(4)
「ねえ、おじちゃん」
「だから、なんだよ。ってか、その呼びかたやめろ。まだ三十二だぞ」
あと一週間でぞろ目だけどな。どっちにしたって世間一般じゃ、まだ中堅未満。若造の部類だよな、とあらためて思って苦い気分が押し寄せる。それを払拭する意味で、別の思考に置き換えた。まあ、あれだ。世間一般の評価はそれとして、このガキから見れば、親と似たり寄ったりの年齢の俺なんか、充分おっさんか。
「ママは二十五歳だよ」
げっ……。
思考を読んだわけではないのだろうが、絶妙のタイミングで爆弾落とされて、思わず隣を見やってしまった。
「……坊主、おまえいくつ?」
「八歳」
答えたあとで、持っていたクマのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、さっきよりいっそうおずおずとした上目遣いを向けてくる。
「………………おにい、ちゃん?」
待て待て待て、やめろ! さっきまであんな無遠慮に、平気でズカズカと人の領域に踏みこんで来やがったくせに、このタイミングでいきなり、そんな殊勝な態度で余計な気遣い見せるなってんだよ。地味に傷つくっつうの。
「……いいよ、おっさんで」
もはやそれしかあるまい。母親より八つも年上で、こいつより四倍も長く生きてりゃ、おっさん以外のなにものでもあるまい。ってか、なんだよこいつの母親。二十五とか若すぎだろ。もし実際にサバ読んでるんでなけりゃ、成人未満でこいつ産んでんじゃん。ということは、父親のほうもひょっとして、どっこいなんだろうか。
思ったら、なにやら恐ろしくなった。
「それで、なんだよ?」
恐ろしいから、さっさと話題を変える。坊主は「え?」とキョトンとした目を向けてきた。
「え?じゃねえよ。俺になんか言いたいことでもあったんだろ?」
「あ、うん」
頷くと同時に、ふたたび俺のケツを見る。
なんだよ、ほかにまだなんか、ケツの下に敷いてるってのかよ。
思って覗きこむが、今度はとくになにもない。
「おじちゃん、ここでなにしてんの?」
「ああ?」
思わせぶりな態度をとっておいて、まったく関係ないことを訊いてくる。意味がわからんと顔を上げると、坊主はまだ、人の尻を凝視していた。
なんだよ。まさかと思うが、犬の糞でも踏んでるとかじゃねえだろな?
一瞬ギョッとするが、ガキの様子にばっちいものを見る気配はなかった。
「ずっと鳴ってる」
「は?」
ポツリと呟いたガキは、さっきとおなじように手を上げると、ふたたびケツを指さした。
「おじちゃんの電話、さっきからずっと鳴ってるよ?」
言われて、ようやく意味を理解した。ガキが気にしていたのは、尻ポケットのスマホだった。
マナーにしてあるから実際に音は鳴っていないのだが、それでもさっきから適度な頻度で着信がある。さっきから――いや、ここ何日も、もうずっとだ。相手はわかってる。けど、出るつもりはない。そのくせ、着信拒否にするつもりもない。俺が、この世界にいることを実感できる、唯一の繋がり。
俺は結局、どうしたいのだろう……。
「おじちゃん?」
不思議そうに声をかけられて、沈みかけた意識が浮上した。
「いいんだよ、出なくて。ただの間違い電話だ」
「ふうん」
わかっているのかいないのか、ガキは曖昧に相槌を打った。
「っていうか坊主、おまえこそこんなとこでなにやってんだよ。学校はどうした」
「律だよ」
「あ?」
「ぼくの名前。『ぼうず』じゃなくて、『りつ』っていうの」
「あっそ」
「戒律の『律』なんだって」
だから訊いてねえよ。
関心なんて欠片も示さず正面に向きなおっても、ガキはまるで気にした様子もない。
「『なはたいをあらわす』んだよ? だからぼく、自分に厳しくしないといけないんだ」
「へえ」
意味、絶対わかってねえよな、と思ったが、ガキはどこまでも真剣だった。
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