第2話 カスの竜騎士団

 イザベルの声に、スラムの空気が一瞬で張り詰めた。全員が耳をそばだて、続きを聞こうとしている。


「じがも、じがも辺境のナステカ島送りらしいですぅ。死んじゃいます、きっと丸焼きにされて食べられちゃうんですよおおお」

「ナステカですと!?」


 神父の顔が強ばる。

 ナステカ。未知のベールに包まれた、この国の辺境だ。現地には蛮族が住んでいて、人間を食べると噂されていた。

 これまでにも問題を起こした騎士や役人が追放されたことはあったが、生きて帰れた者はいない。


「おい、何があったんだ。団長のママでも抱いたのか?」

「そんなことしないですよ! どうやって抱けっていうんですか!」


 イザベルは拳でディエゴの胸板を軽く叩いた。強面のディエゴを叩けるのは、この世界にイザベルしかいない。


「普通に、普通に頑張ってたんですよ!? 降竜警報が鳴る度に、一番下っ端だからって朝も昼も夜も出撃してましたし、ちゃんと高高度撃墜やってました! スラム出身だから、貴族の先輩のチュニックも洗濯して、ブーツも磨いて、使用済み薬莢磨きまでしてたんですよ……!?」


 怒りと困惑に満ちた泣き声だった。


「いつ寝てたんだよそれ」

「上昇中と降下中しかないですよぉ……」


 ディエゴが指でイザベルの目元を拭う。ひんひん泣いているせいで赤く腫れていたが、それでも分かるほど大きくて濃いクマができていた。


「おかしな話だ。ちなみに、どういう理由で追放になったか聞いたのか?」

「職務怠慢と横領らしいです。もう、意味が分からないです。うああああああ!」


 とうとう蹲って大泣きし始めたイザベルを見て、ディエゴはぎりりと歯を噛みしめた。


「出自差別からの濡れ衣か。この国の貴族はクソだったが、ここまでとはな……」


 心配そうな表情を浮かべ、ぞろぞろとスラムの住人たちが集まってきた。中年女性がイザベルの肩を抱く。

 痩せた肩を怒りで震わせる男が気炎を上げた。


「許せねぇ、俺らのイザベルちゃんを! ディエゴの旦那、第二竜騎士団、殺しましょうや!」


 それを聞いた別の男も拳を突き上げる。


「やりましょうぜ! 弾よけにでも使ってくだせえ!」

「一丁だけマスケットあったよな!?」

「錆びてるが、槍もあるぞ!」

「石ころありゃ殴るに十分だぜ!」


 まるで強い酒に落した火の粉だ。瞬く間に熱気が広がっていく。

 ディエゴは噛みタバコを吐き捨て、それから大きく溜息をついた。


「やめろ、お前ら。竜騎士団を殺したら、誰が国の空をドラゴンから守る」


 出来ないとも、無理だとも言わなかった。むしろ殺せることを確信しているように、ゆっくりと拳銃を親指の腹で撫でている。


 ディエゴの短い制止の言葉に、スラムの住民は揃って口を閉ざした。

 教育が行き届いている。彼らがディエゴを受け入れるまでに、都合六〇回の殴り合いがあったのだ。格付けは済んでいた。


「しかし、追放な。大方、貧民のくせにどんな無茶振りしても戦果を出してくる、大型新人が邪魔臭かったんだろうよ。で、オマケとばかりに自分らが犯した罪をなすりつけたら、追放相当のモンになったんだろうな」


 この酷い予想に、イザベルは一層小さくなる。


「師匠ぉぉ、お別れです。イザベルは、美味しい美味しい焼き肉になるのです。きっと、貴重なお塩もたくさん使って、お高い香草も添えられて、豪華な晩餐にされちゃうんです。隣には三〇年もののワインです……」

「なんで食肉界で最上級の扱いされる予想なんだよ。させねえから。俺も一緒に行く」


 再度、空気が凍り付いた。神官がゆっくりと訊ねる。


「ディエゴさん、本気ですか。最強の竜騎士が王都を……いえ、王島すらも離れてナステカに行くと?」


 顔には憂いが浮かんでいた。

 それは地域の守護神を失う不安であり、そしてディエゴの身を案じるものでもあった。

 ディエゴは軽く肩をすくめる。


「ま、竜騎士団どもが気合い入れりゃなんとかなるだろ。それに、俺はとっくに隠居の身だ」

「それはそうですが……。しかし、あのナステカに……」


 不安そうな神官の肩を、ディエゴは優しく数回叩いた。


「俺はお前らが好きだが、正直この国の貴族にはほとほと呆れていたんだ。俺が従軍した頃となんも変わっちゃいねえようだ。第一竜騎士団はマシになったと聞いていたが、第二がこの体たらくじゃあそれも眉唾だ」


 神官はもの悲しげに頷く。

 王都の内側からでは救えない者たちを導くために、わざわざ不衛生なスラムに降りてきた彼は、とても共感できたのだろう。


「陛下は気に掛けてくれた恩人だが……ちょいと俺も疲れた。辺境の空で戦うのも、老兵の貢献と納得して貰おうか。可愛い弟子を焼き肉にしないついでに、辺境でのんびり隠居生活と洒落込むさ」


 気安い調子で言うディエゴに、ようやく神官も表情を柔らかいものに変えた。


「家を買ったばかりだというのに、もったいないことをしますね」

「ああ、そうだ。権利書をくれてやる。好きにしろ」


 ディエゴは懐から丁寧に畳まれた羊皮紙を出すと、神官に投げ渡す。


「ナステカに土地は持って行けねえし、エスクード銀貨だって無価値だ。家の中のモンもくれてやる」

「いいんですか?」


 王国最強の竜騎士の財産だ。それがどれほどになるか、神官には想像もつかなかった。


「ただ、一つだけ頼みがある。今から書く手紙……告発状を、教会の伝手で陛下まで送ってほしい。骨董品になった竜騎士ディエゴの名に、未だ価値があるのか知らねえけど」

「もちろんです。ディエゴさんが書かなければ私が告発状を書いていました」


 ディエゴと神官は軽く拳を突き合わせ、笑い合った。なんだかんだで一〇年以上の付き合いになる二人には、二人だけのノリというものがあるのだ。


 彼らは協力し、手早く告発状を書き上げる。

 それを神官がしっかり懐にしまうのを見届けると、ディエゴはイザベルの手を引いた。


「よし、行くぞイザベル。どうせ嫌がらせみたいな期限切られてるんだろ」

「今日中に出発ですよお。無理です、嫌です、こんなことなら最後におしゃれして美味しいもの食べてみたかったです」

「大丈夫だ。どうにかなるさ」


 イザベルは初めて聞くディエゴの優しい声に目を丸くした後、ぐずりながらもワイバーンに跨がる。


「どうか、お達者で。ご無事を祈ります」


 神官の声に、二人とも手を挙げて応えた。

 二頭のワイバーンが同時に羽ばたくと、砂埃が舞う。見送る住人たちは目や鼻を押さえながらも、賢明にその後ろ姿を見送ろうとした。


 飛び立った二人の竜騎士は、黄色と緑の細長い王国旗をワイバーンの背からたなびかせ、あっという間に空高く飛び去っていく。



 ディエゴの書いた手紙が届くのはもうしばらく先のこと。

 そして、王が王都を守る最高戦力を手元から失ったと気がつくのも、もうしばらく先のことである。

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