〈第一章〉1、荒木正弘
「それで、こいつらはどうするんだ?」
と、青根村に住む中年の男は、苛立った様子でいった。この男が腹を立てている理由は主に二つで、一つは自身の娘が盗賊に犯されたこと。もう一つは、その捕らえた盗賊の処分についてであった。ゆえに、荒木にも男の苛立ちは十分に理解できたが、こちらにも結論を急げない相応の理由はあった。
ことの始まりは、十日前まで遡る。
荒木正弘の仕える立花家に、
『税を納めず、武装した村人たちの制圧に、精鋭を数名貸してほしい』
との依頼が、麾下の長谷川家より寄せられた。これを受け、立花家の当主である立花菊は、誰を向かわせるか少しばかり逡巡すると、荒木正弘を一人だけ指名した。
「長谷川家は数名を所望しています」
荒木は主君にそう掛け合ったものの、
「村人の制圧などお前一人だけで十分だ。それに長谷川家からも兵士は出る。腕の立つ侍が不足しているだけに過ぎまい」
と主君である立花菊に一蹴された。
荒木は仕方なく一人で馬に乗り、長谷川家の屋敷に向かうことになったのだが、この依頼は想像を遥かに下回る楽な結果に終わった。村人のほとんどは武装などしておらず、数名が竹槍を持っているだけだったのだ。斥候がふざけた報告をしたばかりに、荒木はわざわざ呼び寄せられてしまった形といえる。長谷川家の兵士と共に、荒木は村人たちを一瞬で制圧させると、あっという間に片が付いた。
ことが終わると、荒木は早速帰路に着くことを選んだ。
(これ以上、長谷川家の茶番に付き合ってなどいられるか)
その思いであった。
しかし、問題はこのあとである。帰路にて立ち寄った小さな町にて、銭袋をすられてしまったのだ。いったい、いつすられたのかは、今でも分かっていない。が、可能性があるとすれば、その町で不自然にぶつかってきた少年が上げられる。しかし、過ぎてしまったことはもうどうしようもない。
荒木は、そのときから無一文になってしまったが、すられたことに気付いたのは、今いる青根村に立ち寄ったときのことである。一泊させてもらおうと、村人に声を掛けたまではよかったものの、当然のことながら払える金が一銭もない。
仕方なく、何か困っていることはないかと尋ねると、村人たちは一人の娘を連れてきた。名前は〝さち〟といい、齢は十六歳ほど。が、容貌はあまりにも不健康であった。顔面がひどく腫れ上がっており、片目はほとんど開いておらず、さらに右腕の骨が折れていたのだ。
「これは俺の娘なんだが、盗賊にやられたんだ」
その子の父親は、憤慨した様子でいった。
「あまりにも残酷だと思わないか? まだ盗賊は近くにいるはずだから、とっ捕まえてほしい」
「捕まえるのか? 殺すのではなく」
と荒木は尋ねた。
「そうだ。三人全員に、我々の手で報いを受けさせたい。報酬はちゃんとやる」
(生け捕りか……)
少々困難な任務に思えたが、この姿の娘を見せられたのでは、もはや断るのも難しい。
「分かった」
そう答えると、早速行動に移った。青根村の村民たちは、娘を犯した盗賊の露営地をすでに突き止めており、荒木はその案内のもと、強姦犯たちのところへすぐに向かった。村民の話では、賊は三人で、いずれも三十歳前後の男だという。
露営地に着くと、情報の通りに、男が三人いた。
(さて、どうするか?)
そう考えながら、しばらく荒木はかれらを観察した。が、正直なところ、いずれも大した相手には見えなかった。けれども三人同時はさすがに骨が折れるので、まずは一人を確実に仕留める方針を立てた。その機会はすぐに訪れ、一人が草むらで排泄を試みたところを背後より襲い、頸動脈を圧迫させ音もなく気絶させた。
(残るは二人)
やや風格のある男と、小柄な禿頭の男であった。正面から向かっていっても勝てるだろうが、それでも不意をつく形で、荒木は背後より迫り、刀の峰で小柄な男の首を強く叩いた。そいつはそのまま倒れかけ、そこにもう一発叩き込んだ。すると、完全に戦意を喪失した様子をみせ、残るは一人となった。
「お前はなんだ? なぜ我々を襲う」
と、ことの異変に気付いた最後の一人がいった。が、荒木は男の姿を見て驚いた。
(こやつ、焦っていない)
残り一人になったのにも関わらず、腕に覚えがあるのか、口調は落ち着いていた。
「依頼があってね。お前たちを捕らえる」
と荒木ははじめ、
「なにも殺しはしない。痛い思いをするよりも、このまま投降してくれると助かるのだが」
と返した。しかし、その賊は吐き捨てるようにいった。
「たわけか、するわけがないだろう」
それから、斬り合いが数太刀ほどつづいた。最後の一人は、荒木の見立てよりも剣術が優れており、筋も悪くなかったが、それでも荒木の敵ではなかった。〝酔っていた〟のである。立花家の黒土城で鍛えられた荒木の剣術は、黒土城の中でも屈指の実力を誇る。そんな荒木に、酒に酔った男が相手になるはずもなかった。
結局、あっさりと三人全員を無力化すると、縄で縛り、村民たちを呼んだ。ここまでは滞りなく進み、なんの問題もなかった。
しかし、村に賊を連れ帰り、報酬を求めたところで話は急変した。
村は飢えているので〝まともな報酬など払えない〟と、今になって告げてきたのである。唯一渡せるのは、三日分の糧食だけだと、そう主張した。つまり、かれらは嘘をつき、危険な依頼を押し付けてきたということである。
暴行と強姦に遭ったという娘に哀れみは覚えるものの、なにも荒木は慈善活動をしているわけではない。無報酬で働くほど、この荒木正弘は安くはないのだ。直近の長谷川家の依頼では、荒木は特にこれといった活躍もしなかったが、それでも相応の報酬はきっちりと頂いた。
(その全てがすられてしまったけれども……)
だからといって、青根村の村民たちが例外になる理由は一つもない。
ゆえに、この賊の処分について悩んでいると、娘の父親はだんだんと苛立ちを募らせていったのである。
(腹立たしいのは、こちらだというのに)
そして、荒木は頭の隅にうっすらと思い浮かんだことを、酒気を帯びた賊に尋ねた。この男はやや風格があり、酔っているとはいえ話が通じそうである。
「おいそこの。お前たちは〝〈来迎〉〟という盗賊団の一員だな?」
〈来迎〉とは、ここらで活動している噂のある盗賊たちのことだ。
「だとしたら、なんだ」
と、その賊はいった。
「であれば、お前たちは篠原家より懸賞金を掛けられているはずだ。金額は覚えていないが、団員であれば必ず報酬が支払われる。この村が十分な報酬を払えないのであれば、私はこの賊を篠原城に連れて行こうと思う」
荒木がそういうと、親父はすかさずいい返した。
「ふざけるなよ! こいつらの報いはこの村で受けさせるのだ。篠原城ではない!」
「だが、お前たちは報酬を払えない。盗賊三人を生きたまま捕らえるという難度の高い依頼を押し付けておいて、その報酬が三日分の糧食とはふざけるのも大概にしろ。私は、お前たちに代わって命を懸けたのだぞ」
と荒木は親父にいい放った。それに対し、親父は怒りに震えながら口をもごもごとさせた。反論したいが、立場が弱いのを理解しているので、何もいえないのだろう。
「では、それでいいな?」
荒木は尋ねると、
「〝二人だ〟」
と親父は返した。
「二人ここに置いていけ、一人は連れていって構わん」
(ちっ、面倒だな)
そんな提案になど乗るわけがない。しかしこの村の、この親子の怒りは理解できるので、荒木は妥協案を提示した。
「一人だ。一人なら置いていこう」
「いいや二人だ。娘に手を掛けたのは一人じゃないんだぞ」
(どこまで食い下がるつもりだ?)
荒木は、親父をなだめようと声を低くした。
「そんなことは分かっている。だが、二人も残していったところでどうなる? お前たちは、この賊を憂さ晴らしに使うだけだろう?」
「憂さ晴らしなどではない。正義だ!」
と、親父は唾を激しく飛ばした。
「それを下す権利が、この村にはある!」
「そんな権利などない。大体、この賊どもが娘を犯した証拠はあるのか? 娘の証言だけであろう」
これに対し、親父は沸騰しそうなほど顔を赤くした。
「証拠だと? そんなものはいらん! どのみち、こいつらは賞金首なのだろう。だったら罪はすでにある」
「懸賞金を掛けたのは篠原家だ。であれば、篠原家にこの賊の処分を決める権利はある」
「では、生死は?」
「なに?」
「この賊たちの生死だ。懸賞金が掛けられているのは分かった。それで、生死はどうなのだ? 報酬を払う条件に、この賊どもの生死は関係あるのか?」
(たしかに、そこまでは考えていなかった)
「それは私も覚えていない。であれば、生かす必要があるな」
と、ひとまず荒木はいった。
「むしろその条件は、懸賞金を掛けられている賊のが知っているのでは? 尋ねてみよう」
が、
「尋ねても意味はないだろう」
親父は素早くそう返し、冷たい視線を賊に向けた。
「生死の条件があったとしても、生き延びるために嘘をつくに違いない。こんな賊の言葉に価値はない」
「それもそうだな」
と思わず納得してしまった。
「あんた、以外と頭が早いんだな」
これに関しては、本心からであった。実によく口が回り、思考も巡る。立場的には、かれらの方が不利だと思っていたが、荒木はどうにもこの親父を説得できそうな気がしなかった。
「分かった、負けたよ。あんたと娘さんに免じて二人置いていく。それでいいな?」
「あぁ」
親父の短い返答を聞くと、荒木は捕らえた賊たちに目を向けた。
「聞いていたな。この三人の内、二人はここに残ることになった。それで、誰が残る?」
賊たちにそう尋ねると、
「〈鼠〉とゆづるだ」
と、酒気を帯びた賊がすぐに答えた。しかし、それを聞いた隣の禿頭の賊が激昂した。
「どうして俺たちが! お前も犯しただろう!」
「待て、名前だけいわれても分からん」
荒木は叫ぶ盗賊を諫めた。
「誰が誰なんだ?」
「私は段蔵という」
さきほどの男はそう答え、つづけた。
「口の聞けぬ出っ歯の男が〈鼠〉で、今声を荒らげた禿頭がゆづるだ」
「なぜ、その二人なんだ?」
「犯したのは皆同じだが、ゆづるは娘の腕を折ったし、〈鼠〉は何度も殴った。娘にした罪は重い。それに俺は〈来迎〉の幹部だ。篠原城に連れて行くなら俺にしろ。一番価値がある」
「そうか」
荒木は短く返すと、親父に娘がそれでいいか尋ねるように頼んだ。親父はすぐにも娘のいる家屋に向かい返答を聞くと、息を切らしながら戻った。
「娘もそれでいいそうだ。どうやら嘘ではないらしい」
「あい分かった。では、段蔵の身柄は私が。〈鼠〉とゆづるの身柄は村が持つ」
そう告げ、
「では早速発つぞ。立て段蔵」
と命じた。が、ゆづるという男が再び叫んだ。
「待てよ! お前だけ助かる気か?」
「助かるか、なぜそう思う?」
と荒木は尋ねた。
「こいつは仮にも〈来迎〉の幹部だぞ。人質として生かされるとか、情報を引き出すとか利用価値がある。ここに残れば、間違いなく殺されるだけじゃないか!」
そうゆづるは吠えたが、
「黙れ!」
と、親父はかれの顔面を蹴り上げた。
「娘を犯したんだ。おまけにひどい暴行まで加えてな! 潔く受け入れろ、このくずめが!」
この間、段蔵は言葉を発さず、ただ蹴りつけられるゆづるを眺めていた。ひどく冷めた目で、同胞に対してこれっぽっちの感情も持ち合わせていない様子だった。
その面を見て、
「篠原家はお前を生かすと思うか?」
と荒木は段蔵に尋ねると、男は冷めた目をこちらに向けた。
「さぁな、おそらく殺されるだろう。人質としての価値など俺にはありはしない。引き出す情報も大してないだろう。篠原家は〈来迎〉を十分に知り尽くしている。篠原家は、ただ自分たちで手を下すのが面倒なだけだ」
なぜか異様なほどに落ち着いた様子で、淡々とそう述べた。
荒木は段蔵を縛る縄を掴み、自身の馬のもとへと歩かせると、段蔵を馬に繋いだ。荒木が乗る馬の名前は〈勝〉といい、もう六年に及ぶ付き合いになる。
「逃げようなどと思うなよ」
荒木は段蔵に告げると、愛馬〈勝〉に跨った。
そうして村を出るころには、早速二つの悲鳴が上がりはじめていた。一つはゆづるの声で、もう一つは〈鼠〉の声である。この二つの悲鳴が止む時がいつになるのかは分からないが、被害にあった娘がこの悲鳴を聞きつづけられるか、それが長期化するかの別れ目だろう。あの親父の目を見るに、そう早い死を与えるようには思えなかったが、なんにせよ悲鳴が完全にやむとき、それは慈悲が与えられるときである。
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