第39話 縁日の夕べは予測不能

 いよいよ明日から待望のイベント、夏休みが始まる。

 好きな本を読んで夜更かししても、次の日は朝寝ができる。

 寝くなったら昼寝だってできて、誰にも邪魔されないんだ。


 幸い赤点もなく、学校からの呼び出しはない。


 最高だ。

 放課後倶楽部の指令でも、降りて来ない限りはね。

 今の所予定があるのは、真菜を美術館に連れていくことと、星見さんと夏祭りに行くことくらいだ。


 終業式もHRも終わって、教室の中に明るい雑談の華が咲く。

 そうだ、俺も一つ伝えておくことがあった。


「おい、桐瀬」


「……なに?」


 相変わらず教室では超地味キャラの桐瀬に声をかけると、低い声色を返してきた。


「すまん、その日は他に予定があるんだ」


「そう……もしかして……」


「んん?」


「あ、ううん。な、なんでもないわ。いい夏休みをね」


「ああ、お前もな」


 実は桐瀬からも、夏祭りの誘いを受けたんだ。

 けど星見さんと約束している俺は、残念ながら断るしかないんだ。

 そう言えば桐瀬とも、放課後倶楽部以外のプライベートでは、一緒に遊んだ記憶はないんだよな。

 その分倶楽部では、濃密な時間を一緒に過ごすことが多いんだけど。


 開放感をいっぱい胸に抱えて家に帰ると、真菜が先に帰って来ていた。


「お帰りなさい、おあにいさま。一学期のお勤めお疲れ様でした」


 お勤めって……社会人や刑務所にいた人じゃないんだから、大げさじゃないか?


「早く着替えて。お昼にするわね」


 今日のランチは、真菜特製の焼うどんだ。

 香ばしいソースの匂いが、つんと鼻を刺激してくる。


「そう言えばお兄いさまは、真菜を一人残して、夏祭りに行ってしまうのね」


「ああ、悪いな。他と約束をしてしまっていてな」


「寂しいわ。昔のお兄いさまは、もっと優しかったのに。私は寂しく、お友達と一緒に向かうことにするわ」


 お友達が一緒なら、別に寂しくないだろ?

 お前と比べたら、ずっとほぼぼっちだった俺なんか、羽虫のようなものだぞ。


「その代わり、明日のデートは忘れないでね。明日一日のお兄いさまの時間は、全部私が美味しく頂くから」


 明日は美術館の予定だけど、それってデートなのか?

 それに一日って……お前は受験生なんだから、もっと時間を大切にした方がいいぞ?

 失った時間は、もう帰ってはこないのだからな。


「そうだお兄いさま、食べ終わったら勉強を教えてくれない? 明日の分も含めて今日やっておくと、明日は心おきなく楽しめるわ」


 頭の中はもうすっかりバケーションモードになってしまっていたのだけど。

 まあ仕方がないか、ここは従妹孝行をしてやろう。


「ところでお兄いさま、長袖は暑いでしょ? 家の中では、もっとラフな格好をしたら?」


「……いや、いいよ。だって見苦しいだろ?」


「そんなことはないわ。おいたわしいくは思うけど。それにそれって、お兄いさまの勲章でもあるじゃない」


「そんな大層なものじゃないさ。限度も知らないで、突っ走っただけだから」


「もう道場には行かないの?」


「どうだろうな、また気が向いたらな。それより早く食って、勉強やろうぜ。明日の分までやるんだろ?」


 身を乗り出す真菜をなだめるために、さっさと話題を変えたのだった。




 ◇◇◇


 夏休みが始まって数日が過ぎた。

 遠くから蝉しぐれが流れ来る夕暮れ時、今日は街がいつもよりも賑わっている。

 駅の改札を抜けて来る人たちの表情も明るい。

 男の子がお母さんに手を引かれて、きゃっきゃと騒いでいる。

 浴衣を着た男子と女子がぴったりと寄り添って、目の前を抜けていく。


 今から夏祭りの夜だ。

 そこに向かう人波を、駅舎の脇からぼんやりと眺めている。


「秋葉君!」


 名前を呼ばれて首を向けた先には、桃色の浴衣に身を包んだ、小柄な女の子がいた。

 同じ色の巾着を下げていて、頭の上に赤い髪飾りを乗っけている。


「…………や、やあ……星見さん……」


 胸の鼓動が速くなっている。

 見とれてしまって、しばらく声が出てこなかった。

 ……可愛い。

 想像はしていたけれど、実物はそれよりも、ずっとずっと……


「ごめん、待たせちゃったね。ちょっと準備に時間がかかっちゃって」


「ううん、大丈夫。まだ約束の時間の前だよ」


 今は約束をしていた時間の10分前、俺は更にその20分前からここにいた。

 何だか、じっとしていると落ち着かなくて。


「じゃあ、行こうか?」


「うん、そうしよう」


 浴衣姿がよく似合う星見さんの横で、俺はいつもとそう変わらない格好だ。

 ごめんなさい、浴衣なんてハイソなもの、持っていないんだ。


 だんだんと暗くなると、縁日に明かりが灯っていく。

 喧騒に混ざって、遠くから音楽も聞こえてくる。

 都会の淀んだ風も、何だか今日は心地いいな。


「ねえ、どこに行こうか? 何か食べちゃう?」


「うん、いいね。でも色々あって迷うなあ」


 やっぱりお祭りの定番と言ったら、焼きそばかな?

 でも、イカ焼きに焼きトウモロコシ、たこ焼きに林檎飴、カステラ……

 どうしたって目移りしてしまうんだ。


「ねえ、あれなんかどうかな? 秋葉君はお肉が好きでしょ?」


「まあそうだけど。牛串焼きか、いいね」


 星見さんが選んでくれたお店の前に並ぶと、じゅうじゅうと肉が焼ける音が聞こえてくる。

 牛串とタン串を一つずつ買って、半分ずつ分け合いっこだ。

 金魚すくいでは残念ながら一匹も取れなかったけれど、ヨーヨー釣りでは何とか一個だけゲットできた。

 赤い色の、星見さんの髪飾りとよく似た色のやつを。


「ありがとう、嬉しいな」


 屈託なく笑ってくれる彼女の横で、自然にこっちの頬も綻ぶ。

 いつもとは違う時間の中にいるみたいだ。

 時計の針が回るのが速くて、気づけば空はすっかり暗くなっていた。


「そろそろ、花火の場所を探そうか?」


「そうだね、どこがいいかなあ」


 凄い人込みだから、場所探しは大変だろうな。

 でもせっかく来たんだから、星見さんと一緒に、夏の夜空を眺めたい。


「……あっ……!?」


 思わず、その場で立ち止まってしまった。

 俺の視線の少し先、そこに見慣れた顔が二つあった。

 ただ、いつもと違うのは、どちらも清楚な浴衣姿なこと。


 桐瀬は薄い青色の浴衣、神楽耶は真っ赤な色のそれだ。

 放課後倶楽部の女子二人が、そこにいたんだ。


「……秋葉……」


「よ、よう、桐瀬に神楽耶。奇遇だな、こんなところで」


「あ……確か、同じ学校の子たち……」


 星見さんも、俺の真横でぴったりと立ち止まる。

 縁日の喧騒を遠くに感じながら、四人はそこで、静かに見つめ合った。



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