第13話 ポヴェレッロ
「貧乏人のパスタって言うほど安くつくれないんだね……」
いつもの公園のいつものベンチで、質の良さそうなスーツを身にまとい、心なしか煤けた顔をしている御法川さんは、今日も暇そうにしている。
御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、紐式蛍光灯スイッチを前にした少年がボクサーの真似をせざるを得ないのと同じぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「まあ、最近はなんでも値上がりしてますからね」
貧乏人のパスタ。またの名をポヴェレッロ。イタリアではどんな家でも常備されているというチーズと卵とにんにくとオリーブオイルを使った家庭料理。名前は少しチクチク言葉のように感じるが、日本で言うなれば卵かけごはんのようなものだ。オリーブオイルとニンニクと目玉焼きと粉チーズで作ったソースに、ゆでたパスタを絡めて胡椒を振りかけ、最後にもうひとつ半熟目玉焼きを乗っけてそれを崩して食べる料理で、僕も一度作って食べてみたことがある。見た目はシンプルだが味は美味しい。
御法川さんはぶつぶつと呪文のようにつぶやく。
「ペコリーノ・ロマーノ500g2100円……卵10個入り一パック258円……国産にんにく一袋498円……オリーブオイル200g570円……」
が、最近の物価高でチーズも卵もにんにくもオリーブオイルも値上がりしているため、もはや名前ほど安価に作れる料理でないのも事実だった。
御法川さんは肩をすくめて首を振った。
「あんまり節約にはならなかった」
「あくまで、チーズを常備している本場なら安価ってことなんでしょうね、たぶん」
「その通り。そこで私はこう思った」
御法川さんは顔の前に人差し指を掲げて、
「令和最新版のポヴェレッロを更新してしまおうとね」
「はあ」
「ちなみに君は何かアイディアはあるかい?」
話を向けられたため、僕は少し考えて答えた。
「ゆでたパスタに塩振ったやつとかでいいんじゃないですかね。安価ではありますよ」
いわゆる塩パスタである。食べると、意識の高いラーメン屋で、まずは麺だけをあじわってくださいと言われたときと同じような素晴らしい体験ができる。
しかし、御法川さんは信じられないものを見たような顔で口もとに手を当て、
「……大丈夫? 心に闇を抱えているわけじゃないよな……? お姉さんが相談に乗ろうか?」
ひどい言われようだった。
失礼だな。塩パスタと茹でた鶏むねしか食べないという一流のスポーツ選手もいるんだぞ。
「安く抑えるにしても、人間最低限度の文化的な食事は摂らないとダメになる。そこで私が提案するのが――!」
そう言って、御法川さんがちょちょいとスマホを操作して写真を見せてきた。
茶色い、とまず思った。平皿に茶色いソースが載っていて、その上に申し訳程度の小葱が散らされている。
「……えーと、これ、なんです?」
「まあ、名付けるなら、御法川の気まぐれあんかけ焼きそばだね。冷蔵庫にあったもやしとか豆腐とかを具材にしたしょうゆベースのあんかけを、しっかり焼き付けて五袋入り100円の焼きそばにまわしかけたものだ。お値段なんと一食60円」
むふーっと満足げに鼻を鳴らす御法川さん。
気まぐれと気取っているが、ようするに家にあるもので作ったあんかけ焼きそばのようだった。
「それって美味しいんですか?」
「辛子をつけたり、お酢で味付けるとなかなかいける」
「へー」
意外とまともそうな料理だった。なんなら醤油のあんかけにすればなんでもうまいのかもしれない。
コスパは良さそうだった。
そこで、ふと気になって尋ねてみた。
「ところで、節約って言ってますけど、金欠なんですか?」
御法川さんは質の良さそうなスーツを身にまとっている。何の仕事をしているのかまではわからないが、そこまでお金に困っている印象は、今までなかった。
尋ねると、御法川さんは片手で髪をファサッと後ろへとはねのける、シャンプーのCMみたいに大仰な所作を見せて、こう言った。
「新作のガシャポンを見つけたんだ。体育座りをしている哀愁漂った動物のフィギュアなんだけど、なかなかシークレットが手に入らなくってね」
手をくいっくいっとひねってレバーを回す真似をする御法川さん。
「あー……」
思わず僕の口からはそんな声が漏れ出ていた。
何も言うまい。僕はそう思った。
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