第29話

「サクラよ、お前はどう思う。百年以上の歴史がある家を、金に目が眩んで売り払ったと言ったら」


「……えっ?」


「親が大事にしてきた家を、子が売り払うという行為をお前さんはどう思うか、訊いておるんだ」


「それって……」


 その言葉だけで、何となく、お爺さんの後悔が理解出来た気がした。


 こっちの世界に来た時、私もマンションが無いことにはすぐに気が付いた。まさかそこにトシの実家があるなんて思ってもみなかったけど。それでも私は、その状況を大方理解した上で別に未練じみたものは感じなかった。目の前まで来て、その広大な平屋を見て尚、私はあっさりとその事実を受け入れたんだ。逆にハルは……少しだけ寂しそうな表情をしていたけど。


「仕方ないんじゃない?この時代の状況はよく分からないけど、多分私も同じことすると思う」


「……まあ、そうか。大金が手に入るなら、あんなボロ屋は売って新しい家を建てる方が合理的だからな」


「いや、そうじゃないわ。だってあなた、別にお金の為にあの家売ったわけじゃないでしょ?」


 そう言うと、お爺さんは一度立ち止まり、何も言わず再び歩き始めた。暗く暗くなっていく茂みの奥には、公園を囲むフェンスが見える。その一箇所に、何やら黒い板のようなものが立てかけられていて、お爺さんはそこまでたどり着くと静かにそれを倒した。


「そんなこと、儂の何処を見て分かると言うんじゃ」


「見なくても分かるわ。だって、ですもん」


 流石に今度は思うところがあったようで、身をかがめたまま振り返った。残念ながら、暗くて今どういう表情で私を見ているのかは分からない。純粋に驚いたのか、動揺しているのか、はたまた別の感情か。


「そうか、そうじゃったか……いやいや、お前たちの会話を聞いていてもそんな感じはせんかったがのう」


「あったり前でしょ。過去の人間相手にしてんだから」


「なら、儂もその内の一人では?」


「あなたはまた別よ」


 ふっふっ、と鼻で笑いながらそのかがめた体で前へと進む。どうやら、フェンスの下には小さな穴が空いているようだ。お爺さんを真似するように、私もその後に続いた。フェンスを通過すると今度は木の扉があり、それも同じようにかがんだまま進む。下の部分しか開閉しない構造から察するに、これは一種の隠し通路か。扉を越えるとようやく体勢を元に戻せたものの、生い茂る草で周囲がどうなっているのか分からない。ただひたすらに、お爺さんの後ろをついて行くしかなかった。



「ここは……」


 ようやく視界が開けると、そこは白い石が輝く枯山水の世界だった。岩の裏に出てきてやっと理解できた。お爺さんはあの時、私たちの前から消えた後この隠し通路を使って公園まで移動したのだろう。


「美しいじゃろう。この庭も、この家も。実は……この時代にはもう、儂の親父とお袋は二人とも生きとらんのじゃ」


「あっ……そう、なんだ」


 お爺さんはまた、あの時を再現するように同じ岩に腰掛けた。私も同じく、対面する岩に腰掛ける。隣にハルが居ないのが、ちょっとだけ不思議な感じ。


「昔からな、『この家と桜の木だけは大事にしてくれ』と言伝されとった。勿論、言われなくても儂はそのつもりじゃったがの。だが、時代が変われば価値観も環境も変わる。この家は家族で住むには不便じゃった。この庭を維持するだけでも大変でな、親が死んでからはいよいよ維持するのが難しくなった。家ってもんは、そこに人が居なければ人と同じように死んでいく。じゃから儂は、書斎だけこの家に戻したんじゃ」


『新居』のあの部屋に物がほとんど無かったのは、そういう理屈だったのね。


「しかし、結局儂一人ではもうどうこうできる話ではなくなった。息子は上京して、この家は愚かこの町でさえ不便だと言い出した。現実問題、子孫のお前さんはここには住んでおらん。儂の新居ですらお前さんらにとっては里帰りの対象じゃ。……この家を守れる未来が、見えんかった」


 確かに、あの家は私にとって最早遠い田舎の旅行先みたいなもの。大人になってもそれはきっと変わらない。


「なら、やっぱり仕方ないじゃない。あなたの両親も、ご先祖様も、きっと理解してくれてるはずよ」


「ああ、儂もそう思いたいところじゃ。でもな、実際に本人の意見は聞いてない。事実だけを見れば、儂が歴史を終わらせただけ。言伝を破って、な」


「そんなこと言ったって、どうしようも——」



 どうしようもない。そう思った。



 でも、お爺さんの目を見て、その表情を見て、一瞬にして脳内を駆け抜けたのは、ある一つの仮説。お爺さんの後悔、そしてここに残る理由……このお酒が受け継がれてきたのであれば、まさか……。



「あなたもしかして、ここで死んだ親に逢うつもり?」

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