第5話

 4限目が終わり、昼食の時間。

 ナオが「いくべ!?」と立ち上がるが、「待って、」と止める。


「伊里院さん」

「なんでしょう?」


 立ち上がったあたしを、見上げるように顔を上げた伊里院さんは、微笑みながら答える。

 今まさに彼女を誘おうと集まっていたクラスメイト達を制した形になり、諦めて数名は教室を出て行った。


「トイレ、行ってないでしょ」

「……あぁ、そうでした」


 元々あまり行かないタイプなのかもしれないが、それにしても、だ。

 授業が終わってすぐに皆に囲まれていたので、今日登校してきてから一度もトイレに行った様子がない。というか、私の勘違いでなければ、朝のホームルーム終わりに着席してから、授業開始の挨拶以外で席を立っていないのだ。


「連れてくわ。場所覚えてるでしょうけど、どこが空いてるかまでは分かんないでしょ」

「助かります」


 すっと、手を差し伸べられる。

 ――逆でしょう、とツッコミたい気持ちを抑え、ちょっと乱暴気味に彼女の手を取った。

 すると、すぐに指は絡みつき、恋人繋ぎに。こ、こいつ……!


「ナオ、先行ってて。行けたら行くわ」

「ん、りょりょりょー。ほなまたなー」


 ここで「待ってる」と言わないあたりもナオらしい。さっさと教室を出ていくナオを見送り、二人でトイレに歩く。


 廊下を歩くと、他クラスの子たちが、伊里院さんを見ている。

 転校生が来たという噂を聞きつけたか、休み時間には見物客が居たほどだ。


 ただ、歩いているだけなのに。

 どうして、ここがランウェイかなんかのように思えてしまうのだろう。

 伊里院さんは、明らかに注目を集めている。目のことを知らない生徒すら、ぼうっと眺めてしまうほど。

 ちょっとありえないくらいの美人が廊下を歩いているだけ。それだけの、はずなのに。

 何十もの視線に晒されていることを気にも留めない、というか気付いてすら居ないであろう彼女と違って、あたしの方は一々人の目を気にしてしまう。


 何の取り柄もないチビ女が、こんな美人と手を繋いで歩いてる。

 学級委員の特権だと思えば良いものの、残念ながらそれほど強気に出られる私ではない。


 ――あぁ、ちょっと惨めだな。自分が、嫌になる。

 そんな感情が浮かぶのを、止めることは出来やしない。

 本ばっか読んでたら、妄想する力ばっか付いてしまうものなのだ。被害妄想と言われる類の妄想だって、人一倍。


 気を紛らわすため、トイレを出て食堂に向かって歩きながら話す。


「杖無しで歩けるって言っても、こんな人多かったらぶつかったりすることはあるでしょ? ……多いことは分かるのよね」

「そうだね。だから一応、こういうものもあるんだけど」

「何それ三節棍!?」


 スカートのポケットから折り畳まれた棒が出てきたのを見て、思わず突っ込んでしまうと、くすくすと笑われる。


「侃と一緒にいられるなら、持ち歩かなくても良さそうかな」


 ぱきぱきと折り畳まれた棒を伸ばすと、白杖の出来上がり。なるほど、折り畳み用の杖なんて持ってたのね。会って3日目にして初めて見たけど。


「……普段使ってるの?」

「あまり。外に出ることも、多くはなかったからね。普段は学校と家を往復するくらいかな。それも車だったし。友達の家に行ったのも、昨日が初めてだよ」

「友達……、」


 その言葉の重みが、少しだけあたしと違う気がして、口から零れる。

 疑問の表情を浮かべた彼女を制するように、無理矢理話題を変えた。


「えっと、あ、じゃあ深夜に出歩いてるって言ってたのは――」

「お母さんが寝た後じゃないと、怒られちゃうからさ」

「いや流石に怒られなさいよそれは!?」


 まさかの無断外出! いくら音声ナビがあるといっても、目が見えない状態でこんな綺麗な子が深夜に出歩くとか、よく警察に見つからなかったな。っていうか迷子になることはないのか? 自宅から学校まで徒歩20分とか言ってたけど、結構な距離でしょ、それ。

 私が心配しすぎなんだろうか? でも流石に、なぁ……。


「これからは、やめてよね、そういうの」

「……? どうして?」

「し、心配になるから」

「心配してくれるんだ」

「そりゃ、そうでしょ……」


 小さな声で返すと、手をぎゅっと握り締め、そっと身体を寄せてくる。

 うぅ、この距離感ほんと何。あとあたし相手の喋り方、やっぱそれなのね。


「じゃあ、行きたいところがあったら侃に言うね」

「そう、……そうね。一人で行くのは危ないから、ほんとやめてね」


 ――あぁ、あたしは本当に弱いな。


 食堂に辿り着く。

 券売機式で、チェーンの定食屋と比べても随分安い定食から、もっと安めの麺類、ちょっとお高めのメニューまで揃っている。

 値段の割に味は悪くないけど若干量が少ないので、運動部の子は学食の後に購買でパンとか買ったりするのを見掛けるけど、小さいだけあって燃費のいい私は定食なんか食べたらお腹いっぱいだ。

 券売機の順番が来るので「何にする?」と聞いてから、「あ、」と気付いた。


「えっと、……券売機かな?」

「…………読めないわよね、そりゃ」

「流石に、ね……」


 かなり古いタイプのボタン式券売機なので、読み上げ機能なんて高等なものは勿論ない。というか新しい券売機に読み上げ機能があるのかは知らないんだけど。

 ボタンに指を触れた伊里院さんだが、しかし苦笑を漏らす。直接印字されてるならともかく、印字面はボタンの内側に隠れている。こんなの、目が見えない人間が選べるはずもない。


「ここまで来ちゃったし、今日は適当に選ぶわよ。苦手な物とかない?」

「辛いものは、苦手かな」

「ん、麺類で良い?」

「構わないよ」


 「はいはい、」と返しながら券売機に1000円札を飲み込ませる。醤油ラーメンと、少々悩んで塩ラーメンを選んだ。まぁどっちかは食べられるでしょ。

 お釣りを回収し、受付のオバチャンに半券を渡すと行列に並ぶ。数人で来てるならここで別れて席取りをすべきだけど、もちろん彼女に席取りなんて頼めるわけないし、だからってこんな人が多い行列の中で放置するのも何なので、諦めて一緒に並ぶ。まぁちょっと待てば席空くしね。


「あらら、別嬪さんだこと」


 定食用のご飯を持ってたオバチャンが、伊里院さんに気付くと目を丸くする。

 1000人以上が在籍する高校だが、学食を使うのは毎日同じような面子だ。そんなところに、明らかな異物を連れてきたら流石に目を引く。

 今だって、多くの生徒からの視線を集めている。話しかけてくるほどではないが、「あんな子2年に居たっけ?」なんて声が聞こえてくる。


「はい、ラーメン2つね。えーと……」

「すみません、トレイ1つに載せて貰えます?」

「あぁ、ごめんなさいね。ちょっと重いから気を付けてね」

「ありがとうございます」


 汁物じゃなければたぶんトレイくらい渡しても普通に持てただろうけど、ラーメンは流石にね。スープがなみなみ注がれているので、目が見えててもちょっと零すわ。

 っていうかラーメン2杯、普通に重いわね!?

 水はセルフサービスだが、目が見えない彼女に取ってきてと頼むわけにもいくまい。トレイを持ったまま空いた席を探していると、遠くから「なーおー」と声が聞こえる。

 たぶんナオの声だ。だが、人も多くて話し声も大きくて、どこから聞こえたか全然分からない。


 こういう時ばかりは、自分の小ささが嫌になる。

 私も伊里院さんくらい大きければ、たぶん簡単に見つけられたんだろうな。


「あっち」


 私の二の袖をそっと掴んでいた伊里院さんが、虚空に指先を向ける。

 そちらに目を向けると――、あぁ、ナオだ。


「今ので分かったの?」

「方角くらいはね」

「こんなうるさいのに……?」


 女子が3桁集まってる食堂だ。狭いわけではないが、うるさくないはずがない。

 皆が大きな声で話すから、向かいに座ってる友人の声すら聞こえなくなってまたボリュームが上がって――の連鎖によって、食堂内の喧騒はさながらライブ会場並みである。こんな中で、よく声の聞き分けなんて出来たものだ。それも、今朝あったばかりの相手の。


 ナオが確保してくれたテーブルにラーメンを置くと、水を持って――こようとしたらナオが持って来てくれた。

 ことん、とグラスが置かれた音に、伊里院さんが「……お水?」と首を傾げるので、ナオが「うめー水道水だー」と答えた。事実だけど、その言い方はどうなのよ。

 伊里院さんがくすくすと笑う。

 あぁ、やっぱ笑ってる方が良いな、この子は。なんて考えてたら、ナオが私のことをじっと見て――ニヤッと笑った。な、何よ!?


「ラーメンだけど、醤油と塩、どっちがいい?」

「……何でもいいって言ったのは私だけど」

「あ、ごめんラーメン無理だった!?」

「…………食べ方は、おうどんと同じで良いのかな」

「「………………………」」


 私とナオが、沈黙で返す。言葉の意味が、よく分からなかったからだ。

 して数秒後、先に気付いた私が「た、食べたことない?」と返すと、コクリ、と頷かれた。


「家で出なかったからね」

「それでも外で――、いや、食べることないか、ごめん。麺は細い、そばみたいな感じ。食べ方はうどんと同じで大丈夫。ただ結構熱くてスープも多いから気を付けて。味は……、まぁ口で言っても分かんないだろうから、とりあえずオススメの塩を」

「食べさせてくれる?」

「そのくらい自分で食べられるでしょ!?」


 昨日すき焼きの卵割って溶いてたの見たわよ!? 流石に鍋から取ることはしてなかったけど、自分のお椀に注がれたもの普通に食べてたわよね!?

 冗談だったのか、くすくす笑うと指先の感覚で割り箸を見つけ、――首を傾げるので、「ちょっと失礼」と彼女の手から割り箸を奪い、パキンと割って返す。

 割り箸の何が珍しいのか、表面をしばらく触っていた伊里院さんだったが、ラーメンの器に手を触れ、――箸を突っ込んだ。

 な、なんか見てると怖いわね。何が、と言われると――


「か、髪っ!!」


 サイドまで長い髪が、スープに浸かる寸前でなんとか止める。あ、危なっかしい……!


「ナオ、ゴム貸して」


 「うぃー」と返事したナオが髪ゴムとヘアピンを貸してくれるので彼女の髪を手早くまとめ、「……どうぞ」と促すと、箸の動きが再開される。


 ――前の学校では、どうしてたんだろう。

 そんなことを考えてしまうが、本人が話そうとしないなら聞かないで良いか、と考え直す。

 正直、言動が全体的に危なっかしい。あたし相手だから油断してる――と思いたいが、いうて会って三日目である。油断するのが速すぎる。サバンナだと死んでるわよ。


「……思ったより普通に食ってんのなー」

「ね」


 と、心配だったのは最初だけ。

 食べ始めてみると、本当に静かに、少しずつ麺を持ち上げて食べている。目が見えてないとは思えない、慣れた手つきだ。

 昨日も思ったけど、なんか上品なのよね。食事中に、音をほとんど立てないのだ。

ラーメンなんてずずずずっ、と啜って食べるものだと思うのに、時折ちゅる、と微かな音が聞こえるくらい。

 私たちに、というか周辺に居るほとんどの生徒に注目されてることなんて露知らず、静かに食事は進む。


 あっという間に食べ終えた私たちは、そんな彼女の様子をぼうっと眺めていた。声を掛けて食事を中断するのもな、とほぼ無言で。

 普通ならば視線に気付いて変な感じになるもんだが、視線というものを全く理解出来ない彼女は、一人食事を続けていた。


 常人の倍ほどの時間を掛け食べ終えた彼女は、箸を置くと「スープは……飲んでいいものかな?」と首を傾げるので、「どっちでもいいわよ」と伝えると、「どう……」と返されるので、トレイにあったレンゲを手渡した。


「レンゲ……は流石に分かるわよね」

「……知識としては。中華料理に使われる陶器製の匙だね」

「言われてみるとそうね……」


 そんな概念的な部分は考えたこともなかったわ。でも確かに中華ってよくレンゲ使うわね。私的にはラーメン頼んだら箸と一緒に付いてくるヤツって認識だったけど。

 不思議そうに指で触っていた彼女は、「プラ製か」とどこが面白いのか分からないところで笑うと、スープを掬って口に運ぶ。


 ――再び数分。


「満腹かな」

「別に全部飲まなくて良かったのよ?」

「うぅん、新しい味で、楽しかった。美味しかったよ」


 手を合わせ、水のグラスを口にする彼女のトレイの上は、汁一滴残っていないほど綺麗に平らげられていた。この様子だと魚とかも食べるの上手そう。どうやってよ。


「塩、と言っていたけど魚介系の味付けなんだね」

「あ、そうなんだ?」

「……侃は普段食べてるんだよね?」

「塩ラーメンのことは塩ラーメンとしか考えてなかったから……そっか魚介系か……」


 言われてみるとそんな気はする。あれ、でもそう言われてみると醤油も魚介系のような……、よし、考えるのはやめよう。味覚音痴がバレる。もう遅い気もするけど。

 ちなみにナオは食事風景を眺めてるのに飽きたか、さっさと教室に戻っていった。薄情者め。美人の食事なんてどれだけ見ても飽きないでしょうが。なんなら金払ってでも見るべきよ。

 あんな上品にラーメン食べてる女子高生、生まれて初めて見たわ。グルメ番組に出演した美人アナウンサーでも、あんな綺麗な食べ方はしまい。


「下げてくるから、ここで待ってて」

「待って」


 空いた食器をトレイに載せて立ち上がると、ぐい、と的確に袖を掴まれる。


「……何、離して」

「ごめん」


 そう口では言うものの、袖は離されない。

 意味が分からない。あたしが表情を歪めたことにも気付かない伊里院さんは、俯いたまま小さく口を開いた。


「……こういうところで一人にされるのは、少し、困る」


 その言葉に、冗談でない本心を感じ――、あぁ、と頭を掻いた。


「…………そっか。怖いよね、ごめん」


 なんだ、悪いのは私だった。今のは、わがままとかじゃない。

 目の見えない彼女にとって、周囲を認識するのに使っているのは『音』だけ。

 そんな『音』だけの世界において、知らない大勢が話している中にポツンと取り残される恐怖は、晴眼者である私には、きっと一生想像出来ないものだ。


「ごめん。置いてかないから」

「……ありがとう」

「あなたも弱気なこと言うのね」

「私は、いつでも弱気だよ」

「それは流石に嘘」

「本当なんだけどな……」


 ぽつりと返され、あれ、と疑問を覚える。

 いつでも? ――本当に?


 じゃあ、教室であたしの声を聞いた時、――いいやもっと前、

 土曜日。校門の前で私に声を掛けられた時、この子がぱぁっと表情を明るくしたのは――

 

 明るくなる、


 二次元みたいだと思った。

 ほとんど無表情に近い、彫刻のような、あの顔は――


 ――


 何も見えない世界で、知らない音に包まれて。

 表情を作る余裕がなくなるほどに、彼女は知らない世界を恐れている。


「……はい。これで大丈夫?」

「…………うん、ありがとう」


 トレイを片手で持ち、もう片手で彼女の手を取る。

 スープ一滴すら残ってない二つの丼は、随分軽かった。


 自信ありげに見えていた伊里院羽波の真実を、少しだけ垣間見て。

 どうしてか、複雑な気持ちになった。そんな昼下がり。

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