劇毒
クニシマ
泰孝くんへ
まず初めに謝っておかなければいけないことがあります。場合によっては今日、僕はあなたのところへ帰ることができないかもしれません。その理由を説明するには、
後藤と僕は幼少の頃からの友人でした。彼は昔からあなたもご存知のとおりのあの性格、すなわち独善的で高姿勢な利己主義者で、周囲から除け者にされることもしばしばありました。除け者にされるだけならまだましなほうで、乱暴者に目をつけられて暴力を振るわれたりすることも珍しくはなく、そしてどんなときでも原因は例外なく後藤の言動にあったのでした。
ただ、後藤はどのような仕打ちを受けても決してその態度を変えようとはしませんでした。何をどれだけ侵害されようとも彼は彼のままでした。中学の頃、放課後の教室で、見るも無残に破られてそこかしこに捨てられた教科書を無関係の僕に拾い集めさせておきながら、自分は退屈そうに本を読んでいたかと思えばふとあくびをしてまだ終わらないのかと尋ねてきて、あまつさえ早く帰ろうよなどと宣った、その姿が高潔にさえ見えたのをよく覚えています。そのときに気がつきました。僕はそれまで周囲から、気が弱いばかりに後藤に付き合わされているかわいそうなやつだと思われていて、自分でもそんなような気がしていました。けれど違いました。僕はきっと無意識のうちに自ら望んで彼の後をついていっていたのでした。
自分が男を、他の男が女を愛するように愛することができる人間であると知ったのも、同じ頃のことです。後藤に惚れていることに気がつくまではそう時間もかかりませんでした。僕は迷った末、彼にそのことを伝えました。しかし、今思えば、それは間違いだったのかもしれません。彼は気まぐれに施しでも与えるかのように僕を受け入れました。
大学に入ってからの後藤の経歴は公表されているとおりですからあなたもご存知のことと思います。彼は演劇を始め、劇団を立ち上げて、脚本を書くようになりました。彼の作る話は面白く、僕は僕でその頃恥ずかしながら小説家を目指していたものですから、なんだかいいライバルにでもなったような気分で嬉しく思っていました。けれどもあるとき、課題やら何やら複数の締切に追われた彼が、脚本の執筆を手伝うよう言ってきたのでした。土台の部分は彼によって書かれていたので、僕は了承して彼の代わりを務めました。その脚本は彼の名義で劇団に提供されました。それから何度か同じようなことが起こっていくうちに、気がつけば僕はなし崩しに彼のゴーストライターとなっていました。
それでも僕はいつかまた後藤が自分自身で脚本を書いてくれるようになると信じていました。それまで代打を務めるのが僕に任された役目だと本気で思っていました。それは数年前にあなたと出会って、親密になって、あなたにあのことを、すなわち僕が傍にいる限り後藤が再び脚本を書くことはないだろうということを言われるまでそうでした。僕はそのときまで自分こそが後藤の枷になっていることにまったく気づいていませんでした。それで僕はようやく彼から離れる決心がついたのでした。
こう書いてしまうとまるで僕が後藤のためを思って身を引くことにしたかのようですが、そればかりではないのをわかってほしいのです。僕はかなり前から、若い頃ほど彼に惹かれてはいないことを薄々勘づき始めていました。なるべく考えないようにしてはいましたが、何かきっかけがあれば今の状態のままではいられなくなるのだろうとも思っていました。そのきっかけにあなたがなってくれたのです。
僕は今、心からあなたに感謝しています。あなたの、表へ出る職業でありながら男が指向の対象にあると公言して批判やからかいをものともしない強さと、後藤ともう二度と会わなくて済むような場所へ行ってそこでふたりで暮らそうと夢を見せてくれる優しさは、かけがえのないものだとわかっています。ゆうべ、後藤からの呼び出しを受けた僕を、そんなものに応じる必要はないと引き留めてくれたのも、とても嬉しいことでした。
それでも僕が後藤と会うことを決めたのは、すべての未練をきっぱりと断ち切るためです。けれど今日、もしも彼が僕抜きに書いた脚本を見せつけてきて、きみなんてそもそもいらなかったんだなどとでも言ったなら、そう、それはつまりかつて愛した彼の姿を再び見ることができてしまったならということです、揺らがずにいられるかどうか、自分でもわかりません。
もしも今日僕が帰らなかったら、どうか僕のことなどすっかり忘れてください。そして、こんな手紙を置いていったにも関わらず僕が帰ってきたら、そのときはどうとでもしてくれて結構です。
今まで本当にありがとうございました。
P.S.
冷蔵庫の中に昼食の残りの炒飯があるのでよければ食べてください。
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