第31話
右手を強く胸に当て、心臓から押し出すように、私は言い放った。
瞬間、胸の奥から何かが解き放たれたように感じた。重くのしかかっていた感情が、少しだけ軽くなる。
「どういう意味じゃ?」
「言葉の通りよ。あなたに代わって、私が伝えてくる」
お爺さんは、その一言でようやく理解してくれたようだった。私がこれからやろうとしていること。そして、私の想いと、私の意志を。
「儂がそれで、納得すると思うのか?」
「納得できなければ、またこっちに戻ってくればいい。あなたの時代なら、まだ少なくともすり切り三杯分は残っているわ。あなたがあっちに帰ったとき、その後悔が変わっていなければ……あとは好きにして」
感情という目に見えないものだけを変えるのは、中々容易なことじゃない。でも、今のお爺さんがそのまま接触するよりは、何世代か離れた私の方が絶対良い。それに——
身内だからこそ、私にだって分かることがある。
「でもね、はっきり言うわ。あなたは逢うべきじゃない。その後悔は、きっとお父さんに伝播する。その老いた姿で、そしてその表情で、その目で……それを打ち明けられたら、それこそ今度はお父さんが一生後悔する。そんな想いを背負わせてしまったことを。そして、自分の言葉が呪いになっていたという事実を。一番大切にすべきなのは、高々百年そこらのモノじゃない、家族よ。あなたがした行動を責めるような人間は、身内には絶対に居ないわ。これまでも、これからも」
「…………」
お爺さんは、しばらく口を閉ざし、両手を膝に置いたまま静かに俯いた。正直、若輩者の私が説いたところで、真にこの言葉がお爺さんの心を動かせるとは思わない。
でも、それでも私は本心を伝えた。私はこの家に生まれたことを誇りに思っているし、大事なのはモノじゃなくてココロだと思ってる。そして何より、それを繋いできた『人』。物に固執して、この家系が途絶えたらそれこそ本末転倒だから。
「いやあ……参った」
ようやく顔を上げると、そこには先ほどのような苦悩の色は無く、哀しみを帯びながらも清々しい表情があった。
「まさか、まだ面識すらない子孫から、そんなお説教をされるとは」
「……ちょっと生意気過ぎた?」
「ハハハ!いやいや、むしろ誇らしい。儂が思っていた以上に、この家の未来は明るいようじゃ」
お爺さんは重い腰を上げ、またゆっくりと、今度は枯山水の方へ歩き出す。
「どうしてお前さんに遭ったのか、これでようやく理解できた」
後ろをついて行く私に聴こえたその台詞は、納得という言葉で片付けるにはあまりにも深い一言のように感じた。それは、私に向けて発したものではない。自分の中で決着をつけるような、そんな呟きだった。
「では、少し昔話をしておこうかのう」
「……『花咲じいさん』の話でもするの?」
「おお、よう分かったな」
「ええ……私冗談で言ったんだけど」
お爺さんは、門の手前で一度敷地内を見渡し、澄んだ表情のまま門をくぐった。
「桜の木を植えたのは、儂のひい爺さんだそうだ。始めた頃は庭の至る所に咲かそうとしたらしいがのう、一本も育たなかったらしい。庭を囲っておる木はその代わりじゃ。結局、歳を取って最後、当時空き地だったあそこに一本植えてひい爺さんは死んだ。それを引き継いだのが、儂の爺さんじゃ」
「そんなに前から……」
「ああ。お前さんも知っての通り、奇跡的にその一本だけは育った。あの日誌は、その時の記録のために爺さんが書き始めたものでな……とは言っても、ひい爺さんの日記を拝借しとるから半分以上は桜に関係の無い話が入っておるがの。ただ、実は終盤に重要なことが書かれてある」
「重要なこと……?」
日記っぽいなっていう私の読みは当たっていたみたいだけど、そんな重要な話が?
「『儂の背丈を超えし祝いに、この桜の末永く栄えんことを願ひて、我が酒を注ぎけり』とな」
「えっ……!?」
「そう。恐らくそれが、今残っとる酒じゃ」
……なるほど。じゃあやっぱりあのお酒が特別で、あれ以外ではたとえ条件を満たしても、こっちの世界には来れないのね。……良かった。
「結局、だからと言ってこの世界が存在している理由は分からん。この家の人間はとにかく花見が好きでな。いつまでも満開の桜を眺めたいという、爺さんの想いを叶えてくれたのやもしれん。まあ、この世界を初めて知るのは、爺さんではなく儂の親父なんじゃが」
「じゃあ……この世界を知っているのは、私ら三人と、あなたと、あなたのお父さんの五人だけ……?」
「お前さんの後の世代が知らなければ、そういうことになる。それを踏まえると、今日……というよりは、この日付に四人が集ったのは、本当に奇跡じゃ」
確かに、四人が四人偶々この四月一日を選んで、且つ丁度この一九九九年に飛ぶ量を飲んだのなら、確率としては宝くじよりも低いと思う。けれど、ここまで来ると最早確率云々じゃない。『運命』っていうチープな台詞が一番しっくりくる。実際のところ、私らは互いが互いを導くようにここへ集ったと思っているし、このお爺さんもまたそのうちの一人なはず。
でも、それでもまだ何か、引っかかる……。
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