第19話 じゃがいも裁判
「じゃがいも裁判って知っているかい?」
いつもの公園のいつものベンチで、ブックカバー付きの文庫本を読みながらキレイな姿勢で座っていた御法川さんは、今日も暇そうにしている。
御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、結局じゃがいもは揚げたてが一番うまいことぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「ええと、知りません。なんですかそれ」
本を読んだままの御法川さんに、僕は視線を送った。
じゃがいも大量窃盗犯だとか種苗法違反だとかそういうものの話だろうか、と思う。
御法川さんは静かに文庫本を閉じ、こちらに向き直る。
そして、ものを知らない生徒を導く教師のような調子で、こう言った。
「昔、じゃがいもが裁判にかけられたことがあってね」
「じゃがいもが?」
予想外の方向であった。
「ええと、じゃがいもみたいな人ってわけじゃなく?」
「いや、正真正銘馬鈴薯さ。ときは中世。ところはヨーロッパ。あわれジャガイモは宗教裁判にかけられた」
ああ、と僕は少しだけ納得した。
さすがに現代の話ではなかった。
しかも、宗教裁判である。
豚が裁判にかけられたという話はどこかで聞いたことがあるから、そのあたり、じゃがいもにまで累が及んでいたということだろう。
一応、尋ねてみる。
「なんでまた、裁判にかけられたんですか」
御法川さんはなんてこともないように、
「『性的に不純』だとさ」
「性て……」
僕は、なんだか言葉に詰まってしまった。
『性的に不純』って。
むしろじゃがいもにはその飾らない見た目から朴訥としたイメージを持っていたものだが、中世の人々はそうではなかったらしい。
「ほら、じゃがいもって種イモから芽が出て増えるだろ? 聖書によれば、それは神の定めた増え方じゃなかったらしくてね。で、悪魔の植物ということになってしまったそうだ」
「へえ」
クローン人間はよくない、みたいな話だったのだろうか。
「判決は有罪。被告野菜のじゃがいもは、火あぶりの刑に処された」
「火あぶり……」
それは、復活を信じていた当時の人々にとって、そのための肉体を失うことであったから、信仰的にも重い刑罰であったという。
しかし、それがじゃがいもとなると、僕はつっこまざるを得ない。
「それってただのベイクドポテトなんじゃ」
御法川さんは、うむ、とうなずく。
「バターもあればなおいいね」
ほくほくと湯気の立つじゃがバターをしかつめらしい顔をして取り囲む司祭服の人々を少し想像してみる。
なんだか愉快な絵面である。
僕は、思わず噴き出してしまった。
「それは、ちょっとおかしな感じがしますね」
「なかなか面白い奴らなんだ彼らは」
御法川さんも、少し口角を上げてほほ笑んだ。
そしてしばらく、御法川さんはどこかに思いを馳せるかのようにあさっての方角を見つめる。
「もしかしたら数百年後の未来人から見ると、私たちも奇妙に見えているのかもしれないね」
「そうですかね?」
数百年後、となると人類がどうなっているかなど想像もつかない僕は首をかしげる。
御法川さんは楽しげな笑みを浮かべている。
「いま私が読んでいる本は、健康志向が極まった未来の話でね」
そう言って御法川さんは膝の上の文庫本の表紙を指で撫でた。
「その世界では酒やたばこは法律で禁じられているんだ。そして、コーヒーも長期的に見れば健康に良くない可能性があるからって理由で禁止されようとしている。そんな健康的な社会で暮らす人々は、健康的でない嗜好品をわざわざ好んでいた過去の人々を奇妙だと思っているわけだ」
健康的でない嗜好品をわざわざ好む過去の人々。つまり、酒やたばこやドカ食い気絶をたしなむ現代の人々ということになる。
しょせんフィクションである、と断じるには、僕の中でも心あたりがある。
「そういえば、タバコとかの考え方って結構変わりましたよね」
タバコが大人の象徴でカッコいいと思われていた時代も確かにあった。昭和のテレビ番組なんて収録中にタバコを吸っていたぐらいだ。
が、今ではタバコのパッケージはほとんど警告文だし、喫煙者は非常に狭い喫煙スペースに押しこまれている。
御法川さんは投げキッスをするかのように、タバコを喫う時の仕草を繰り返す。
「ひと昔まえの漫画とか読むとけっこう驚くよ。真面目って設定のキャラもタバコすぱすぱ喫っているからね」
ひと昔まえ、と言っても二十数年前のものである。そう考えると、価値観の移り変わりはずいぶんと早くなった。
「想像してごらん」
と、御法川さんは超有名なミュージシャンのようなことを言う。
「たとえばたった一粒で一日分の栄養を摂取できる丸薬を開発したタイパ重視の未来人は、わざわざ時間をかけて食事を取る私たちが滑稽に見えるかもしれない」
実際にタイパ重視ということで、映画を二倍速でみたり、まずネタバレを見てから見るかどうか決める、という人も今は少なくないらしいからあり得ない話ではなさそうだ。
「たとえば脳波コミュニケーションが主流となったコミュ強タイプの未来人は、わざわざ誤解が生まれやすい言語を介したコミュニケーションを操る私たちがひょうきんに見えるかもしれない」
メールで済むのだから電話で話さなくてもよくないですか、という部下に頭を悩ませる上司の話は聞いたことがある。
「たとえばAIが代わりにしゃかりき働いてくれるもんだからだらけきった未来人は、あくせく働いている私たちを、働いたら負け、と思っているかもしれない」
AIに仕事を奪われる、という問題はよく聞くが、果たして人間が働かなくていい時代はいつになったらやってくることやら。
「そして、脳に直接情報を書き込めるようになったサイボーグ型の未来人は、紙の本を一枚一枚指先でめくって読む私たちを骨董品のように見るかもしれない」
最後に、御法川さんは文庫本を開いて、視線を落とす。
電子書籍の台頭で、そもそも紙の本を読む人間は少なくなっている。
視線を落とす御法川さんは、見ようによっては落ち込んでいるようにも見える。
「まあ、変わらないものもあると思いますけどね」
僕はそう言った。
「四千年前ぐらいのヒエログリフに『最近の若者は……』とか書いてあるみたいですし」
御法川さんは、そっとページをめくりながら、目を細めた。
「紙の本派にも、その調子で数百年後まで頑張ってもらいたいね」
一陣の風が吹き、めくれそうになったページを押さえながら、彼女はどこか遠い目をして言った。
「数百年後の食卓にも、じゃがいもは並んでいるのかねえ……」
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