命はとうとう決定的になった。


「わかった。やるよ」

「ありがとうございます!」


このくしゃっとした笑顔を見ると、やっぱり断れないよなぁ……。それに――。


 「満更でもなかったんじゃない?」


その日の帰り道、咲がずばり私の内面を言い当てた。


「そうかもね」


苦手なことでも、人に頼られるのは嬉しいものだ。最初は渋い顔をしていても、結局は引き受けてしまうのが人間心理。それに、自称主人公が主人公を演じるのは、まぁ順当であると言えなくもない。


「咲は見に来ないでよ」

「笑わせるわね。行くに決まってるでしょうが」

「だと思った。咲のクラスは何するの?」

「ワッフル作って売るってさ」

「なんだ、メイド喫茶じゃないんだ」

「公立の進学校で、そんな攻めたことできないよ。出来ても女装魔法少女喫茶まで」

「なにそれ早口言葉? そっちのほうがよっぽど前衛的に聞こえるんだけど」

「でも、やるみたいよ。二年四組で」

「まじか。絶対行こ」

「一人で?」

「二人で」


ホッとした表情を見せる咲を見て、私は軽くイラッとした。


「言わなくても分かってるくせに」

「分からないよ。知らないうちに、遠くへ行っちゃうことだってある」

「私が?」

「そう」

「何処にも行かないよ」

「さぁどうだか。……でも、その言葉が灯の口から聞けて良かった」


斜陽の差す寂しげなアスファルトの上で、私たちは自転車を降りた。ここから私の家までは、歩いて五分もかからない。住宅街のなかにぽつぽつと畑の混じる風景を、ゆっくり眺めながら自転車を押した。この状況自体がなんだか儚げで、奇跡のようで、嘘くさい。


 周囲の全ては張りぼてで、この世界にもいつか終わりが来るのかも知れない。私たちは、作られたステージの上で踊っているだけなのかも知れない。咲の心配は私にも理解できる。


 でも、それを言えば、咲のほうこそ私を置いて遠くへ行ってしまいそうだ。


 隣を見れば、今も彼女は虚空を睨む。何か決意のようなものが、瞳の奥で燃えている。その炎は静かで密やかで、一見したところでは誰にも分からない。だけど、それが憎しみの色を湛えていることに、私はずっと前から気付いている。


 「咲」

「ん?」


しかめっ面で呼びかけると、彼女の顔からすっと憎悪の波が引き、呑気な顔が現れる。小径ちゃんに比べて、この子はなんて不器用なんだろう。


「劇、観に来たら許さないからね」

「はいはい」


そう言って頭を撫でようとする手を華麗に回避し、またすたすたと歩き始める。


 私を捕まえようと悪戦苦闘している時、咲はいつも楽しそうだ。まるで、嫌なことなんか全部忘れてしまったみたいに。


 ほんの少しでも、彼女の気持ちが明るくなればいいな、と願う。

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