トラブルのはじまり
まだ編集部の改装が終わっていないので別室に四人を集めた。浦川さんは会社の手続きで合流が遅れることが確定している。
「集まっていただきありがとうございます。第四の編集長を任されました
関口くんは短髪の男性だった。良かった。女性だらけの職場じゃなくて。
「は、はい。営業から異動になりました関口
「じゃあ、隣の永原さんお願いします」
「一般文芸から異動願いを出してこちらに所属することになりました。永原雅です。私は、ジャンル同性愛だったら小説でも漫画でもなんでも読みます。映像分野は増えてきていて、視聴する時間が足りません。よろしくお願いします」
「それじゃあ、神林さんから、最後に伊東さんで」
「第一BLから異動になりました神林真帆です。BL漫画全般が好きです。よろしくお願いします」
「神林さんは第一で若手のエースなんだ」
「そんなことないです、恐れ入ります」
「一番年齢が下なのに大トリを任された伊東奈々香でございます。永原さんと同じかどうかはわかりませんが、BL漫画と百合小説が好きです。よろしくお願いします」
「後から合流する予定の浦川さんは伊東さんより年下だと聞いています」
「あら! すみません」
キックオフの後に会議室の片付けをしていると永原が声をかけてきた。
「編集長ぉ、お時間よろしいでしょうか」
「ごめん、会議室、他の部署が使うんだっけ?」
「いえ、先にお耳に入れておいてもらいたい個人的な情報です」
食堂……と言いかけて屋上庭園を指定した。彼女は机の位置直しを手伝い、鍵を総務へ返しについてきた。
まだ外の風は冷たい。
「そういえば話って」
「ああ、私、今同性のパートナーがいましてぜひ二人でパートナーシップ宣言を出したいと考えているんです。でも第四ができてしばらくは内緒にしておいた方がいいですよね? 一旦落ち着いてからがいいと思ってるんです。どうでしょうか」
「ジャンル同性愛が好きってそういう意味?」
「もう。編集長だって好きな人の一人や二人いますよね」
「いや何年も前に事実婚の相手を事故で亡くしてね。でも忘れられなくて結婚指輪はつけたままなんだ」
「え、結婚!? すみません、自分のことしか頭になくて……」
「そういうことはあるさ」
第三の編集長から教えてもらった話は役に立つ。
第四が始まってからは、毎日の指輪、それにデスクを常に整理整頓して写真立てがありますよと存在をアピールすることだった。もちろん結婚相手などいやしないのだから、僕だけが見る『忘れられない』元カレの写真でしかない。鰐カラ先生の漫画に随分救われた僕は、元カレが戻ってくることはなく終わった恋なのだと理解し始めていた。それでも嘘をつくのは辛い。
苦笑いをしながら鼻をかく。
「永原さんの話は了承しました。なるべく早く落ち着いて、報告したいね。秘密は疲れるから」
「はい! ありがとうございます!」
言い終えて頭を下げた永原は嬉しそうな笑顔で廊下へと出て行った。
永原を連れて鰐カラ先生へ挨拶しに行った。
「今日から第四として一緒に頑張っていく仲間を紹介します」
「永原雅と申します。同性愛全般のエンターテインメント作品は全部確認しています」
「……全部?」
「はい、そうです。甘い物がお好きだと編集長からお伺いいたしました。普通のどら焼きと変わり種のどら焼きを買ってきました。次にお伺いした際にはぜひ感想をいただけると幸いです」
永原はそつなくこなしていく。
滞在時間は五分ほどで、各所の挨拶回りへと僕が動く前に永原へ鰐カラ先生は後輩のみんなにお任せするよと伝えた。
わかりました、頑張りますの返事をもらい永原は本社へと戻る。幸い、各種SNSのアカウント開設や開設に伴う告知、それからウェブサイトでの漫画の更新作業に慣れるといったことは若い人たちに任せたほうが安心だった。
慣れたら私がやることもあるからと伝えてはいるが、後から合流する浦川のためにマニュアル化する必要があった。合理的配慮にどこまで対応できるかわからないが、挑戦のしがいはありそうだ。なにせ永原の同性婚の話もあるし、僕自身が慣れておく必要がある。
鰐カラ先生とのトラブルの話が聞こえ始めるのはそれからすぐだった。
永原が神林や伊東を連れていくたびに遠回しに嫌みを言われたなど最初は些細な話からだった。僕とは楽しくやってきたことと鰐カラ先生以外に担当がついてなく経験の少なさから、彼女たちから話を聞く時間が増えた。
「鰐カラ先生は人嫌いだと聞いています」
神林から単刀直入に問われた。そういえば、昔、学校で嫌みを言われたと仰っていたっけ。その相手が女子なら、女性に対してあまり良い印象は持ってないのかもしれない。永原一人で行くならどうだ? と進言すると渋々ながら頷いた。
「神林さんも伊東さんも他の作家さんとはうまくやっていけてます。もっと一緒に経験したいんです」
「起ちあげたばかりだからうまくいかないことはたくさんあるだろうけど、作家の負担が少ない方向で頑張ろう」
永原はズケズケと物を言うタイプだ。神林さんや伊東さんは作家に気配りしすぎてどこか遠慮がちのようだった。
神林さんと伊東さんの二人にしてみたこともあった。とにかく、いろんな組み合わせで試してみた。二人は先生を怖がるようになり、永原一人で行かせた。
第三の編集長に相談しに行こうとした。第三の編集長のデスクには僕の後任の彼が座っていて、副編集長のデスクにはだいぶ下の後輩が座っていた。
「あれ、編集長って……?」
「
うまくいってるようですねなんてあしらわれて、第四の編集室まで戻った。相談する先もなく、孤立無援の感覚に陥った。
七月一日付けで浦川が合流した。編集経験の無い関口くんとともにSNSの更新作業、編集部に親しみを持ってもらうための週報を彼女に書いてもらうことにした。それまでは関口くんに書いてもらっていたが、どうもウケが良くないのは確かだ。女子の心はわからないと嘆いていたからちょうどいいだろう。
浦川が合流して業務に落ち着いて取り組めるようになったと感じた頃、永原に鰐カラ先生への顔合わせとして浦川を連れていくよう頼んだ。
僕から『新人編集部員を向かわせています。 善知鳥』と先にメールを送っておいた。それが良くなかった。
『先生から水をかけられました。浦川がショックを受けているようなので落ち着いてから戻ります。 永原』と連絡を受けた。
今まではあっても嫌みや暴言で、なにか手を出すということはなかった。少なくとも話は聞いてない。僕自身できちんと話をすべきなのかもしれない。編集長になったら、後輩に仕事を任せて来れなくなるんです、と。
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