第6話 風船とタイムカプセル
「私はひじょーに後悔していることがある」
いつもの公園のいつものベンチに、風船片手に姿勢正しく座っている黒髪ロングのお姉さんは、今日も暇そうにしていた。
御法川さんがいきなり話を切り出してくるのは、結局卵かけごはんが一番うまいということぐらいには当たり前なことであったために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「えーと、その風船、どうしたんですか?」
しかし、御法川さんの手にぷかぷかとつながれている赤い風船には、一度つっこんでおきたい。それ持ったまま家へ帰るのだろうか。
「駅前の広場でイベントをやっていてね。そこで貰った」
「へえ、どんなイベントだったんです?」
「戦隊ヒーローショー」
子どもに負けない声量で「頑張れー」と応援している御法川さんの姿を、僕は幻視する。
話を本題に戻す。
「それで、後悔していることとは?」
尋ねると、御法川さんは「いやね」と前置いて、話し始めた。
「ヒーローショーで子どもたちの話を小耳に挟んだんだがね。彼らは学校の行事として、校庭にタイムカプセルを埋めたそうだ」
「ああ、やりますよね。成人式か何かに掘り出そうって約束する感じで」
僕も小学生の頃、埋めた記憶がある。「将来の自分へ」なんて手紙を、なぜだか暗号化した状態で書いて入れたっけな。
御法川さんはそこで、ささやくような声でぽつりとつぶやいた。
「私はやってない」
「え?」
僕は聞き取れず、思わず耳を寄せた。するといきなり、
「私は、タイムカプセルを、みんなで埋めたことが、なぁーいっ!!」
「うわ、うるさ」
あわてて耳を押さえて、顔を離す。今日も御法川さんは元気だった。
「なんだよその楽しそうな行事は! 私のいた学校にはなかったぞそんなもの!」
心底悔しそうな顔をして頭を抱える御法川さん。僕は何と答えたものか困ってしまって、
「えと、残念でしたね?」
しかしそれは不正解だったようだ。御法川さんはぎろりとこちらに流し目を送ってきた。
「ふっ、君に私の気持ちはわかるまい。なぜなら君は、埋めた側だからだ」
すごいこと言い出したぞこの人。
「どうせ君たちは、埋めてから十年後ぐらいにかつて通っていた学び舎の校庭に再集結して、すっかり大人になった昔なじみの姿にある種の感動を覚えながら、えっちらほっちらあっちでもないこっちでもないと校庭を掘りまくって、掘りあてたらそこでもひとつの達成感を味わって、ついにはタイムカプセルという名の過去への扉の鍵をこじ開けて、中から飛び出た未来の自分に当てた手紙だとか当時の自分が大切にしていた宝物とかを肴に、昔ばなしに二、三十時間、花を咲かせたりするんだろ!?」
「二、三十時間はさすがに話せないような……」
口をはさむと、御法川さんはぴしゃりと言う。
「今、埋めた側に発言権はない!」
「……はい」
こうまで断言されると、なんだかホントに悪いことした気になってくるな。ただ、タイムカプセルを埋めただけなのに。
御法川さんはそこで力を抜いたように、だらりとした格好になり、打って変わった静かな口調で言った。
「……私は後悔している。なぜ、当時の友達とタイムカプセルを埋めなかったのか。タイムカプセルじゃなくても、長い時間をまたいでの約束事をしなかったのか。過去と未来を繋ぐような、ドラマチックな約束を……」
御法川さんは大げさなため息をついて、うなだれる。
その姿に、僕は罪悪感を覚える。御法川さんの屁理屈曰くの「埋めた側」である責任を、まったく理不尽なことに感じてしまっているのかもしれなかった。
それで、僕は頬をかきながら、提案した。
「あー、じゃあ、何か僕と、そういう約束しますか?」
御法川さんはとたんにがばりと身体を起こして、いい笑顔で、
「その言葉が聞きたかった!」
と世界一有名な無免許医みたいなことを言った。
それで、やっと僕は、御法川さんに乗せられたのだということに気付いた。
しかし、一度吐いた言葉は取り消せない。僕は少し悩んで、じゃあ、と切り出した。
「僕が二十歳になったら、良いお酒の飲み方でも教えてください」
御法川さんは今日一番の嬉しそうな顔をして、うなずいた。
「いいだろう。君が二十歳になった暁には、良い飲み屋を紹介しよう。約束する」
そう言って、今まで手に持っていた赤い風船を、すっと僕の前まで差し出した。
なんだと思って、彼女の顔を見ると、得意げな表情を浮かべていた。
「ではこの風船を君に預ける。飲めない側の君にはぴったりだ」
埋めなかった側から飲める側へと回ったことが、よっぽど嬉しかったらしかった。
僕は若干呆れながらも風船を受けとった。
「君が大人になったら、返してくれたまえ。私の初めての『タイムカプセル』だ」
手に取ったぷかぷかと浮かぶ風船を見上げて見る。この風船は、手を離しただけでも、すぐにどこかへと飛んで行ってしまう。
しかし、僕は二十歳になるまで、この赤い風船を持ち続けているのだろうという謎の確信があった。
結局、彼女との約束が満更でもないのだ、僕も。
数年後。居酒屋にて。すっかり空気が抜けて、へにゃへにゃになった風船に、相変わらず美人な御法川さんが目を丸くする姿を、僕は少しだけ想像した。
そのイメージは、なるほど確かに愉快な感じがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます