Episode6 マウストゥーマウス (1)
「昨日はうちのせいでややこしいことになったみたいで、すみませんでした」
学校に着いたら、話したことのないクラスメイトから謝られた。
私と同じくらい小柄で、前髪の長いおかっぱ頭。校則違反ぎりぎりの長さで切り揃えられた前髪は、俯きがちな彼女の目元を完全に覆い隠してしまっている。
この上なく表情が読みにくいが、頬が紅潮していることだけは分かった。
「き、昨日って、なんのこと……ですか」
「あ、えっと、うちが咲ちゃんに塩を渡したんです。そのせいで勘違いされたって聞きました」
「あ」
塩。あの男が『偽物だ』と看破したあの粉は、塩だったのか。道理ですんなり引き下がったし、警察も私のことを相手にしなかったわけだ。あの状況なら、私の持っていた塩を彼らがドラッグと見間違えただけ、というストーリーが容易に組み立てられる。
まぁ、実際は私も本物だと思っていたから、事情はもう少し複雑であるにしても。
まとめるとこういうことか。咲がたまたま塩を貰い、それをたまたま私の家の前で落とし、勘違いした私がそれを拾って持ち歩いていたら、たまたまクスリを無くした学生グループと出くわしてしまった、と。運が悪いの一言で片付けてはいけない不幸のような気もするけれど、それ以外に説明のしようがない。私を陥れようとした誰かがいるとも思えないし、偶然の要素が多すぎる。
強いて言えば、私が無関係だと分かった後に彼らが追いかけようとした『あの女』。私が塩を拾う場面を目撃した女がいた、ということだろうか?
「あのぉ……ほんとにすみません」
「あ、全然大丈夫……ですよ」
「……」
「……」
彼女の隣に立つ咲を見やると、ニマニマしながら私たちの会話を眺めていた。彼女は私が困っているところを見るのが大好きなのである。そのうち天罰が下ると思う。
「はい、というわけで、私の新しいお友達、
「灯さん、よろしくお願いします」
「あ、うん、よろしく、お願いします」
『おともだち』という響きから、昨日の男の顔がフラッシュバックした。自分が思っていた以上に、恐怖が強く刻まれている。もし今日が休日だったら、問答無用で咲を遊びに連れ出していただろう。小径ちゃんの名字ではないが……道連って。怖すぎるだろう。
「小径ちゃんは二組だから、灯と同じクラスだね」
「そうですね」
「で、でも、あまり接点はない……ですよね」
「灯、さっきからなんで敬語なの?」
「え、いやなんとなく。話すの初めてだし」
「話しやすい喋り方でいいのに」
「分かってるけど、難しいんだよ」
咲め、完全に私の人見知りをおちょくっているな。小径ちゃんは恥ずかしがり屋に見えて意外と距離を詰めるのが上手だし、もしかして私ってこの中で一番コミュニケーション下手?
「三人とも同じ授業がありそうなのは、音楽と体育くらいかな」
「いえ、私は書道選択なので」
「あ、そっか」
「二人とも音楽選択なんですね。すごいな、うちは人前に出るのが苦手だから、書道とか静かな科目のほうが好きなんです」
「わ、私も得意じゃないけど、小さい頃にエレクトーン習ってたから」
「発表のときの灯のテンパり方ったら、めちゃくちゃ可愛いんだから」
「へぇ、それは見てみたいです」
「この前は、いざ弾き始めようとしたらギターの弦が切れてピヨ~ンって鳴って、みんな大爆笑」
「咲ぃ……」
小径ちゃんはくすくす笑っている。私を置いてけぼりで、なに私の話題で盛り上がってんだ。文句の一つでも言ってやろうとしたところで、折悪しく授業の予鈴が鳴った。次の授業の準備があるという小径ちゃんが先に教室に戻って、廊下には私と咲の二人だけになる。
「ふん」
「あれ、拗ねてる? 嫉妬しちゃった?」
「はぁ? 嫉妬、なにそれ聞いたことない」
「そっかそっか」
頭を撫でられた。最初はされるがままにしていたけれど、ここが教室前の廊下であることに気付き、慌てて払い除けた。時と場所を弁えなさいよ。まぁ、いつどこでやられても嫌だけど。今日はちょっと、傷心だからつい応じてしまっただけで……。
「なんで塩を貰ったの?」
疑問と言えば、それが最大の疑問だ。あの塩さえなければ、私が余計な災難に巻き込まれることもなかった。もちろん悪いのは、塩を贈った小径ちゃんではなくそれを落とした咲のほうだけれど、そもそもの発端ぐらいは知っておきたい。
「それがね、あの子、視えるんだって」
「え、何が」
「普通は視えないもの」
「だから、何が」
「背後霊」
授業が始まる三十秒前。もう親友と別れざるを得ない時間だった。
「じゃ、また後でね」
問い質す間もなく、私たちは教室に吸い込まれていく。彼女はこうなることを分かっていて、あえてこのタイミングで口にしたのだ。私の気を引くだけ引いて、時間の都合で話さないまま。どれだけ続きが気になっても、時間が来るまでは好奇心を押さえなければならない。
これではまるで時縛霊だ。
背中にうっすらと視線を感じたまま授業をこなし、咲と再会したのは昼休み。彼女は嬉しそうに私の来訪を迎えた。
「……つまり、あの塩は除霊用ってこと?」
「そう」
「ってことはその、いるの? 背後霊が」
「いる、らしい」
「なるほど。幽霊信じてるんだ?」
「いや。幽霊なんて人間の想像力の産物だよ。現実には存在しない」
「じゃあ、塩はもう要らないね」
「いや……」
「まだ持ってるの?」
「まぁ……一応ね」
「一応、ね」
「何よ」
「いやぁ? なるほどなるほど」
私がやたら頷くのを見て、彼女が長い首を傾げる。ハーフアップにした髪が、さらさらと肩を撫でて落ちていく。
天啓だ。これはもしかして、ひょっとすると、彼女を困らせることができるかも知れない。
「よし、決めた。もうすぐ夏休みだし、夏っぽいことをしよう」
「お、いいね。プールとか、海水浴とか、お祭りとか、あとは……」
「肝試し」
咲の顔がわずかに曇ったのを、みすみす見逃す名探偵アカリではなかった。
たぶん彼女は、お化けが苦手だ。平気な人は、一度無くした除霊用の塩袋を再び作って持ち歩いたりしない。いかに小径ちゃんの言葉を信用していようと、普通は越えない一線がある。少なくとも私だったら、面倒くさくてやらないだろう。
決行は今週末、意地悪ばかりする咲に、今回こそ一泡吹かせてやる。
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