第3話 アリスごっこ

「君はストーキングってしたことあるかい?」


 御法川みのりかわさんは、唐突にそう言った。


 動きやすいアウトドアの恰好をして、なぜか右手にアンティーク調の砂時計を持っている御法川さんは、今日もいつもの公園のいつものベンチで暇そうにしていた。


 御法川さんがいきなり話を切り出してくるのは、地球が太陽の周りを公転しているぐらいに当たり前の現象であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。


「……僕ってそんなに不審者っぽいですかね?」


 名誉に関わることなので、そう尋ねると、御法川さんは笑いながら手を振った。


「ああ、違う違う、言い方がまずかったね」


 そう言って、御法川さんは懐からスマホを取り出し、指先で何度かすいすいと操作した後で、画面をこちらに向けてきた。


 そこには、一匹の黒猫の写真。毛並みはぼさぼさで、いかにも野良猫といった風情がある。


 御法川さんは、子どものように目をキラキラと輝かせて言う。


「こうして、道端でいい感じの動物を見つけたらね。見失うまでとことん後をつけるんだ。これがね、君もやってみればわかるよ、もうほんとわくわくするんだ。不思議な冒険のはじまりって感じがしてね。ときたま気が向いたときにやる遊びなんだが、私はこの形式の散歩のことを『アリスごっこ』と名付けた。特別に、君にも『アリスごっこ』で遊ぶ権利をあげよう」


「あ、ありがとうございます?」


 勝手に遊びの権利を独占しているのはいかがなものかと思うが、僕はとりあえずお礼を言っておく。


 『アリスごっこ』。なるほど、きっとウサギを追いかけて木のうろに落ちたアリスから取っているのだろう。


「今回はこの黒猫の後をつけたわけですか。不思議の国は見つかりましたか?」


 御法川さんは、肩をすくめた。


「そんな簡単に見つかれば苦労はしないよ」


 そう言いながらも、不敵な笑みを浮かべている。


「けれど、今回は何を隠そう、お宝を見つけた」


「お宝?」


 そこで、御法川さんはいままで謎だった砂時計を指先でつまんで、僕に示した。


 ――今回のホシはこの黒猫。私は直観で、ノラと名付けた。ノラとは道端でばったり出会ってね。五秒ほど目を合わせ続けたところ、ピピーンと来てそこから追跡を開始した。これは何かあるに違いないってね。


 ノラは尻尾を悠々と揺らしながらブロック塀の上を行く。その時はさながらサスペンス映画でも観ている気分だったよ。なにしろノラが気まぐれに住居の方へと入り込んでしまったら、そこで私の冒険は終わりなわけだから。――おいおい、いくら私でも不法侵入が悪いってことぐらいわかってるさ。しかし、ノラは最後までブロック塀を渡り切って、アスファルトの上へと身軽に降り立った。第二ステージのはじまりだ。


 次なる舞台は河川敷。流れる水音をBGMにノラはノシノシ道を行く。その時はさながら紀行ものでも読んでいる気分だった。旅のお供のノラと一緒に旅先の情景に身を浸しているわけだから。――ま、私が勝手につけているだけってのは言わないお約束。ときどき思い出したように足を止めて川を眺めるノラと一緒に、私もゆっくり流れる時間を堪能させてもらったよ。そして、ノラは最終面へと足を踏み入れる。


 最後の舞台は雑木林。昼でも少し薄暗い、じっとり湿った不気味な場所だ。しかしノラは構わずそこを行く。私もえいやっとついていく。女は度胸。――あれ、違ったっけ。腐葉土の柔らかい感じを靴裏に感じながら、遠くから届く虫や小鳥の鳴き声に耳を澄ます。すると、唐突に、ノラが足を止めた。


 なんだなんだと、その視線の先を辿ってみると、何やら石の破片が落ちている。近寄ってみてみれば、なんとこれ見よがしに×印がついているじゃないか! ノラが意味ありげに私を見つめてくる。


 ここほれワンワンならぬここほれニャンニャンというわけだ。


 私は言われるまでもないと、その石の下を掘り進める。そして「カツン」とスチールかなにかにぶつかった音がして、取り出してみればクッキーとかが入っている缶だった。私はもう嬉しくなっちゃって、思わずノラに抱き着いた。ノラも変に暴れたりせず、受け入れてくれた。


 で、そこで私は気づいたんだ。


 ノラは首輪をつけていたんだ。名前住所付きでね。ぼさぼさの毛並みに隠されててこれまでまったく気づかなかった。


 ノラは野良じゃなくて迷い猫だったというわけさ。しかも首輪に刻まれた名前は「アリス」。私は思わず吹き出して笑っちゃったよ――


 僕は尋ねた。


「――それで、その砂時計はどうしたんですか?」


「宝箱の中に入ってたんだよ」


 御法川さんは、手の中の砂時計を頭の高さまで持ち上げて、じっと見つめた。


「ノラ――じゃなくてアリスを連れて住所の飼い主の場所まで訪れたら、品のいいおばあさんが迎えてくれてね。そこで教えてもらったんだけど、どうやら缶は、おばあさんの息子さんが昔、埋めたものらしいんだ」


「え、じゃあ、貰っちゃっていいんですか?」


 そこで御法川さんは少しだけ目を伏せて、


「おばあさんは、使ってもらえる人に譲りたいって言ってくれてね」


「……」


 そこに、どういう意味があるのか。なぜ黒猫アリスは御法川さんを宝が埋まった場所まで案内したのか。そのことを僕は想像でしか語れない。


「……大冒険でしたね」


 結局、僕はそれだけ言った。


 御法川さんもうなずいた。


「ああ、そうだね――」


 ひとしきり砂時計を眺め終えた御法川さんは、カッと目を開く。


「が、しかし、冒険はまだ終わっていない!」

 

 なんだなんだと眺めていると、御法川さんは懐から古ぼけて茶色くなった紙のようなものを取り出した。


 御法川さんはそれを広げて僕に示した。地形や地名や〇印が書き込まれたそれは、古びた宝の地図のように見えた。


「お宝は砂時計だけじゃない。次なる冒険への足掛かりも入っていた!」


 御法川さんは目を輝かせ、僕を見つめる。


「さあ、今度は君も一緒に出掛けよう!」


 僕は、小学生の頃に初めて自転車で遠出をした時の、あのワクワクする気持ちを、いやおうもなく思い出していた。

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