グランド・サーキット団

 気功を練りながら(ベルタから見れば領主としての威厳に満ちた振る舞いをキープしたまま)歩くウイルヘルムの歩速は遅く、その一行が広場に到着した頃にはグランド・サーキット団第36小隊の軍人たちが整然と配置されていた。


 兵士たちは鉄の胸甲とチェーンメールで武装し、無駄のない装備を身に着けていた。その内約3分の2が弩兵だが、その武器である弩には金属製の滑車が付いており、周辺の国々に比べて弩兵に力を入れていたソの国出身のウイルヘルムでも見たことのない形をしている。3分の1未満の重装兵が2メートルのパイクと大盾を携えている。指揮官やその他の補助兵が約20人、鞍袋に重そうな荷物を積んでいるケンタウロス兵までいる。彼らの背後には20台のウォーワゴンが静かに待機していた。


 一台のワゴンをサイのような魔物2匹が牽引し、ワゴンの後部にはやはりウイルヘルムが知らない構造をしている連射弩ポリボロスが搭載されている。狼のような魔物が6本足で地面を踏みしめ、コウモリのような翼を持つ鴉の魔物たちが空を飛び回る。その凶暴な外見とは裏腹に、魔物たちは兵士たちの指示に忠実に従っていた。サイらしき魔物、狼らしき魔物、そして鴉らしき魔物はそれぞれを専門に取り扱う兵士がいるようだ。


 ウイルヘルム一行が広場の真ん中まで進むと、物資を運んできた庶民たちが忙しそうに庶務兵に荷物を渡しているところだった。男たちは酒樽やチーズを担いで、女たちは樽に詰めた漬物や魚を手にしている。自分の受け渡しが終わると、一人一人の顔には仕事の後の安堵と誇りが混じった表情が浮かんでいた。


 庶務兵たちはこなれた手つきで帳簿を取り出し、渡された物資を記録していく。その手がすばやく帳簿を走り、数行を記入すると、すぐに庶民たちが持っている帳簿と照らし合わせ、紙幣やコインを渡すか、受領書を手渡した。取引は迅速で、庶民たちは満足げに帰路につく。


 その光景を見守っていたウイルヘルムの視線の先で、突然、グランド・サーキット団第36小隊の隊長が鋭い目でウイルヘルム一行に気づき、慌てて駆け寄ってきた。隊長はすぐに敬礼し、そのままウイルヘルムに対して片膝をつきながら、少し困惑した様子で言った。


「ウイルヘルム様、失礼いたします。大隊が二週間後士爵領に到着いたします。なぜ大隊の方ではなく、本日こちらのご視察にお越しになったのでしょうか?何かご指示が…?」


 その声には微かな不安が含まれていたが、隊長は必死に冷静を装っていた。直属の上司ではないとはいえ、本家の初代当主が一番興味を示した曾孫のウイルヘルムが直々に自分の隊の視察に来たからには、下手をすれば自分の首が物理的に飛ばされる事態になりかねない。


 ウイルヘルムは隊長の不安げな顔をちらりと見たが、特に気にすることもなく、淡々と口を開いた。


「散歩に来た。」


 ……

 隊長の思考が一瞬止まった。

「……は?」


 いや、待て。きっと何か深い意味があるはずだ。目の前の少年は齢3歳6ヶ月とはいえ、ただの貴族の子息ではない。帝国でも随一の財力と影響力を誇るヴァイス家の御曹司であり、さらにその本家ツァンラートブルク家の初代当主が唯一目をかけた存在。そんな人物が「散歩」と言ってここに現れるはずがない。そうに違いない。


 隊長は必死に頭を働かせた。考えろ、考えろ。これは何かの暗示か?「散歩」……つまり、通常の視察とは異なる、カジュアルな視察? あるいはグランド・サーキット団の状態を自然に確認するための巧妙な手口か? それとも……もしかして、ただの散歩なのか? いや、それはない。


 そんな隊長の混乱をよそに、広場の一角では、ささやかな祝日が始まっていた。


 物資を小隊に納めた庶民たちは、それぞれ小銭を手に、広場に設けられた売店へと足を向けていた。


 大きな木樽から注がれる黄金色のビール。蜂蜜の甘い香りが漂うミード。焼きたてのソーセージからは肉汁が滴り、香ばしいパンが山積みにされている。子供たちはセアダスの香りに頬をほころばせ、大人たちはビールのジョッキを掲げて笑い合う。


「おおい、こっちにも一杯くれ!」

「今日の干し肉は上物だぞ!280マネでどうだ!」


 広場には人々の陽気な声が響き渡り、そこかしこで笑い声が飛び交っていた。グランド・サーキット団への物資提供は、日々の生活の一部であり、税金の代わりに納める人にとっては義務ではあったが、それでも金銭が動くことで庶民たちの暮らしは潤い、それがまた商売の活気へと繋がっていた。


 そんな喧騒の中、ベルタがすっと隊長の前に立った。


 「確認する。貴公の名はライナー・バッハマン、階級は少尉、クラスは上級職【スピアガード】——そして、第36小隊隊長として任官されて、まだ二ヶ月ということで間違いないわね?」


 彼女の声音は淡々とした事務的なものだったが、その態度には確固たる威厳があった。鋭くも冷静なベルタの視線が、ライナーの細部まで見極めるように注がれる。


 片膝をついたままのライナー隊長はベルタを見上げたが、ウイルヘルムが離乳する前の栄養源があんまりにも豊富なので、この角度からだとその二つの栄養源が邪魔でベルタの顔がほぼ見えない。そこでベルタの射抜くような視線に晒されたライナーは慌てて頭を低く下げた。


「はっ! 第36小隊隊長、ライナー・バッハマン少尉、相違ございません!」


 彼の声は響き渡るように張りがあり、軍人としての規律を感じさせた。


 ベルタは納得したように頷いた。

「よろしい」


 その一言だけで、ベルタの確認は終了した。しかし、それだけでライナーには充分すぎるほどの重圧があった。彼女の落ち着いた態度には、軍務に対する厳格な姿勢と、上位者としての風格が滲み出ていた。


 「ライナー隊長、ウイルヘルム様はここでお食事を召し上がります。食後に『セマフォ塔』で報告するように。」


「ははっ、承知いたしました!」


 どう見てもグランド・サーキット団の指揮系統とは無関係に見えるベルタがあくまでも自然にその隊長に指示を出し、そしてあんまりにも当たり前のようにその指示に従う小隊長を見て、不思議がるウイルヘルムだった。


「ベルタ、グランド・サーキットのえらい人?」

 ウイルヘルムは幼児らしく、純粋な好奇心を込めた目という演技をしてベルタを見上げた。広場の賑わいの中で、ベルタは一瞬「どう説明しようか」と考えた後、やわらかい声で答えた。


「いいえ、私はグランド・サーキット団の人ではありませんわ。でも、グランド・サーキット団は坊ちゃまのご本家に仕える人たちなのです。だから、分家の立場がある人にも従いますのよ。」


 ベルタはにこりと微笑みながら、まるでおとぎ話を語るように説明する。だがその言葉には、ベルタはただの侍女ではなく、分家の中でもある程度の立場があるという事実を、ベルタは意図せずともウイルヘルムに教えた。


 ウイルヘルムは「ふーん」と頷いたが、すぐに別の質問を投げかける。

「グランド・サーキットは……だれをやっつけるの?」

 ここもウイルヘルムはあえて幼児のような問い方をした。


 ベルタは少し笑いながら、まるで戦士ごっこの話をするような気持ちで答える。


「うふふ、グランド・サーキット団はね、強い悪い人や、怖い魔物からみんなを守るためにいるのよ。ほら、この街よりずっと西にあるミュンツフルトにはたくさんの商人がいるでしょう?そこで売られるものを守るのもグランド・サーキット団のお仕事。そして――」


 ベルタは指を折りながら続けた。

「それから、ご本家ツァンラートブルク伯爵領。ご本家のお屋敷やたくさんの兵隊さんがいるの。」

 二本目の指が折れる。


「そしてここを含むウイルヘルム様のご親族がいらっしゃるヴァイス御三家の領地。ここも守らなきゃね。」

 三本目。


「グローナウ子爵のところ、それからドレクスラー伯爵の領地も見回るわ。」

 四本目、五本目。


「シュタインハウアー侯爵様の領地もあるし……」

(他の子爵や伯爵の領地に兵を入れるのも大概だが、侯爵領にまで? 侯爵の方が地位が上なのに?)

 六本目の指を折ったあと、ベルタは少しだけ声を低くして、楽しげにささやいた。


「そして最後は……城塞都市トーテンフェルス。怖い『死者の谷』のすぐそばにあるの。あそこでは、アンデッド――亡くなった人が動き出してしまうのよ。グランド・サーキット団は、そういう怖いものが街に来ないように戦っているの。」


 ウイルヘルムは「ほえぇ……」と感心したように目を輝かせる。演技に混じって少し本気でワクワクしてきたウイルヘルムだった。


 ベルタは優しく微笑みながら、もう一つ大事なことを付け加えた。

「グランド・サーキット団は、この大事な場所をぐるーっと回って、見張りをするの。小隊は週に一度、順番に色んなところへ行くわ。でもね、大隊が動くときは、たくさんの行商人も一緒なの。月に一回、大きな隊列になって物を運ぶのよ。」


「ふーん……でも、いっぱい物を運ぶの、大変じゃない?」

「そうね。でも、大きな川があるでしょう?エヴィラウフ大河よ。そこを武装商船で移動するの。船ならたくさんの物を運べるもの。」

 ベルタはウイルヘルムの手を優しくぽんぽんと叩き、にっこり微笑んだ。


「だからね、グランド・サーキット団はただの兵隊さんじゃないの。ミュンツフルトとトーテンフェルスを繋ぐ、大きな動く防衛線そのものなのよ。」

「……すごい。」

 ウイルヘルムは目をキラキラさせてベルタを見つめていた。ベルタはそんなウイルヘルムの様子を見て、くすっと微笑むと、優しく言った。

「うふふ。坊ちゃまも、いずれはもっと詳しくお勉強しないとね。」

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