「炎天功」と「寒霜功」
〜対極の気功、「
かつて、ソの帝国において一世を風靡した二大気功、「炎天功」と「寒霜功」。これらはそれぞれ陽と陰の極限を極めた秘伝の武術であり、絶対に両立しえぬ存在であった。
🔥 炎天功 —— 「気」の温度を極限まで上昇させ、肉体を内側から燃え滾らせる激烈なる陽の気功。これを極めた者は、発勁一閃で炎を生じ、敵を燃やし尽くすという。だがその力はただ火を出すだけにとどまらず、高温によって体内の血流が加速し、動きが異常なほど速くなる。まるで猛獣のように爆発的な動きとなり、素早い攻撃が次々と繰り出されるのだ。さらに、発勁によって炎を放ち、敵を焼き尽くすことができるだけでなく、タバコに火をつけるのも楽々という、日常生活でも役立つ高効率な気功であった。
❄ 寒霜功 —— 体内の「気」を極寒の領域にまで冷却し、精神を研ぎ澄ませる陰の気功。修行者は自らの血をも凍らせるかのように冷徹な境地へと至り、敵の動きを完全に見切る五感を手に入れる。さらに、極限まで冷えた気を発勁として放つことで、相手の肉体に直接凍傷を負わせることが可能。これを極めた者は、氷を自在に生み出すことができ、戦場では敵を氷漬けにし、宴の席では冷たい飲み物を提供できるという一石二鳥の奥義であった。
⚠ 絶対に両立しえぬ禁断の極意 炎天功と寒霜功は、陽と陰という真逆の性質を持つため、通常の修行者が両方を習得しようとすれば、身体の内側で陽と陰が衝突し、瞬時に爆散すると言われていた。
だが、そんな常識を真っ向から否定した狂気の武芸者が一人存在した。
それが 「10万の兵を相手に、たった一人で喧嘩を売った酔狂者」 である。
🌀 「両方を全く同じ進度を保ったまま習得すればいけるんじゃね?」 という、武術史上最大級の無茶な発想のもと、彼は前代未聞の試みを実行。
昼は炎天功で燃え盛り、夜は寒霜功で凍えながら、3日3晩にわたって修行を続けた結果——
🌋 「これ以上やると死ぬ」 ❄
と冷静に判断し、諦めた。
しかし、この狂気の実験をして生還した人間は 彼ただ一人 であり、後に「奴が死なないなら、俺もいけるのでは?」と同じ修行を試みた者は 一人残らず命を落とした という。
この一件が広まった結果、炎天功と寒霜功は「決して同時に修行してはならない」という新たな戒律が定められることとなった。
この逸話こそ、彼がいかにして伝説の武芸者であったかを示す、数多の武術秘録の中でも特に有名な一節である。
(出典:民明書房刊 『究極の気功バイブル:驚異の秘伝大全』より)
***
居城に戻ると、ベルタはすぐに授業を始めた。ウイルヘルムは最初、あまり期待していなかった。どこかで「また無駄に難しいことを教えられるのか」と覚悟していたが、ベルタの教え方は予想を裏切り、むしろ楽しくて面白かった。
一般知識というのは、彼が思っていたよりもずっと面白い内容が多かった。そして幼児向けの授業ということもあり、教材はすべて絵本だ。しかし、単なる読み物ではなく、しっかりと知識を教えるために工夫された教科書でもある。文字の読み書きを学びながら、歴史や文化、地理といった知識も教えられた。すべてが彼にとって新鮮で、あっという間に時間が過ぎていった。
「ウイルヘルム様、飲み込みが早いですね。」
ベルタは驚きとともに彼を褒めた。
(若返ったせいか、学ぶことがこうも新鮮に感じるとはな)
ウイルヘルムは、自分でも意外なほど学習に興味を覚えていた。なにせ幼児向けの授業である。転生前の記憶を持つ身としては、褒められて喜ぶのも妙な話だが——それでも、新たな知識を得ることは純粋に楽しかった。
昼食の時間が来ると、ウイルヘルムは食事を楽しむ…余裕はとてもなかった。居城に戻って初めて、静功と金剛不壊の並列修行の時間が取れることに気づいたからだ。 そのため、グラウナ帝国の公爵ですらなかなか味わえない美食が並べられたものの、ウイルヘルムはただ無心で口に詰め込むだけで、味さえも感じる余裕がなかった。
昼食後、ウイルヘルムには2時間ほどの昼寝時間が与えられた。
(なるほど、貴族の坊ちゃんというのは、こうして昼寝をするのが習慣なのか)
しかし、ウイルヘルムは知らなかった。
三歳児が昼寝をするのは貴族であろうが庶民であろうが至極当然のことであり、それを「特別な習慣」だと認識している時点で、彼の前世の環境が異常だった。
──単に、幼少期から鍛錬漬けの生活を強いた前世の父が厳しすぎただけである。
とりあえず、ウイルヘルムはすぐに思考を切り替え、目の前の問題へと意識を向けた。
ウイルヘルムはこの時間を修行のために活用できると考えた。
──侍女一人を除けば、完全な一人きりの時間。
護衛たちも昼寝時間中はウイルヘルムの邪魔をしないよう気を遣っているらしく、部屋の外で待機しているだけだ。
侍女をなんとか出来れば、静功以外の修行が出来る。彼女の昏睡の秘孔を点穴すれば、昼寝時間どころか明日まで熟睡してしまうだろう。
しかしここで一つの難関がある。
静功以外の修行をする前に、体内に気を入れられない問題を解決しなければ、侍女がいようがいまいが状況は変わらない。
寝たふりをしながら、ウイルヘルムは考えた。どの気功だったらこの世界の禍々しい気をコントロール出来るだろうか?
まず正攻法として考えたのは、古林寺の気功だ。この世界の闘争本能を刺激するような気を、仏法の力で鎮められる可能性は高い。しかし、ウイルヘルム自身、敬虔な仏教徒から程遠い存在だ。酒は好むし、嘘もよくつく。女性を愛してやまない。仏門に入ろうものなら、半刻も経たずに叩き出されるだろう。
次に道家の錬丹術を考えたが、すぐにそれも諦めた。錬丹術に関する知識は、素人の域を出ていない。そもそも、この世界の薬物に関しては全く知識がない。学んだところで、錬丹術と共通点があるかすらわからない。
そして、前世で手に入れた究極の秘伝、落花宝典を思い浮かべたが、それも無理難題だ。落花宝典の修行には去勢が必須だった。何が悲しくて、4歳にも満たぬ身で去勢しなければならないのか?この世界に宦官として仕官するあてもないだろうし、それこそ人生を投げ捨てるようなものだ。
寿喜功、無量功、百通神功、炎天功……どれも決め手に欠ける。寒霜功、霊門功、大混元功……あった!
炎天功と寒霜功を同時に修め、熱気と冷気を拮抗させることで、この世界の禍々しい気による影響を相殺する……これしかない!
前世では3日3晩かけて習得を試みたが、死にかけた。しかし――今日の静功と金剛不壊の並列修行で気づいたのだ。
炎天功と寒霜功を交互に修めようとしたのがいけなかった。両方を同時に修行すべきだったんだ!
善は急げと言わんばかりに、ウイルヘルムは寝床から軽やかに飛び降りた。布団の揺れと同時に、侍女が怪訝そうな視線を向けてきたが、ウイルヘルムは何事もないように足早に彼女の前へと進んだ。
(最低限の気を、最短時間で体内に流し込む……そして、その瞬間に昏睡の秘孔を正確に突く……今だ!)
ウイルヘルムの指が閃光のごとく動き、わずかに侍女の脇へ触れた――ほんの一瞬の出来事だった。
侍女は「どうなさいましたか?」の「ど」の音を発するよりも早く、その場に崩れ落ち、静かな寝息を立て始めた。
彼女も一応は格闘術の基礎訓練を受けており、【ランナー】という比較的に優れた初期職を持っていた。しかし、前世で培ったオーバーキルな武術の視点からすれば、彼女の実力はそこらへんのひ弱な女性と何ら変わらない。
さて、炎天功と寒霜功もまた、動功に分類される。その修行法は、それぞれの技である炎天掌と寒霜拳の動きを繰り返し、その流れに従って体内に気を巡らせ、蓄積させることで功力を養うものだ。
だが、同時に異なる武術の形をなぞることなど、本来ならば不可能に思える。しかし、ウイルヘルムはそこに一つの突破口を見出した。
――体と気の流れを半分に分け、それぞれ異なる形を実演する。
常識では考えられない発想だったが、ウイルヘルムにとっては理論的に実現可能な試みだった。
こうして、彼は傍目から見れば奇妙な舞を踊るような動きを繰り出し始めた。
左半身で炎天掌、右半身で寒霜拳。あるいは、上半身で寒霜拳を繰り出しながら、下半身では炎天掌の歩法を寸分違わずなぞる。一歩間違えれば体内の気流が暴走し、深刻な内傷を負う危険な修行だ。しかし、静功と金剛不壊の並列修行に比べれば、遥かに実行しやすい。
(……これなら、いける)
ウイルヘルムは、己の肉体の変化を感じながら確信した。
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